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ISIS_chanとISIL_kun(ムスリムの子供達)その72ノルウェー王国

2017-08-20 17:24:42 | 日記

ノルウェー王国は、面積が38.6万平方キロメートル(日本とほぼ同じ)、人口が5258317人(20161231日:ノルウェー中央統計局)、スカンディナビア半島西岸に位置する立憲君主制国家で首都はオスロです。

オスロは1624年の大火で多くの市民や町が失われ、デンマーク=ノルウェー王であったクリスチャン4世は、再建された都市を「クリスチャニア」と改名したのですが、ノルウェーの完全独立後の1925年、オスロの名に復しました。

首都のオスロは世界的な画家ムンクがその生涯のほとんどをすごしたところです。

主要産業は石油・ガス生産業や、豊富な水力発電を生かした電力多消費産業(アルミニウム、シリコン、化学肥料等加工産業)というところですが、皆さんにとってはスーパーでよく見るノルウェー産のサーモンやシシャモなど、水産業が盛んというイメージがあるかと思います。

一人当たりGDP71,500ドル(2016年、IMF)であり、世界でもトップクラスの豊かさです。

観光面でも、フィヨルド・オーロラ・白夜と見どころを数えあげたらきりがありません。アナと雪の女王の舞台にもノルウェーが選ばれたのだとか。

フィヨルドなら世界最大のスケールを誇るソグネフィヨルドに面した小さな村フロム。

ソグネフィヨルドの支流のひとつ、ネーロイフィヨルドは世界遺産にも登録されています。

オーロラ・白夜なら北極圏最大の町トロムソ。夏は白夜、冬はオーロラが楽しめます。

また、ハンザ同盟時代の美しい街並みが残る世界遺産の街ベルゲンも見どころの一つです。

ノルウェーへの直行便はないため、ヨーロッパ内の都市にて乗り換えが必要です。飛行時間は航空会社と乗り継ぎ時間にもよりますが、約12.515時間くらいです。

ノルウェーは9世紀の終わりにはハーラル1世が沿岸部を統一し、ノルウェー最初の統一王国が成立しています。11世紀にはデンマークのカヌート大王の北海帝国に併合されたのですが、12世紀末には独立を回復。最盛期にはその支配は、スカンディナヴィア半島の3分の2、アイスランド、グリーンランド、スコットランドの一部に及んでいました。

14世紀末には黒死病の流行とベルゲンを通じたハンザ同盟による経済的支配、スヴェッレ朝の断絶でノルウェー王国は衰微し、14世紀末のデンマークのマルグレーテ1世によるカルマル同盟のもとでデンマークの支配を受けるようになります。

1397年には北欧三か国(デンマーク・ノルウェー・スウェーデン)によるカルマル同盟が形成されるのですが、1523年、スウェーデンが、カルマル同盟を離脱すると、デンマーク=ノルウェーは、コペンハーゲンにいるデンマーク王の統治下となりました。

デンマークがナポレオン戦争で敗戦国になると、1814年のキール条約でノルウェーがスウェーデンへ割譲されます。

スウェーデンの立憲君主制のもとではスウェーデン=ノルウェー連合王国として独自の政府および議会を開く事を許されていました。

1905年にはノルウェーは同君連合の解消を宣言。国民投票での圧倒的な賛成とスウェーデンとの交渉の結果、無血の独立を達成しまとした。

1940年にナチス・ドイツに国土を占領されるのですが、第2次世界大戦後は独立を回復し、国際連合の原加盟国として初代国連事務総長トリグブ・リーを送り出しました。

ノルウェーを含む北欧諸国は平和を愛する国々という印象がありますが、それは第1次世界大戦、第2次世界大戦でも中立の立場を取り、積極的には参戦しなかったことによるのだと思います。

でもそれは、2つの世界大戦以前に大きな悲惨な戦争を経験しているからです。

その一つは1655年から1661年にかけて起こった、北方戦争。スウェーデンと周辺諸国との戦争です。スウェーデンとデンマーク=ノルウェーの戦争は1657年 から1658年にかけてと1658年から1660年にかけての二回起こりました。この戦いでデンマークの人口がスウェーデンの半分にまで減少した程の影響を残したのだそうです。

