人類猫化計画

「基本的な生き方は猫に学べ!」を提唱するイラストレーター●山下セイジの猫並みな日々雑感記

生徒作品展示

2007年12月10日 15時25分01秒 | A学院のこども達

ベッド脇の目覚まし時計を見ると既に正午に近く、このところの最遅起き、ただでさえ、矢の如く過ぎ去る日々において、午前中の時間を奪われたようで少し悔しい。

若い頃から基本的に夜型の体質だが、今年は夏の初めくらいから、生体バイオリズムの変化というか、初老の兆候なのか、ここ数十年で最長期間、人並みに早寝早起きの暮らしが続いていた。

ここのところ、夜型体質が戻ってきて、昨夜はベッドに潜り込んだのが既に明け方。先週半ばくらいから、年末進行、前倒し締め切りの仕事をかなりのテンションで仕上げたが、零細フリーランスに仕事納めの祝杯を上げる仲間もおらず、ひとり夜更かしをご褒美とした。

しかし、特に冬場の夜型生活は、起きてしばらくするとすぐに黄昏が迫り、一日の終わりを早々に実感することで、無為に日々を過ごしているような気持になり、あまり精神衛生上よろしくないように思う。

人並みの早寝早起きをしばらくやってみて、色々と効率がいいことが多く、なにより一日が長く感じられる。それなりに年を取ってきて、成すべき事への焦燥感が強くなってきた。Time and tide wait for no man. もちっと早く起きるようにしようかな。

ところで、先々週のことになるが、アンデルセンの生徒の工作作品が提携校主催の展覧会で展示されることになり、提携校生徒達によるパフォーマンスもあるというので、会場の鶴見会館まで生徒を引き連れ、見に行った。

パフォーマンスは和太鼓、朗読劇、今風ヒップ・ホップ、バンド演奏、等あり、いずれも高校生レベルの想像を超えない出来のものであったが、見ていて懐かしく、微笑ましいものであった。

中でも、お世辞にもお上手とは言い難いロックバンドがあって、スモーク・オン・ザ・ウォーターをやるんですが、あの楽曲、世代を受け継いで不滅だなあ、と。一応、マーシャル・アンプ、モニター・スピーカーもセッティングされていて、メンバーの子達、カッコつけてモニターの上に足を乗せて演奏するんですね。カッコいいことをやろうとするとものすごくカッコ悪くなる見本のような。ギターの子がステージから客席まで下りて来ようとして、シールドが抜けちゃったり。申し訳ないけど、死ぬほど笑わせて頂いた。

我がアンデルセンの展示物は、手前味噌ですが、他校生徒の作品群の中でもひときわ輝いていたな。他校生徒作品は、正直あまり見るべきモノがなかった。高校生あたりの作品というのは、ヘタウマにもなりきれず、かといって技術的には拙いのであまり面白くない。偉そうに言うようですが。

アンデルの生徒達、たぶん、いまままで自分たちの作品が晴れやかに展示されることなどなかったと思われるので、良い機会になったのではないか。件の高校生ロックバンドをくさしていたK君、表現とはとてもとても恥ずかしいものなの。みんな、その「羞恥の川」を乗り越えて一流になるんです。その辺、わかってね。


画像はとりあえず選んだ3点。いずれも段ボール工作による恐竜、作り方の手引きは既出の工作本から拝借、教室にあったがらくた類を使用し、各自が自分のアイデアで改変を加え、各自で命名した。

画像左:H君作「エンジェルレインボーサウルス」。全高50センチくらいの大作。彼はこれを完成させるのに学期をまたいで、3か月くらいかけた。天使の輪はなんかのボトルのパーツだったかな。本人が書いたこの生物の特徴は「性格は優しく、いつも僕らや地球を見守っている。身体全体が虹のように輝き、虹を作ることが出来る」ということだ。ちゃんと天使の羽根もついている。本人も優しい性格の持ち主。

