2019年もバタバタした一年となりましたが、これでも家臣は続けています。
どうだ、かっこいいだろー!(笑)
オリンピックイヤーの2020年も家臣活動、推し活動共に楽しみます♪
友達の話を聞いていて、じゃあ自分はいつからこんなに好きになったんだろうと考えた。
もちろん当初から応援していくつもりではあったけど。
むしろ最初の頃は(自分は加藤軍だから)と自身に言い聞かせていた気さえする。
でも、ある時気づいた。最初からじゃん、と。
お披露目式で見、その週末には群馬遠征。最初だし関東だし、と参陣。
その翌々週には東京遠征。地元ゆえむろん参陣。
あえて明確化するならば、もうこの時には堕ちていたんだと思う。
慣れ親しんだ甲冑、陣羽織。目が行くのは当然かもしれない。それはあるだろう。
よみがえりたての頃はまだ幼い笑顔、表情、槍使い。
けれど多くの戦場を乗り越えていくにつれ、どんどん変わっていく姿、声。
そのうちもっと見ていたい想いが溢れていった。
ただ悲しいかな、私には守らなければいけないものがあったから、毎週行くことはできない。
ひと月に一回、頑張っても二回。行くのは基本土日祝日。
そのうちそれさえ難しくなり、期間にして約半年程、会いに行くことができなかった。
この時が一番つらかった。会いたいけれど会いに行けない。姿だけでも見たいけれど見に行かれない。
楽しそうな笑顔、かっこいい姿、やっちまったという表情。
Twitterで流れてくるものさえ見るのが辛く、せっかくあげてくださっている動画もほぼ見れなかった。
それなのに会いに行けた時、顔を見るなり「・・・息災か?」と聞いてくださった。
覚えていてくださっただけでなく、行かれない理由をも覚えていてくれた。
嫌な予感はしていた。正確に言えば年度入ってからその可能性は否定できなかった。
個人的に確定したのは絆が発表された時。
ああ、おそらく清正様は出立される・・・そう思ってしまった。
でも当然その考えを本当にしたくない。もっともっと見ていたかったから。
そして発表。
この時ほど自分の『空白の時間』を悔しく思ったことはない。
迎えた当日。
清正様が思い入れのある演武と言っていたのは、ご自身のために描かれた演目『五常烈士・忠義の虎』
舞台・絆2019の最終日、清正様座長の昼の陣「三英槍 演乱舞」
この時見た忠義の虎は凄かった。
ものすごく熱く、ものすごく想いがこもっていた。
あまりの凄さに涙が止まらなかった。
一息ついて会場から出てきたら、同じように泣いていた加藤軍を見て、やはり想いは伝わっていたと再び涙が溢れた。
そして見ていない人に観てほしかったと思った。
普段三英槍を見ていない三英傑家臣にも見てもらいたかった。
だから出立式で忠義の虎をやってくれたことがなによりも嬉しかった。
そして・・・まさか華演武の舞を・・・見れるなんて・・・
清正様が「意外と思うやもしれぬ」とおっしゃっていたのは、華演武の舞だったのかもしれない。
清正様が信長様の肩に手を乗せ、飛び上がり、槍を回す。
これは実は先代の代表作「華演武・築城の巻」の一部分だ。
たしかによみがえった当初の頃は、築城の巻を見てみたいと思っていた。
清正様自身も「やりたい」とおっしゃっていた。
だが『五常烈士・忠義の虎』が出来、それを見るうちに自分の中でその想いは小さくなっていた。
けれど舞台「天華の城」を見てからは、逆にまたその想いが大きくなった。
これだけのものを演じられるようになった方が、今あの演目を演じたらどういう表情をするのだろう、どういう想いを伝えてくるのだろうと。
それでももう“時”はない。見ることは叶わない・・・そう思っていたのに。
最後の最後、すべてのものを見せてくれた。
ご自身の代表作『五常烈士・忠義の虎』
築城の巻の舞部分
そして三英槍での槍舞。
槍舞が見れたことが、どれだけ嬉しかったか。三英槍が揃って槍を回す姿が。
信長様の肩に手を添え、飛び上がる姿を見れたことが、どれだけ嬉しかったか。
虎之助から大名・清正へと変わる姿を見れたことが、どれだけ嬉しかったか。
最後の最後に、たくさんの願いを叶えてくれた。
会いに行かれなかった空白の時間を少しでも取り戻したいと2月の全員演武から毎週遠征したけれど、それでも取り戻せなかった『想い』が、この時取り戻せたような気がする。
すべてのものを見ることはできなかったけれど、清正様自身が「やりたい」と思っていただろうことがやれたであろうことが嬉しかった。
見ることが出来た事、その場にいることが出来た事、そしてなによりも「加藤軍でよかった」。
清正様。
泣かずに見送ろうと思ってはいました。でも最後のおもてなし列では何も言えないほど泣いてしまいました。
でも清正様は笑顔でしたね。
いつもなら式の最後に武将様方から出立される方に一言ずつあるのですが、それがなかったのも清正様の想いからでしょう?
