Bread of Life

ディボーションタイムを助ける聖書講解

幸せの発見No3

2017-07-18 09:48:01 | Weblog
「主がヨセフと共におられたので幸運な者となり」【口語訳】創 39:2
兄弟達にそねまれ嫉まれ奴隷に売られたヨセフを聖書は幸福な人となったと言うのです。根拠は「ヨセフが神様と親しい交わり(コイノニア)があったからだ」と説明しています。この「コイノニア」が意味する内容は3つで「会話」「交換」「共有」です。「コイノニアがあったので酷い不運に見舞われたにも関わらず彼は幸運な人になった」と訳することができます。
しかしヨセフも人の子です。そこに達するのには紆余曲折があったはずです。最初に兄弟達のひどい仕打ちに深い怒りや復讐心を覚えたことでしょう。神様に対して「なぜこの様な理不尽を許容されるのですか」と恨み言を口にしたかもしれません。 
でも神様は語られました。「憶えていますか、貴方に見せた夢、貴方に告げた約束を。大丈夫です、私はその夢の実現の為に万事が益となるようにします」
この会話はヨセフの内面を回復しました。彼は本心に立ち返り「今日、自分のできる事に最善を尽くそう」という前向き、生産的、勝利的な思いに変えられたことでしょう。つまり「交換」がなされ傍目にもそれは明瞭で「ヨセフは幸運な者になった」と言わしめたのです。全てコイノニアのもたらした祝福です。
日曜日会堂で開かれる礼拝に参加するなかで貴方もこのコイニニアを経験されてこられたでしょう。しかしヘブル書13:13は礼拝の新しい領域に私達の目を開きます。営所のコイニイアと営所の外のコイニアとがあるからです。
営所のコイニイアとは会堂礼拝を意味します。その礼拝を終えたクリスチャンは仕事や家庭の務めにまた学業に帰って行きます。その現場は礼拝堂の神聖な雰囲気とはかけ離れた環境です。
数々の騒音と煩わしさと、ある時はとげとげしい人の言葉が行き来しイライラさせられる空間です。おおよそ礼拝には不向きな場所と思えます。其処で私達はサタンの攻撃にさらされ自分の弱さに直面します。
そのただ中で主との「会話」「交換」「共有」があればその現場で勝利と喜びを経験し信仰生活のクオリティーは間違いなくバージョンアップするでしょう。それを可能にするのがヤーダー礼拝なのです。
それは会堂での礼拝の様に其処に座れば司会者が礼拝に入れてくれるというイージーさとは対極にあります。進んで学習し自己訓練を通して身につけていくべきものだからです。
でもこの営所の外のコイノニアがどれほど人生を変革し祝福するかを発見してしまうと、あの希有な真珠を見い出した商人の様に喜んで代価を払いそれを買い取るのです。(マタイ13:15)。その真珠が営所の外のコイノニア、ヤーダー礼拝なのです。
「まず神の国を求めなさい○○は添えて与えられるから」(マタイ6:33)
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