画像中:S君作「愚弄殺(ぐろうさい)」。なんとも凶暴なルックスではないか。命名センスと作品に付けられた「俶蕗刺句」の「族旗」に見られるように、彼は難しい漢字を携帯で拾ってくるのが趣味。針金で作った「move」は彼の好きなグループ名。首に巻かれたチェーン、リングは彼の私有物。写真では見えにくいがチ○コもついている。本人がつけたい、と言うので「表現の自由」の観点から許可した。

画像右:K君作「イエローハート・ツンツン恐竜」。イエローハートとは、彼が大好きなXジャパンのヒデ(故人)の愛用ギターのこと。パンク風つんつん髪は古い絵筆の穂先を切って着色したもの。片側側面には壊れたラジカセの基板やパーツがはめ込まれている。この生物の得意技は「サスティーンをきかした音で相手をメロメロにする」ということだ。

教室のオブジェ

2007年11月29日 16時53分23秒 | A学院のこども達

アンデルセンでは、いつの間にか、教科全般、何でも教えるようになったが、美術工作の指導歴はそこそこに長い。最初の頃は見た目がそれなりにいいものを生徒に求め、だから指導は手取り足取り、懇切丁寧を努め、技術的に難しい部分は手を貸した。

「先生、ここ、どうやんの?」、「先生、これから、どうしたらいいの?」、「先生、ここ、できなーい」と言われれば、「ほい、ほい、ここはな、こうやってな、こうするんだ」と指導している側から、別の生徒が「せんせーい」。「ちょっと、待て、すぐ行くから」などと、指導は多忙を極めた。中腰指導で腰も痛めた。

あちこち巡回し気がつけば、ほとんど物言わぬ子等は、いっこうに手が進まず、手つかずの自らの作品の前で居眠りを始めるわけで。仕方ない、「こうしてみたら、ああしてみたら」と手を貸す結果となる。

で、まあ、そこそこ、それなりの作品が出来上がり、「いいじゃない」と誉めると、そこそこ、それなりに生徒も満足するのであった。そのことが、なにかしらの自信に繋がるのではないか、自信を与えるのが教育の成果ではないか、と思っていた。

いつぞや、そこそこ手を貸した生徒の作品を誉めていたら、「でも、これほとんど先生が描いたから」と言われ、自分の指導方針に疑問を持ちはじめたんですね。自分の求めるものを生徒の作品に反映させたい、というのは、ある意味、指導者のエゴであろうと。彼らはプロになるわけでもないし、もう少しほったらかしでやってみようと。その方が楽だし(笑)、などと思い始めた。

「ほったらかし」というのは、つまり字義通りの「放任」、放ち任せる、生徒個々の自由な意志に任せる、ということ。創作指導というのは、手取り足取りもあろうが、自由な創作の意志が個々の心に「良い感じに」芽生える、という状況を作る、ということも大切であろうと思う。そういう指導テクニックは、口幅ったいが、そんなに簡単ではない。釣り道具については十分に説明するが、釣り方については余り教えない、ということ。

生徒はこうしたい、と思うが、こちらは長年の経験から「それは上手くいかないだろう」という見込みがある。かつては、「そうするより、こうすれば?」と指導した。それで、まあ「想定内」に上手くはいく。しかし、そいつはダメだろうというところを敢えてやらせてみる。ほとんど上手くいかないだろう、と思いきや、けっこう面白いことをやってくれんだね、彼らは。

「ほったらかし指導」がすべて上手くいくわけではないが、指導方針を変えて数年、僕自身が楽しめる作品が増えた。多分に「ウケ狙い」の課題が増えたことについては、これも指導者のエゴであろうと思うが、あまり反省はしていない。


画像左:工作の時間、生徒が一生懸命作品を作ってるそばで、「放任指導者」が暇になり、そこらにあった発砲スチロールとみかん、がらくた等で創作したオブジェ『くわえ煙草の犬』。

画像中:『くわえ煙草の犬』の生徒数人によるモディファイ・バージョン(「画像左オブジェ」を教室に放置後1時間経過したもの)。微妙に汁が垂れているみかんが鼻汁みたいでリアル。

画像右:『くわえ煙草の犬』をモチーフに、生徒数人による、ほぼ別物となった『プロペラ・けろよん君』(『くわえ煙草の犬』を教室に放置後1週間経過したもの)。
突っ込んだ飛行機、食いつこうとするジョーズ(いずれも生徒作、ペーパークラフト)、軍手のFサインが腐れ官僚主義を痛烈に批判している。(ホントか?)