「泣いて終わりたくない」からでしょう?
名古屋城から退陣するときも一列にいたのも「いつもどおり」でいたいからでしょう?
笑顔で終わりたい
それが清正様の願いだったのじゃないかと勝手に思っています。
いままで本当にありがとうございました。
私は本当に清正様の家臣でよかった。
なんのかんのと続けてきたこのブログ。
なかなか書ける時間が取れなくなって、かつ今年は特にいろいろあって更新できておらず。
それでも見て下さる方がいて本当にありがたい限りです。
今年はですね・・・本当にいろいろありました。
他の方からしたらたいしたことないことでも、自分はかなりつらかったり。
介護らしい介護(ってなんだ?)ではなかったけれど、常に1vs1で、誰に頼れることなく、ほぼ毎日あれこれしてるととにかく気が滅入るんです。
それでも月に一回推しに会ったり友達に会ったりすると「よしまた頑張ろう!」って思えるんですが、いよいよそれもできなくなってからは、ほんっとに辛い日々でした。
しばらく名古屋に行かれなくなるだろうからと、なんとか都合をつけて生誕日に会いに行き。
翌日これで最後、と思いながら過ごしていた平日出陣時、まさか歌を聴けるとは。
たまたま名古屋城でロケをしていて、そこにたまたま遭遇して。
正式な依頼あっての出陣ではないから歌わないかな?と思ったけど(心の中では『歌って!』だったけどね)
歌った。
しかも百花繚乱。
歌い始めはどうだっけ?と聞かれたけどとっさに出てこなくて(あんなに長い事同行したのに;;)すみませぬ(汗)
でもなんのかんのちゃんと歌いあげてくれた清正様。
この時の私は『自分への声援』だと思い込もうとしてました。
次にいつ来れるかわからない、東京に来てくれたとしても会いに行けるかわからない、という現実。
それに耐えられるよう、がんばれという声援だと思い込もうとしてました。
基本平日に行かれないから本丸御殿での名乗り口上を見ることもめっっったにできません。
それも見ることができた。
ツアーも受けることができた。
よし、これでしばらく頑張れる。
そう思いましたよ。
でもこの大好きな後姿を見ると、かっこいい!!ってなる反面、せつなかったんですよね。
頑張ろうと思いながら帰宅した夜、でしたが・・・・・。
あのですね、推しに会えるって本当に心の癒しなんだなって改めて思いましたよ。
清正様だけでなく、名古屋おもてなし武将隊の面々、他武将隊の方々、話すことはできなくても顔を見るだけでも違う。
むろん他の事でもいいと思います。
ライブ行ったり飲みに行ったり映画見たり、好きな事ができるのなら頑張れる。
友達と話すだけでも違いますよね。
おいしい食事しながらならなお。
でも直接推しを見れるってこんなに違うことなんだとつくづく思いました。
周年祭に行くことができたことで、自分がどれだけ名古屋おもてなし武将隊を好きなのかも。
そこにいてくれる事。
そして出会った友達がいる事。
『生きる』って物理的なことだけじゃないんだ、と。
今年は鬱々することしか呟けませんでした。
「会える」方々が羨ましくてしかたなかったですもの。
でも当然ながらいいこともありました。
自分の誕生日に初めて春姫御膳の賑やかしに行けたし(殿下にお祝いしてもらえた♪)
清正様も覚えていてくれたし。
絆も行けたしモノチカ・戦国パークも行けた。
そう、悪い事ばかりじゃありませんでした。
声をかけてくれる友達、心配してくれる職場の方々。
まだまだ私は恵まれていると感じた2018年でした。
そんなこんなで喪中ゆえ年始の挨拶ができないかわりに年末のご挨拶・・・と思ったのですけどグチですね、これ(^^;
とりあえず今年も一年間ありがとうございました。
来年は今とは違う日々になりますので、もう少しブログ書けるよう頑張ります(笑)
2019年もよろしくお願い致します。
本日2018/11/3は名古屋おもてなし武将隊が結成されてから丸九年、十年目に突入した日。
あいかわらずこの時期は忙しく、それぞれいろいろなイベントに出陣している。
全員揃ってこの日を迎えることはできなかったけれど、数々の場所に出陣するという事は、それだけ彼らが浸透している証拠でもある。
今年はお目通り叶わなかったけれど、いてくれることがありがたい。
九周年おめでとうございます。
十年目も共に。
見送るのはもう何度目になるんだろうか。
