クロが死んでしまった。
死ぬなんて思ってもなかった。若い獣医の先生は「4月までもたないかも」と言ってたけど、最近は食欲もでてどんどん元気になり、うんちも順調に出ていた(畳に、だけど)。「ざまあ見やがれ、クロはこんなに元気だぜ、今日もバリバリ煮干し食ってるぜ、ヤブ医者BABY~~」と言ってやりたかった。
なのに、23日の夜11時過ぎ、連れあいに呼ばれて2階の寝室で見たのは、窓際で倒れているクロだった。あの若い先生、ヤブじゃなかった。
この日、僕は早く帰ったけど、あまりに疲れていたので、2階に行ってクロにごはんと薬をやるのもさぼって飲んでいた。クロが「どうして早く上がってこないんだよ~早く来て撫でろよ~」と怒るんじゃないかと思いながら・・・・。
ここのところ順調だったし、仕事も忙しかったから、クロの側で過ごすのを何より優先する、という誓いは果たされないことが多くなっていた。油断してた。
まだ体が温かい。僕が帰ってから倒れたのかもしれない。クロは「苦しいのにどうして来てくれないの」と思いながら逝ったのかもしれない・・・。ごめん、ごめんね、と泣きながら謝った。
息子が「うるさい、これ以ごめんって言ったら殴るよ」と怒った。そんなことを望んでるんじゃないと。
バイトで遅く帰ってきた娘も泣いていた。
次の次の朝、家族でクロを庭に埋めた。本当に猫の額くらいしかない日陰の庭だけど、クロをタオルケットに包んで、みんなで用意した花と餌とマタタビと、じゃれるのが好きだったスーパーボールを供えた。さいごに、いつもと同じふわふわした毛並みにふれて、もう二度と撫でられないと思ったら、涙が止まらなくなってしまった。
それから3日。今日も、スーパーに行けば「ちょうどいいや、クロが好きなあの餌を買って帰ろう」とか思うし、家に帰って上着を脱ぐと「よし、2階でクロを撫でながらビール飲むか」とか一瞬思う。そして次の瞬間に、「そうだ、もういないんだ」と気がつく。
寝ていても、ふと目が覚めると、クロがあのだみ声でミャアミャア言いながら布団に入ってくるような気がする。
息子によれば、クロは16歳を過ぎていたそうだ。人間なら80歳。十分に天寿を全うしたんだから、泣くことなどないのだろう。
でも、人間なら80歳ともなればそれなりの外見になるから、長生きして良かったね、とか思えるけど、猫って外見じゃわからないから。
特にクロは3歳の時にもらったから、子猫のときの姿って知らないんだけど、やせて顔が小さくなったクロはまるで子猫みたいに見えたから、よぼよぼの爺さん猫だとはどうしても思えなかったんだ。ミャアミャア言いながら甘えてくる子猫にしか見えなかった。そして、これからだんだんと弱って死んでいくんだろうと(ひょっとしたら、家族の愛の力でガンを克服して、あと何年も一緒に過ごせるんじゃないか、とも)思っていた。
それが、こんな形で突然倒れて逝ってしまうなんて。
リンパ腫は、あの子の、大腸以外の部分を確実に蝕んでいたのだろう。
看取ってあげられなかったことを今も後悔している。
でも、ある人に聞いたら、「猫って死ぬときは姿を消すって言うでしょ。うちの猫も死ぬときは窓の外に出ようとしていたから」と言われた。クロもそのつもりで窓に近づいて倒れたのかも知れない。ならば、誰にも見られなかったことはよかったのかもしれない。そう思うことにしよう。
土曜日の炊き出しでもいろいろな人に聞かれて、慰められて、そのたびに涙が出そうになった。家に帰って、息子が黒い服を着ているのを見ても、この黒くてでっかいヤツは元気だが、黒くてちっちゃいのはもういないんだと思うと泣けてきてしまう。
息子は次の猫を飼う計画を立てている。それもいいな。生まれ変わりだと思うから。
クロを埋めたところに、木を植えようというアイデアも一致した。実がなる木がいい。クロが土に還って、それを栄養として育った果実。愛おしんで食べよう。
タイトルは、本文とはあまり関係ありません。
昨日行ったARABAKI ROCK FEST.08で、何年ぶりかで清志郎が歌った名曲。
ARABAKIのことはまたあとで書きます。
