オーストリアに行ったのはかなり前のことです。
何か食べようと思い、ガイドブック片手に安そうな地元のレストランに入り、名物だと書かれているヴィーナー・シュニッツェル(子牛のカツレツ)を注文しました。
子牛という割には硬いなとか、ウスターソースをかけて食べたらおいしいだろうにとか、付け合わせのジャガイモの代わりに日本米とキャベツだったら良かったのにとか、もっと良いレストランに入った方が良かったのかな、などと思いながら食べました。
会計を済ませ終えて外に出るとガラガラの路面電車がゆっくりと通り過ぎて行きす。
この街は10年前も10年後も同じなのだろうなと思いました。
翌日はハプスブルク家の夏の離宮だったシェーンブルン宮殿に行ったのですが、何か寒々とした感じでした。行ったのは3月でしたから行った時期が悪かったのでしょう。
ウィーンへの直行便は、今は5月から10月の間だけ運行されているようです。
やはりこの時期に行くべきだったのでしょう。
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オーストリアは、面積が約8.4万平方キロメートル(北海道とほぼ同じ)、人口約860万人、ドイツの南方、中部ヨーロッパの内陸に位置し首都はウィーンです。
1人当たりGDPは39,999ユーロ/46,420.19 USD (1 EUR = 1.1608 USD)世界第10位で、経済的に豊かな国です。大企業はないものの、ドイツ企業の下請け的な役割の中小企業がオーストリア経済の中心を担っています。また、ウィーンやザルツブルク、チロルを中心に観光産業も盛んです。
民族は主としてゲルマン民族、言語はドイツ語、宗教はカトリック約63%でムスリムも約7%いるとのことですが、避難民の受け入れでもっと増えているかも知れません。
国名のオーストリア は、ドイツ語で「東の国」という意味で、フランク王国のころにオストマルク「東方辺境領」が設置されたことに由来するのだそうです。
1270年ハプスブルク家ルドルフ公、オーストリア王権確立、1918年第一次世界大戦敗北によりハプスブルク帝国崩壊、共和制開始、1938~1945年ナチス・ドイツによるオーストリア併合が行われ、1955年連合国との国家条約締結により独立を回復、永世中立を宣言、国連加盟、1995年1月EU加盟というのがこの国のざっくりした歴史なのですが、ハンガリー女王、オーストリア女大公として1740年10月20日 - 1780年11月29日この国を統治したマリア・テレジアを思い起こす人もいらっしゃるかと思います。
彼女はまた神聖ロ-マ皇后でもあり、ボヘミア女王、トスカーナ大公妃、パルマ女公でもありました。
中欧の殆どの地域を支配していたオーストリア帝国は、数多くの民族を抱える多民族国家であったのです。しかし支配階級はゲルマン民族であり、彼らだけが特権的地位を有していました。
オーストリアは第一次世界大戦の遠因となった第1次・第2次バルカン戦争にも地域の大国として関与していましたし、第一次世界大戦の引き金を引いたのは1914年6月28日にボスニアの州都サラエヴォで起きた皇位継承者フランツ・フェルディナント大公の暗殺でした。
第1次世界大戦後、オーストリアは共和制に移行するのですが、1938年3月12日、ドイツ軍が侵入して全土を占領し、オーストリア・ナチスが政権を掌握、3月13日にはオーストリア出身のアドルフ・ヒトラーが母国をドイツと統一させました。
アドルフ・ヒトラーはオーストリア出身でした。オーストリアでもホロコーストによるユダヤ人の犠牲者は65,000人に上っているのだそうです。
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第二次世界大戦後、ドイツと同様にオーストリアもイギリス、フランス、ソ連、アメリカによって分割占領されオーストリア連合国委員会によって管理されました。また、ドイツ同様に分断される恐れがあったとも言いますが、紆余曲折の上、オーストリアはドイツに侵略され連合国によって解放された国として扱われることとなり、占領4カ国とのオーストリア国家条約が締結されて完全な独立を取り戻しました。1955年10月26日にはオーストリアは永世中立を宣言しています。
オーストリアはドイツ同様、避難民に寛容な国の一つですが、それは、オーストリア帝国時代に他民族を支配し反感を買っていたこと、ドイツとの統一時代にホロコーストによるユダヤ人の犠牲者を多数出したこと、それらに対する贖罪という側面が大きいのだと思います。
ただ、オーストリアの難民受け入れは曲がり角に来ているようです。2017年10月に行われたオーストリア国民議会選挙では難民・移民の受け入れ厳格化を訴えるオーストリアの中道右派・国民党と極右・自由党による連立政権が発足しました。
両党の連立合意では、難民申請者から所持金を取り上げ滞在経費に充てることや、身元確認のための携帯電話検査など、厳格な難民対策が盛り込まれました。また「治安対策」として、一定の法的基準を満たさないイスラム教徒向け保育園や私立学校の閉鎖についても合意しているのだそうです。
オーストリアは人口約860万人の国ですから、もう受け入れは限界ということなのかも知れません。
でも、ドイツやオーストリアでは、難民受け入れに反対する人々ばかりではなく、難民受け入れを推進するべきとする人々も多いのだとか。
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今、多くの国々の中で富める人々とそうでない人々の格差が広がっています。
アメリカ合衆国でその数を増やしつつ有る白人至上主義者や、ムスリムを排除すべきとする人々の多くは、変革に取り残された中間層の人です。
ドイツでもオーストリアでも難民受け入れに反対する人々の多くも、そんな人々なのだと言います。
人は自分が幸せでないと、他人に優しくなれない、
そういうことなのだと思います。
ナチズムも、第一次世界大戦後のドイツやオーストリアという、敗戦国での困窮の中から生まれました。
人は自分が幸せでないと、自分が幸せになろうとすることに精一杯で、他の人々を思いやる余裕はないのだと思います。
そして、自分も他の人々同様に幸せになりたいと思う一方で、他の人々も自分と同じ思いをすれば良いのにとか、考えてしまうのかも知れません。
人は、人の命より大切なものが有ると言い戦争を始めるのだそうです。それはテロを引き起こす人々も同じなのでしょう。
それに加え、テロを引き起こす人々の心の奥底には、幸せで無い自分に対するやるせない気持ちが隠れていように思います。
ISとの戦いは終わりを告げつつあります。
でも、中東やその他の地域での紛争は止む気配はありませんし、避難民も増大する一方です。
避難民の子供たちそして大人たちの心の奥底にある闇が、
これ以上拡がらない内に、
人々が故郷に帰れますように。
そして、幸せに暮らせる日々が戻りますように。
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このブログの画像はisis_chanプロジェクトに参加されているイラストレーターの方々からお借りしています。isis_chanプロジェクトの目的は、ISが発信する残酷な画像のインターネットでのヒット率を低下させることだそうです。isis_chanプロジェクトにはガイドラインがあり、ムスリムと彼らの信仰の尊重、暴力的・性的表現・政治的主張の禁止等々決められています。私のプログは極力このガイドラインに沿って書いているつもりですが、抵触していると思われたら、それは私の文章力の無さから来るものだと思います。
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