月刊オダサガ増刊号

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不可解な幼児 3 「ピアノと野イチゴ」

2014-02-27 11:22:11 | 不可解な幼児


 ある日、弁当を食べていると、ひとりのガキが言った。「弁当箱は左手で持ちあげて食べるものだ」

 俺はそんなものかとヤツの言った通りに食っていたら、今度は別のガキが、弁当箱は置いて食うものだと言う。

 俺は再び、弁当箱を置いて食っていたら、一人目のガキが、ヤツの言う通りにしていないことに腹をたてて、俺に文句を言い始めた。

 抵抗する術を知らなかった俺は言われるがまま、どちらの言い分を聞けばいいものか悩んだが、今思えば、そのふたりに言い争いをさせればよかっただけのことであった。そういったところが幼児で、そんな簡単なことも思いつかない。

 その頃、家でピアノなる楽器の練習までやらされるハメになった。父親の仕事の取引先に楽器屋があるらしく、俺はその生贄にされた。

 なにがイヤかって30分もの間、椅子に座り続けなければいけないことであった。ピアノ教師は毎週、飽きもせず家にやってきては俺に30分、母親に30分、ピアノを教えていた。俺が椅子から立ち上がると、ピアノの上に置いたハサミをチラつかせるという鬼のような女だった。

 俺はそれでも普段からある程度はピアノに触れていたが、母親が練習している姿は一度たりとも見たことがなかった。いつも俺ばかりが注意をされていたが、全く練習をしない母親を叱ってほしいものである。

 ピアノの練習はキライだったが、楽しいこともあった。楽譜である。俺はまだ開いたことのないページを内緒で開いては新しい曲を弾いてみた。ぶんぶんぶんがお気に入りだった。

 ある日、いつものように縁側から人が訪ねてきて、母親に中古のシングルレコードを売りつけていた。そんな胡散臭いものを売る方もタチが悪いが、買う方もバカである。

 ところが、そのシングルレコードはなかなかに面白く、俺は暇されあればレコードばかり聞くようになった。中にはバラが咲いたなどというくだらないフォークソングもあったが、大半は崇高な童謡であった。俺は童謡を嗜むという趣味を覚えた。

俺の趣味といえば、毎週日曜日になると、家の裏にある父親の会社の独身寮に行くのも俺の暇つぶしのひとつだった。

まず、玄関から中に入ると、寮母さんのいる食堂に行く。そこでしばらくクダをまいて、飽きてくると、端から端までくまなく部屋に入る。

銀行で金勘定ばかり強いられている可哀そうな若者にとって、俺がどれだけ癒しになってやったことか。大抵の若者は喜んで俺と遊んでいたが、中には照れているのか、ほとんど俺を相手にしない謙虚なヤツもいて、そういう部屋からは俺もさっさと退散してやった。幼児にだって相手を気遣う思いやりというものがあるのだ。

家と独身寮の間には何故だか、イチゴ畑があって、そこでとれた野イチゴを春になると食べた。そうはいってもそこでの春は2回しか経験できなかった。

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