三ツ沢ギョーザ合宿

2007年11月15日 13時47分00秒 | A学院のこども達

いやはや、爆睡してしまった。

昨夜は10時頃、テレビを見ながらコタツでうたた寝、深夜に目が覚めたが、そのままベッドへ。今朝は7時頃、いったん目が覚めたが再び眠りに落ち9時頃、ようやく起き出した。延べ10時間あまり、よく寝た。まだ、「眠りの虫」が脳内に漂っている感じ。

先々週あたりから、所用雑用そこそこ忙しく、身体が眠りを欲していた。たらふく眠って起きれば、今朝もここ数日の小春日和。世の中、身辺いろいろあるが、とりあえず本日はごく平和なたたずまいだ。

日記にアップしようと思いつつ、時が流れてしまったが、今月5日、6日と横浜、三ツ沢にある三ツ沢公園青少年野外活動センターでアンデルセンの合宿授業を行ったのだった。
http://www.yspc.or.jp/mitsuzawa_yc/

年に4回行う合宿授業の年度最後の合宿となる。3年生にとっては、3年間、12回の合宿のオーラス。社会人となれば、こういう施設に再び訪れることは、まずないだろう。卒業生の多くが楽しかった思い出として合宿授業を挙げる。

仮に勉強がさっぱり身に付かなかったとしても、楽しい思い出だけはしっかりと胸に持って卒業して欲しい、と念じつつ、合宿授業に関わって16年。かつてはもっと多く合宿授業を行っていたから、延べ100回以上にはなろうか、アンデルの子達と合宿を共にした。こちらも語り尽くせぬディープな思い出の数々があるわけで、それはもう本当に「語り尽くされない」。

ともあれ、年度最後の合宿、ここ数年、料理長を拝命された僕としてはなんかこう、新機軸的な合宿料理メニューを提案したかった。毎年、この三ツ沢合宿は野外活動より調理に重きを置くことにしている。野外炊事だと日が暮れるのが早く、もたついていると暗がりで炊事しなくてはならない羽目になったり、それに屋外活動をするにははやや寒い時期である。ここは比較的屋内厨房施設が充実しているので、午後はびっちり調理実習に当てることができる、という理由から。

通常の野外炊事では、定番カレー、豚汁など、みんなで薪割り、火起こし、材料準備、飯ごう炊さん、等、作業を分担し、大鍋で大量にこしらえる手順だが、こうすると、どうしても手先の器用な子、リーダーシップを取り仕切りたがる子がメインとなり、引っ込み思案、消極的な性格な子は、ただただ、言われたままに動くことになってしまう。指示されなければ何もしない、できない。

で、この最後の合宿は、生徒一人一人がそれぞれの能力の中で自分の食べる分については、最初から最後まで自分が関われるような料理メニューを考えようとしたわけですね。

昨年はオムライスを作った。『三ツ沢合宿、ドタバタキッチン「オムライス編」』
http://blog.goo.ne.jp/seijiyamashita/e/f36e21424ca37903e8528975c3c0044d


「ドタバタ」になることは想定内ではあったが、何もせず、ぼんやりとしている間に料理ができて、ただ食べるだけ、という生徒にとっては「身に付く」調理メニューであったのではないか、と思う。

それで、今回もオムライスという案もあったのだが、やっぱし、あれは大変だったなあ、疲れたなあ、という反省あり、色々熟慮した結果、今回はギョーザでいこう! 生徒一人一人が自分の食べるギョーザについては具を皮に包み込む作業をやる、楽しそうではないか、いいではないか、と思ったのでした。

事前に、白菜などの水気を徹底的に絞り取ることが肝心、とか、フライパンに投入するお湯はやや多めがよろしい、とか、最後にごま油をちょいちょい、等おいしいギョーザを作るコツ等の情報を入手し、来るギョーザ合宿に備えたのだった。