もう一つは1700年から1721年にかけて起こった北方大戦争です。

こちらもスウェーデンと周辺諸国(反スウェーデン同盟(北方同盟))との戦争です。

この戦いでは、ロシアの勢力拡大の危惧からオスマン帝国は171011月にロシアに対する宣戦を布告したことが北方戦争より大きな戦争となった一因です。

1716年から1718年にかけてスウェーデンはデンマーク領ノルウェーに攻め込み、一時はクリスチャンサン(オスロ)を攻略しましが、17181211日、オスロ東南にあるフレデリックスハルド を包囲していたスウェーデン国王ール12世は狙撃されて死亡しました。カール12世の死により、スウェーデン軍は直ちに撤退したのですが、猛吹雪の中の退却は苦難を極めて多大の損害を出し、「キャロリアン死の行進」と呼ばれています。

この戦いは、スウェーデンの敗戦で終わります。

北方同盟の盟主であったロシアは、スウェーデンのバルト海における覇権を奪い取り、ヨーロッパにおける列強の一員となり、また、この戦争で獲得した地に新都サンクトペテルブルクを建設し、1721年ピョートル1世が皇帝を名乗りロシア帝国となりました。

この二つの戦争から、ノルウェーを含む北欧諸国は戦争が悲惨であり無益であることを経験し、平和を大事にする国々に変わるきっかけになったのだと思います。

2011722日にノルウェーで連続テロ事件が発生しました。

ノルウェーの首都オスロ政府庁舎爆破事件とウトヤ島銃乱射事件が連続して発生し、政府庁舎爆破事件により8人、銃乱射事件により69人がそれぞれ死亡、両事件で77人が死亡しました。

ノルウェー国内において第二次世界大戦以降の最悪の惨事とされています。

犯人は極右思想を持つキリスト教原理主義のアンネシュ・ブレイビク(当時32歳)、共犯者は居なかったようです。彼は、「イスラムによる乗っ取りから西欧を守るため」を動機として「反多文化主義革命」に火をつけることをあげ、「非道ではあるが必要なことだった」と主張して、無罪を主張したそうです。

原理主義者はイスラム教だけでなく、キリスト教にも存在します。

そもそも原理主義(ファンダメンタリズム)はもともとアメリカ合衆国の保守的プロテスタント派が1920年代に使用したキリスト教の神学用語です。現在では他の宗教にも拡大適用されてヒンドゥー原理主義、ユダヤ原理主義といった言い方もされています。

原理主義者は、その信条・世界観や、政治的・社会的主張を、個人の宗教的な規範や価値観としてだけではなく、国家や社会の普遍的な規範や価値観として法制化し、その規範や価値観に基づいて国家や社会を統治すべき(つまり、他人にも強要・強制する)と主張しています。

違った宗教・宗派の原理主義者同士では、和解することはないのかも知れません。

原理主義者はどの宗教でも少数派です。宗教・宗派が違っても仲良く暮らしている国は多いのですから。

それは、レバノンの様に綱渡りのような状況かも知れませんし、アメリカの様に分断しつつあるのかも知れません。

どの宗教でも本来、信条・世界観・政治的・社会的主張を他人に強要・強制することは、その教えの中には無いのだと思います。

「肌の色や出自や信仰の違う他人を、憎むように生まれついた人間などいない。人は憎むことを学ぶのだ。そして、憎むことを学べるのならば、愛することも学べるだろう。愛は憎しみよりももっと自然に、人の心に根付くはずだ。」

南アフリカの故ネルソン・マンデラ元大統領の発言を引用したオバマ元大統領のツイートです。このツイートには816日現時点で300万件の「いいね」が付いており、史上最多を記録したそうです。

今、イスラム過激派に参加している若者は憎むことを学んだのかも知れません。でも、違う信条・世界観を持つ人々を愛することも学べるのだと思います。

そして、中東の紛争地域の子供たちが憎むことを学ぶ前に、愛することを学べたらよいのですが。

このブログの画像はisis_chanプロジェクトに参加されているイラストレーターの方々からお借りしています。isis_chanプロジェクトの目的は、ISが発信する残酷な画像のインターネットでのヒット率を低下させることだそうです。isis_chanプロジェクトにはガイドラインがあり、ムスリムと彼らの信仰の尊重、暴力的・性的表現・政治的主張の禁止等々決められています。私のプログは極力このガイドラインに沿って書いているつもりですが、抵触していると思われたら、それは私の文章力の無さから来るものだと思います。

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