今日は清運寺の施餓鬼法要です。
施餓鬼とは、餓鬼界に落ちて苦しんでいる一切の衆生に食べ物を施して供養する法要です。
朝から時々小雨が降り、涼しくて暑さに悩まされることのない施餓鬼になりました。
この施餓鬼法要にはいろいろな物を使うのですが、清運寺では、境内で竹、しきび、蓮などを栽培しています。
これらのものはなかなか手に入りにくいので、境内にあると新鮮なものが使えて非常に便利なのです。
特に竹や蓮の葉は切り取ってから時間がたつと、葉が丸まってしまい恰好が悪くなってしまうので、使う直前に切り取らなくてはなりません。
また、法要は近隣寺院のご住職方にもご出仕いただき盛大に行います。
法要の中ほどでは、出席された方々にも、祭壇(ご宝前)に出て、旗を立て、しきびの枝で灑水(水にしきびの枝を浸して旗にかける)をし、最後に焼香をしていただきます。
<施餓鬼法要が終わった後。写真ではよく見えませんが、五色の旗は竹の枝に結び付けられています。>
<中央にご飯を固めた土台に施餓鬼旗を立てます。右下の入れ物には蓮の葉に少量の水を乗せ、懐紙と水引で巻いたしきびの枝を置きます。左下は入れ物に蓮の葉を敷き、さいの目に切ったナスとお米を入れます。ナスやお供えの野菜(冬瓜、みょうがなど)も自家栽培したものです。>
18日から始まった施餓鬼も明日の寺院で最後です。
いつもは、母が行くので、どんな事をするのか分かりませんでした。ためになりました。やはり、宗派によって違うんでしょうか?
まだまだ勉強不足で申し訳ないです。
お寺さんの、こういったお飾りをまじまじと見る機会がないので、今回も大変興味深く読ませていただきました。
さいの目に切ったナスとお米、というのは、やはり季節のものだからでしょうか。また、しきびの枝には特別な意味があるのでしょうか。
施餓鬼の目的は、宗派が違っても同じだと思います。
法要の内容も、細かい部分では違いますが、趣旨が同じなので、だいたい同じではないかと思います。
(日蓮宗のやり方と、浄土宗のやり方しか知らないのですが)
餓鬼界に落ちた人を供養するというのが施餓鬼の目的ですが、特にお盆の時期に行う施餓鬼はお盆の付け施餓鬼と言われ、特にご先祖様を意識したものになっています。
(ご先祖様の中に餓鬼界に落ちて苦しんでいる方がいるかも知れないので、その方々を供養するのです。)
施餓鬼法要は、餓鬼界に落ちて苦しんでいる人に食べ物(水の子)を施して供養するのです。
なぜナスと米なのかはよくわかりませんが、やはり季節の食べ物を食べやすくして、お供えをするということなのではないでしょうか。
しきびの枝で水をかけるのは煩悩や飢えの渇きをいやすために行うのです。
しきびではなく、ミソハギの枝を使うこともあるようです。
しきびはお墓にそなえたり、仏式で使われることの多い植物です。
神道では榊がよく使われますが、それの仏教版と思っていただけるとわかりやすいのではないでしょうか。
ミソハギの枝は、初めて知りました。姿が思い浮かばなかったのでgoogleで検索したのですが、なるほど元々「ミソギハギ(禊萩)」の変化したものだとの説があるくらい、使われるものなのですね。ためになります。