さて、全員で今回21名参加のギョーザ合宿、結果から言うと「大成功」でございました。やや、時間は押したが(想定内)、一人一人、思いの外、なかなかお上手にギョーザを作ることができ、(まあ、指導が良かったからな)、おいしいギョーザを食べるに至り、みんなに大好評を博したのだった。

白菜、ニラ、椎茸、挽肉、ニンニク、ショウガ等の具材の20人強分をごく適当に購入。さすがに皮は出来合いのモノ(ちょっと高い「モチモチ感たっぷり」というギョーザ皮を購入、これがおいしくて功を奏した)、1パック18枚入りを11パック(10パック買って、あとで1パック追加した)購入。

さて、何個のギョーザが出来るか、という算数授業を調理前やったが、即答できる正解者は残念ながらいなかった。
「あのな、これ、単純なかけ算でしょうが、18×11だろが、暗算でやるには、まず、18×10はいくつよ? そう、180だよな、11パックだからあといくつ足せばいいの? そう18足せばいいんだよな、だから全部で何個できるの? そう、180+18で、そう198個だろが、な?」という授業内容。

198個というと、参加者21名、一人何個食えるの? という問題はウチの生徒にはちょっと難しくてやめたが、およそ一人10個弱、この時点ではいつものように少し買いすぎたかな、という思いがあった。

さて、材料を準備し、ほとんどみじん切りでオッケー(しゃれた切り方はできない)なので、厨房にある包丁、まな板、ごっそり出して、全員でザクザクトントンとやらせる。屈強な男子に力の限り、切った野菜の水気を絞らせ、分けたボウルに挽肉投入、用意したビニール手袋を付けさせ、ほぼ全員でニチャニチャと。

肝心の味付けは料理長担当、塩コショーごま油醤油少々&料理長お得意の「中華味」をばんばん投入、生挽肉故、味見ができないのでものすごく「適当に」下味ごしらえ。

そして、わいわいと全員でギョーザの皮包み作業に。そこそこ器用な子はお上手に、ダメな子はダメななりに、ギョーザが出来上がっていく。自分の分を一応6個と定めて、あとはおかわり分、皮がある限り、どんどん作ってもらった。

ここでほとんど奇蹟みたいなことが起きるんですね。「先生、もう中に入れるモノがないよ」と言われてみれば、残った皮は2,3枚、ボールにへばりついた具材をかき集めて、材料はぜーんぶ綺麗に使い切りました。

皮の枚数と具材がぴったり合って、一番驚いたのは僕自身。何せすごく適当に材料を買ったから。どちらかが余ることを想定して、中華スープ(同時に作った。もう「中華味」に頼り切りのスープなんですが)に入れようと思っていたのだが、こんなにぴったりだとは、思わず感激してしまったな。

焼く時は、フライパン総動員、各フライパンに二人分、先生が一人一人付いて焼き方コーチを。少し焦げてしまった子もいたが、味の方はばっちり。我ながら上手くいったわい、と思ったね。生徒全員完食。

翌日の朝食メニューは手のかからないパン、ハムとキャベツのコールスローを。次にいつもなら餅つきをやるのだが、変更、各自の昼食を各自で作ってみよう、という創案で、「おにぎり弁当」を。おにぎりをお椀にラップ方法で各自に作らせた。「たこウィンナー」の作り方も指導。退所後、公園でおいしくおにぎりをほおばったのでした。

今回のDo It Yourself合宿、食材もほとんど余らず、生ゴミの量も非常に少なかった。合宿料理長としてはほぼ満点の仕事であったと自賛する。


画像上左:生徒達が作ったギョーザ、良くできてます。それなりに、ね。
画像上右:S君作焼きギョーザ、うーん、旨そうではないか。
画像下左:朝食のコンソメスープを生徒に取り分ける料理長
画像下右:おにぎり弁当見本例(料理長作)

