尊敬する人は「毎日ブログを更新している人」です。どうも藤田です。
今月から、毎週月曜日は定休日を利用しまして、奈良の先生のところまで勉強に行かせてもらっています。
その教えを受けるために、全国からも先生方が集まる「有名人」。そして、その風貌は「仙人」。
そんな有名人で仙人な先生は、すごく謙虚で自然体。
「今」に至るまで、特定の師をもたず、独学で勉強し、研鑚を重ねてこられたそうです。その道のりは、試行錯誤の連続です。
自分の足で歩いてきた人は、自分に「できること」、そして自分に「できないこと」を知っています。
後ろ盾があったり、頼るものがある人間ほど、過信し、傲慢になり、暴走するものです。「できること」しか教えてもらわないからです。
この先生、「さー、今の私には、ちょっとわかりませんねー。」て、すぐ言うんです。平気で言うんです。
知識としてあるだけであったり、おそらく「そうだろうな」というようなだけでは、ご自身の言葉にしないんですね。ご自身の言葉になさるのは、確信と経験のあるものだけです。それ以外のものには、「さー、今の私には、ちょっとわかりませんねー。」です。
ごまかさない。知ったかぶらない。偉ぶらない。
学ぶ側としては、そこに「信頼」を感じるわけです。そして、ひとりの「学ぶ人間」としての姿勢に、「共感」をおぼえるわけです。
信頼と共感…、ここに人が集まるわけです。
朝晩は、肌寒いぐらいになりました。
今月から、毎週月曜日は定休日を利用しまして、奈良の先生のところまで勉強に行かせてもらっています。
その教えを受けるために、全国からも先生方が集まる「有名人」。そして、その風貌は「仙人」。
そんな有名人で仙人な先生は、すごく謙虚で自然体。
「今」に至るまで、特定の師をもたず、独学で勉強し、研鑚を重ねてこられたそうです。その道のりは、試行錯誤の連続です。
自分の足で歩いてきた人は、自分に「できること」、そして自分に「できないこと」を知っています。
後ろ盾があったり、頼るものがある人間ほど、過信し、傲慢になり、暴走するものです。「できること」しか教えてもらわないからです。
この先生、「さー、今の私には、ちょっとわかりませんねー。」て、すぐ言うんです。平気で言うんです。
知識としてあるだけであったり、おそらく「そうだろうな」というようなだけでは、ご自身の言葉にしないんですね。ご自身の言葉になさるのは、確信と経験のあるものだけです。それ以外のものには、「さー、今の私には、ちょっとわかりませんねー。」です。
ごまかさない。知ったかぶらない。偉ぶらない。
学ぶ側としては、そこに「信頼」を感じるわけです。そして、ひとりの「学ぶ人間」としての姿勢に、「共感」をおぼえるわけです。
信頼と共感…、ここに人が集まるわけです。
朝晩は、肌寒いぐらいになりました。