死ぬなんて思ってもなかった。若い獣医の先生は「4月までもたないかも」と言ってたけど、最近は食欲もでてどんどん元気になり、うんちも順調に出ていた(畳に、だけど)。「ざまあ見やがれ、クロはこんなに元気だぜ、今日もバリバリ煮干し食ってるぜ、ヤブ医者BABY~~」と言ってやりたかった。
なのに、23日の夜11時過ぎ、連れあいに呼ばれて2階の寝室で見たのは、窓際で倒れているクロだった。あの若い先生、ヤブじゃなかった。
この日、僕は早く帰ったけど、あまりに疲れていたので、2階に行ってクロにごはんと薬をやるのもさぼって飲んでいた。クロが「どうして早く上がってこないんだよ~早く来て撫でろよ~」と怒るんじゃないかと思いながら・・・・。
ここのところ順調だったし、仕事も忙しかったから、クロの側で過ごすのを何より優先する、という誓いは果たされないことが多くなっていた。油断してた。
まだ体が温かい。僕が帰ってから倒れたのかもしれない。クロは「苦しいのにどうして来てくれないの」と思いながら逝ったのかもしれない・・・。ごめん、ごめんね、と泣きながら謝った。
息子が「うるさい、これ以ごめんって言ったら殴るよ」と怒った。そんなことを望んでるんじゃないと。
バイトで遅く帰ってきた娘も泣いていた。
次の次の朝、家族でクロを庭に埋めた。本当に猫の額くらいしかない日陰の庭だけど、クロをタオルケットに包んで、みんなで用意した花と餌とマタタビと、じゃれるのが好きだったスーパーボールを供えた。さいごに、いつもと同じふわふわした毛並みにふれて、もう二度と撫でられないと思ったら、涙が止まらなくなってしまった。
それから3日。今日も、スーパーに行けば「ちょうどいいや、クロが好きなあの餌を買って帰ろう」とか思うし、家に帰って上着を脱ぐと「よし、2階でクロを撫でながらビール飲むか」とか一瞬思う。そして次の瞬間に、「そうだ、もういないんだ」と気がつく。
寝ていても、ふと目が覚めると、クロがあのだみ声でミャアミャア言いながら布団に入ってくるような気がする。
息子によれば、クロは16歳を過ぎていたそうだ。人間なら80歳。十分に天寿を全うしたんだから、泣くことなどないのだろう。
でも、人間なら80歳ともなればそれなりの外見になるから、長生きして良かったね、とか思えるけど、猫って外見じゃわからないから。
特にクロは3歳の時にもらったから、子猫のときの姿って知らないんだけど、やせて顔が小さくなったクロはまるで子猫みたいに見えたから、よぼよぼの爺さん猫だとはどうしても思えなかったんだ。ミャアミャア言いながら甘えてくる子猫にしか見えなかった。そして、これからだんだんと弱って死んでいくんだろうと(ひょっとしたら、家族の愛の力でガンを克服して、あと何年も一緒に過ごせるんじゃないか、とも)思っていた。
それが、こんな形で突然倒れて逝ってしまうなんて。
リンパ腫は、あの子の、大腸以外の部分を確実に蝕んでいたのだろう。
看取ってあげられなかったことを今も後悔している。
でも、ある人に聞いたら、「猫って死ぬときは姿を消すって言うでしょ。うちの猫も死ぬときは窓の外に出ようとしていたから」と言われた。クロもそのつもりで窓に近づいて倒れたのかも知れない。ならば、誰にも見られなかったことはよかったのかもしれない。そう思うことにしよう。
土曜日の炊き出しでもいろいろな人に聞かれて、慰められて、そのたびに涙が出そうになった。家に帰って、息子が黒い服を着ているのを見ても、この黒くてでっかいヤツは元気だが、黒くてちっちゃいのはもういないんだと思うと泣けてきてしまう。
息子は次の猫を飼う計画を立てている。それもいいな。生まれ変わりだと思うから。
クロを埋めたところに、木を植えようというアイデアも一致した。実がなる木がいい。クロが土に還って、それを栄養として育った果実。愛おしんで食べよう。
タイトルは、本文とはあまり関係ありません。
昨日行ったARABAKI ROCK FEST.08で、何年ぶりかで清志郎が歌った名曲。
ARABAKIのことはまたあとで書きます。