野外炊事で白味噌豚汁

2007年10月11日 23時09分43秒 | A学院のこども達

昨日、一昨日とアンデルセンの合宿引率。場所は相鉄いずみ野線、南万騎が原駅から徒歩10分の横浜市こども自然公園青少年野外活動センター。
http://www.yspc.or.jp/kodomo_yc/

ここは4度目になるか。「こども自然公園」内にコッテージ風の宿泊施設が点在するなかなか雰囲気のある場所。横浜市内であっても、この野外活動センターがある旭区は駅周辺を抜けると緑濃き自然が多く、近隣にズーラシアなんかもあるところ。

ここ数年、合宿野外炊事料理長をやっているが、今回も昨年同様、薪割り飯ごう炊さん、カレーについで定番の豚汁にした。

数日前、友人のブログで白味噌仕立て、フレッシュトマト入り豚汁のレシピが書いてあり、何かちょっと変わったことをやりたい性格、これでいこう! と思ったのでした。

失敗すると生徒が可愛そうなので、班を二つに分け、一つの班は「白味噌(西京味噌)仕立てトマト入り豚汁」、もう一つの班は「普通の味噌(信州味噌)仕立て」を「保険」の意味合いと味比べしたら楽しかろう、ということで二種類の豚汁を作ることにした。

前回豚汁合宿の折、野菜類植物性グルタミン酸、豚肉動物性イノシン酸の「うま味成分」の出具合は水煮の方がより効果的であった、という実験結果も得ていたことから、両方とも材料を水から煮て、味付けの段階で一方は白味噌オンリー、もう一方は普通の味噌で味を整えた。

普通の味噌味の方は、大鍋いっぱいの量について1パックの味噌で塩加減ばっちしであったが、白味噌仕立ての方は1パック投入しても薄味であったので、もう1パック弱を投入、塩も適当に追加、聞いていたとおり、クリームシチュールックスの豚汁となった。

トマトは大鍋一杯分の量に対して2個投入、生徒が「ええ~! トマト入れるの~、嫌だ~」とか言っていたが、無視。

さて、出来上がり、白味噌仕立てトマト入りクリームシチュー風豚汁を食べるに及んだが、甘みのあるまろやかなお味、トマトの酸味がほんのりと効いて、うーん、いいんじゃないかい、いけるんじゃないかい、と満悦したのでした。

生徒達にも好評を博し、料理長としての責任は果たされました。ただ、普通の豚汁(これも普通においしかった)を作った班の生徒達の多くは普通の豚汁ばかり食べ、白味噌豚汁を作った班の生徒達はこちらばかり、という具合で、食べ比べようという生徒はわずか。

何なんだろう。自分たちが作ったという愛着は分かるにしても、そこら辺の「好奇心」というのが全般的に薄いなあ、ウチの生徒達は、と思ったのでした。

その後、後片づけ、所長さん企画の室内レク、入浴、就寝(同行講師達といつもの事ながら「夜更けまで教育談義」、これが合宿が疲れる最大要因)、翌朝起床後、朝食準備、朝食、片づけ、清掃、昼食、公園散策、駅解散と、生徒達に何ら問題もなく、今回はごくスムースに全行程を終えたのでした。

個人的には、このところのヘタレ腰、今回の合宿はやや不安であったが、キネシオテープを貼り、さらにサポーターベルトという完全装備で参戦、とりあえず腰関係何事もなく、無事終了しました。


画像:上が白味噌豚汁、下が普通の味噌豚汁。

くろがね合宿07

2007年06月28日 01時52分57秒 | A学院のこども達

毎年この時期恒例のアンデルセン「くろがね合宿」に引率講師の一人として参加してきた。

横浜市くろがね青少年野外活動センター
http://www.yspc.or.jp/kurogane_yc/

過去日記でも触れたことがあるが、ここは僕がアンデルセン高等学院に関わりを持つようになった1991年以来、毎年訪れているところ。いままで幾多の宿泊施設で合宿授業を行ってきたが、最も好きな場所のひとつ。

木々に囲まれた小高い丘に立地し、とりわけこの季節、植物の息吹くエネルギーに満ちあふれた環境の中での一泊二日は、身体中に「葉緑素パワー」が取り込まれていくようでフィジカル及びメンタル面で御利益があるように思える。

