清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

日蓮聖人 日隆聖人 日扇聖人 の 教えや お寺の行事などをアップします

- 咲々常住 散々常住 -

2011年02月22日 | 常住寺 行事 できごと 家族

3月1日は、大奥様・清信院様の御一周忌です。

早いもので、もう一年経ってしまいました。

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2月27日には、日泰上人と大奥様の御縁故、親族・寺内教講が参列して、御一周忌法要が営まれます。

大奥様は、ホントにボクらを可愛がって下さいました。親の如く、ありったけのお慈悲を注いで、お育て下さったお方です。今は寂光にて恩師のおソバでほほえんでいらっしゃるコトと存じます。

生々世々。暖かくなる頃にはサクラが綺麗なきれいな花を咲かせます。あっという間に散ってしまいますが、また翌年には同じく綺麗な花を咲かせます。散ったからといって、無くなったのではありません。同じように、人もいつか必ず命が散ります。だけど、たましいが無くなったワケではなく、その人の持つ善悪のご因縁によって、次の一生を迎えると説かれています。

お題目を信じ敬う人には、新たな安らぎの人生が待っているという…。だとしたら、生まれ変わったらまた近い所に生まれ合わせて、大奥様にお出逢いさせて頂きたいと願っております。

【 咲々常住 散々常住 】

法華経の行者には、目には見えないけれども、いつも仏さまがおソバにいて下さり、御守護下さる。ご信心で積んだ功徳は、次の一生も功徳の積める環境に生まれ合わせることができる。

喜怒哀楽の、人間の本能的な、六道を輪廻するサイクルではなく、御題目をお唱えして、御題目で人を救って、御題目で世を利益せんとする人は、生まれ変わりを何度も繰り返す中で、また今度の一生も、功徳が積める環境に生まれてきて、更なる功徳と罪障消滅で一生を終えていく。また次も。そのまた次も。


- DVD -

2011年02月17日 | YouTube 動画 音楽

1980年代の映画『ブレイクダンス』1・2のDVDを買いました。book紀伊国屋の通販サイトにて。欲しくて中古を探してましたが、まだ新品を販売してるんだなぁと驚きました。

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下の写真は、サントラ版のLPレコードです。1と2共にリリースされましたが、1のサントラ版レコードは当時、日本で販売されていませんでした。シスコやタワレコはおろか、業界人が通うウィナーズというレコード店でも扱っておらず、所持していたのはDJなどが海外で買ってきたモノくらいだったと記憶しています。なぜなんだろう?いまでも不思議です。

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2には、かの名曲『ディンダダ』が収録されています。高校生当時、メチャクチャ流行りました。リズムがとりやすいし、なんともかっこいい曲です。いまでも好きだなぁ。

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70年代80年代のダンスブームの始まりは、映画・サタデーナイトフィーバーからだったと言われています。続いてスティンアライブ・フラッシュダンス・フットルースなどが上映されました。
何だかブログの記事としては、他のと比べて浮いてしまった感がありますが、DVD購入の記念に、なつかしの映画とサントラ版の画像を紹介しました。

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- 空気の教育 -

2011年02月11日 | 学び ・ すすめ

お茶の水女子大教授・外山滋比古氏(著)

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「教育のことを薫陶という。これはまさに空気による育成を意味する」、家庭には家風、学校には校風があることを考えてみよう。人間が生活しているところにはやがて、一定の空気、雰囲気が生じる。本当の教育は押し付けや口先だけの注意ではない、子どもを包む家庭や学校の空気こそ、最も深いところに作用する。
【本文紹介】-学校に校風、家庭に家風-
◇◆◇
(著者が、とある小学校を訪れた。)
校門をくぐり奥へ進む。「こんにちは」「こんにちは」とかわいい声が聞こえてきた。こちらをお客さんだと見てとって、挨拶をしてくれたのだとわかると、何ともいえないさわやかな気持ちになった。きてよかった。少し行くと、またほかのグループの子どもが、同じように挨拶してくる。いくらかはずんだ調子でお返しをした。
◇◆◇
この学校では、外来のお客さんには、あいさつすることになっているのであろう。いちいちやかましく言わなくても、それが当たり前になっている。たとえ裏門から入ってきた人でも、よその人なら挨拶をするのである。
◇◆◇
いわば条件反射のようになっているのに違いない。だまっていると気持ちが悪い。おちつかなくなる。かりに万一よからぬ目的で校門へやってきた者があっても、ああいう可愛い声で歓迎されては、心を改めるかもしれない。
◇◆◇
上級生がやってみせていれば、下級生は別に教えられなくても、見よう見まねで同じコトをするようになる。先生の目よりも子ども同士の目のほうがずっとこわい。挨拶をしないでいれば、仲間の目が光る。
◇◆◇
こうして、いつのまにか、一つの気風、しきたりができる。児童にはほとんど当たり前の風になっているのだろうけれども、外から来たものは、新鮮な感銘を覚える。この学校には立派な校風があると思う。
◇◆◇
学校は先生と授業で教育するが、それだけではない。目に見えない空気が、教室の勉強におとらぬ教育をする。
◇◆◇
薫陶というのは、そういう空気によって、いつとはなしに感化されておこる教育の効果で、精神のもっとも深いところに達する。口先だけの教育の比ではない。
◇◆◇
《 形式 × くりかえし × 時間 》 の結果、できる空気のことを、時として「しきたり」と呼ぶことがある。つまり、「文化」である。われわれの家庭に空気が必要だということは、家庭ごとに「文化」が具わっていないと困るということである。それを忘れて、何を教えようとしても、それは要するにペンキ教育にしか過ぎない。そのことをわれわれは三思すべきである。
◇◆◇
常住寺の文化。常住寺のしきたり。これ恩師の御薫陶である。
口唱行に励む。菩薩の思いを忘れない。にこやかに挨拶。いましめを守る。
自分の考えで、恩師のご薫陶を消すな!軽んじるな!
常住寺の良き「しきたり」「文化」を廃らせるな!
次の世代にも、恩師が残して下さった「空気の教育」を、しっかりと伝え残していかねばならないのである。
「欲に負けて空気を濁すな」と、自分に言い聞かせてみた。