何度であってもこの感情に慣れることはない。
利家様と一之助さんにお会いしたのは2015年4月4日のお披露目式。
再びよみがえりし利家様はまだ肌白く、若々しく。
でも現世に戻ってきたばかりだというのに、槍を構え、二人の陣笠相手に戦う姿は素直に凄いなあと思った。
見てからして体が細く、ちょっと強く抱きしめたら折れちゃうんじゃないかと感じた一之助さん。
でも直後に見せた演目の時の表情が色っぽくて、先がとっても楽しみになった。
あれから約三年。
名古屋城や遠征先で見る彼らは、どんどん変わっていった。
見るのも撮るのも楽しくて、とにかくそれが楽しくて。
これが『武将隊』という人たちを追ってしまう理由のひとつでもあるんだろうなといつも思う。
今回の出立式は天候の心配をしないで済んだ。
いままでに完全に晴れで送り出せたのは信長様と清正様の出立式だけ。
個人的にはこの時が一番つらかった。主君だったこともあるけれど。
もちろん泣いた。けれど笑って見送れた。
それはそれでとてもよかったのだけど、心が取り残された。
彼らは笑顔でかえっていく。でも自分の中では「もっと見ていたかった」という想いがくすぶっていた。
気持ち的にはいっそ雨が降ってくれていたほうがいいと思いさえする。
彼らも泣いてくれているんじゃないかと思えるから。
でもしばらくしてどこからか聞こえてきた。
「彼らはやりきったから晴れ晴れと天に還る」と。
ああそういうことかと腑に落ちた。
信長様も清正様も本当に長い事いてくださった。だから晴れ晴れとかえっていった。
利家様も一之助さんも、彼らなりにやりきったんだろうと思う。
だから晴れた。で、とてつもなく彼ららしい出立式になった。
利家様はお披露目式の翌日、いきなり「話すぞー」と座談を繰り広げたと聞いた。
その独特の内容と話し方に度肝を抜かれたと、変な人だとすぐばれたとも(笑)
私が初めてしっかりとお会いしたのが一ヶ月後。
その時の座談でもいろいろ迷言が飛び出して、これはおもしろいぞ、でも周りは大変だろうなあと余計な心配もしたっけ。
当時の信長様が「一周周ったら好きになる」という名言を残されたけど、出立された今になってようやくその意味がわかった。
実は腹を立てたこともある。
それくらい変な人だった。
話す事に特徴のある方だから、慣れないと厳しいかもしれないとは今でも思う。
でもね、一年経ち二年経ち、後輩ができ、背負うものがなんなのかを彼自身が知り、それが表情にあらわれてくるようになって。
いい表情だなー、かっこいいなーと思う時が増えていった。
花押を貰う際、見て気に入ってくださった一枚がある。
私もとても気に入っていた一枚なので、それを利家様がいいと言ってくださったのが嬉しかった。
一之助さんは最初、どんな人なのかまったくわからなかった。
けっこうな頻度で会ってたのだけど、なにを話したらいいのかもよくわからなくて。
でも徐々におもしろさがあらわれてきて、会話が楽しくなっていった。
初めてツアーでついてくれたときに、現在の時間なのか残り時間なのか、どちらともとれる返事をして家康様につっこまれた。
おろおろするかと思いきや、それに対しても、やっぱりどちらともとれる返事をしたのである。
家康様に対してその話し方ができるなんて、こやつ、できるな?と思ったことは覚えている。
思い返すと一之助さんの場合、家康様と一緒にいるときには特にいろいろ変な反応された気がする。
お祭り男でわっしょいの連呼、はたまたブログにわっしょいの羅列。
世の中のお祭り問答や武将隊メンバーの問答だったり、日記を見るのも楽しみだった。
参加しやすい日記の提示をしてくれたなーと思う。
なぞなぞの返事なんかはもっとできたらよかったな。
出立式で話してたように、先輩だけど後輩な哉太郎さんに対する態度もおもしろかったよね。
他二人がさん付けで呼んでるのに、一之助さんだけは呼び捨てで。
「後輩じゃからな!」ってドヤ顔してるのがおもしろくて。
でもしっかり哉太郎さんを補佐していて、そういう姿を見るのも幸せだった。
利家様も一之助さんも、いろいろな姿を見せてくれた。
楽しい時間をいっぱいもらった。
本当はもっときちんとありがとうと言いたかった。
天に還ってしまった利家様
お祭りを見るために全国を周ろうとしている一之助さん
三年間ありがとうございました。
素敵な時間をありがとう。