合宿メニューのメインは薪で火をおこしての飯ごう炊さん。例年、定番のカレーライスだったが、「カレーは飽きた」との生徒の声が多く、今回はハヤシライスにしてみた。ハヤシライス&キャベツのツナサラダ。

多人数(今回は20人)で調理をする場合、食材の分量というのがなかなか難しいところで、ここ数回の合宿では多からず少なからずいい感じで食材を使い切っていたが、今回はかなり余らせてしまった。数年前から、図らずも「合宿料理長」となった僕としては色々と反省点が残った。

大きな鍋で多人数分のカレーなどを作るとき、つい水を入れすぎ、ルウが足りなくなって味の薄い「スープカレー」になることが往々にしてある。ルウの箱に書いてある「何皿分」という標示の少なくとも倍くらいを目安にルーを用意しておくと良い。

今回、いつものカレーからハヤシライスに変えたことで、水の分量について感覚がやや狂い(ジャガイモ、にんじんを入れないという具材の違い)、「スープハヤシ」と相成り、薄めな味は塩をぶっこみ調整するも味はイマイチであった。残念。

ウチの生徒は与えられた食べ物については、不味いだの嫌いだのという言葉には出さない(思っていても)いい子達ばかりだが、あまり美味しくない物は食が進まないようで、いつものカレーのように勢いがなく、ルウもご飯もかなり余ったのだった。

余ったルウは翌日の朝用、ご飯はおにぎりにして夜食用にとしたが、薪で炊いたお焦げご飯のおにぎりは美味しいのにいまどきの子達にはイマイチうけず、あまり売れなかった。生徒が寝静まった深夜、自分で握ったお焦げおにぎりをさほど空腹でもなかったのに、4個ほど食べた。不本意にして太る母の苦労というものが理解できた。

翌日の朝も普段であればパンと玉子系の朝食が多いのだが、これは僕の独断で素麺にしてみた。素麺だけでは淋しいかなと思い、つきあわせにフルーツをあしらえた「トロピカル・ソーメン」をやってみた。

本当はスイカ、メロン系でやりたかったがちょっと値段が高かったので、たまたまスーパーで目についたパイナップルをしこたま購入、個人的には苦手な果物のグレープフルーツもしこたま購入、これは単に安かったから。

この2種類の果物、生徒達には不評だったみたいで、しこたま余らせてしまった。帰り際、半ば強引に各生徒に「お土産」として持たせ、なんとか食材を捨てるという罰当たりな行為に及ぶには至らなかった。

料理のセンスは悪くない方だと自負するが、何せ普段ほとんど’料理をすることがなく、そういうことに関してはフランク大雑把なので失敗もよくする。また「賢い買い物」というのが苦手なので大量に買いすぎる傾向もある。

というわけで、今回の合宿、合宿料理隊長としては45点くらいの出来だった。どなたか料理上手、買い物上手な女性でも男性でもアンデルセン合宿の料理隊長を買って出てくれる方、求めております。(ボランティアで。苦笑)


画像上:野外炊事場で職員の方の野外炊事講習を受ける生徒達。飯ごうの外蓋で3合、内蓋で2合のお米が量れる。2種類の蓋を使って11合のお米をどうやって量るか? という毎年出される「難問」を考え中。
画像下左:翌日の朝の「トロピカル・ソーメン」。総じて不評であったが、彩りという点ではまあ、いけたのではないか。
画像下右:センター敷地内一角でカタツムリを発見、随分久しぶりに見たように思う。よく観察するとちょっとキモイ。

最近の出来事ーその1「かんたん工作・カズー」

2007年06月25日 15時41分27秒 | A学院のこども達

ところで、ウチの生徒は口笛が吹けない子が多い。この前、音楽の時間にウクレレ伴奏でクラシック愛唱歌「上を向いて歩こう」をみんなで歌ったのだが、口笛のパートでそこそこ吹ける子が12人中、たったの二人。

吹いてみせると「いいな、いいな」と言うので、口笛指導となったのだが、口笛の吹き方というもの、教えるのが難しい。

「こうやって、口をすぼめて、えっと、舌は下の歯の裏側に当てる感じかな、それで、ヒューと息を出して…」と教えるのだが、教わる方は全然要領を得ない。

そのうち、教える方も教わる方も挫折して、「ま、いいか、そのうち、音が出るようになるよ」と気慰めを言って口笛吹き方指南は頓挫するのだった。

そんなことがあって、思いついたのがカズー。ラグタイムやホンキートンク系のお気楽音楽で使用されるかんたんお手軽楽器である。

ブリキでできた赤ん坊のおもちゃのような楽器。昔、僕も持っていた。裏声で適当に唸れば、ちょっと間の抜けた管楽器のような音を出す。

これならウチの生徒にも演奏できるのでは、と。買うのも何だし、工作で作れないものかと、ウェブチェックしたら牛乳パックを利用して作る工作例が出ていた。見るからに簡単そうでこれならウチの生徒にもすぐできるな、と。

で、作ってみました。(アップ画像参照)

超簡単、普通の人であれば5分もあればできる。でも、さすがウチの生徒、カッターで穴を空けるのに悪戦苦闘、ラッパ部分の円錐形を形作ることができない、輪ゴムがうまく結わえられない、等あって、授業時間2コマ分費やしてしまった。

とりあえず出来上がって、みんなしてう~う~唸りました。僕が「パトカーがサイレンを鳴らして現場に急行して止まるところ」の芸を披露すると、クラスの中でもそういうのが得意なK君が「暴走族が信号待ちでぶんぶんエンジンを吹かしているところ」を披露。なかなかお上手だった。

そのあと、ストローを適当な長さに切って、先っぽを山形に切り口にくわえ、鳴らす、というのも教えた。これ、けっこうでかい音が出るのです。

ひとしきり、みんなでう~う~、ぴーぴー、してるうちに酸欠状態になってふらふらする生徒続出。まあ、大丈夫でしたけど。


画像に作り方を記入しましたので、是非トライしてください。♪オーウェンザセイン、ゴーマーチンニン、聖者の行進あたりがおすすめ楽曲です。

三ツ沢合宿、ドタバタキッチン「オムライス編」

2006年11月08日 20時38分33秒 | A学院のこども達

一昨日、昨日とアンデルの年度最後の合宿授業、横浜市三ツ沢公園青少年野外活動センターに生徒達を引率。今回は初日のみであったが、僕の知り合いの編集者2名も特別参加、広域通信制提携校先生も2名参加ということで、助っ人も多く(大分手を抜けたので)助かった。

編集者諸氏は別件酒席で僕が彼らのことを話したことから、本作りの企画が持ち上がり、どういう子達か、百聞は一見に如かず、ご覧になっていただこうと僕が招待した。

ウチの生徒は基本的に新しい人が好きで、純なところがあるのでうち解けるのにそんなに時間はかからない。日頃のドタバタぶりを見て頂くには合宿授業は最適だと思ったのだ。編集者諸氏もこういう子達と接するのは初めてだろうから、新鮮な体験だったと思う。

今回我々の担当になった、まだ経験の浅そうな野外活動センターの若い女性職員もウチのような生徒には初めて接したらしく、食後のレクリエーションなどの企画も初々しい「リキ」が入っていて、好ましく思えた。

僕は随分長い間彼らと関わっているから、「初々しさ」はとうになくなり、こういう仕事に就くとありがちな「理想に燃える初期情熱」→「経験を積み重ねることで生まれる自信」→「現実の壁を体験し、ルーティンワークになる落とし穴」→「無力感を覚え、『燃え尽き症候群』症状」といった仕事に対する姿勢の変化をすべて体験してきた。

結局、僕は「自分自身の人生が好ましい方向に向き、ある程度満たされていないと他者に対して手をさしのべることはできない」という結論に達し、50を過ぎたあたりから、「自分のために生きる」ことを人生の目標とした。

たまたま、僕の場合は幸運にも多少絵が描けたので、イラストレーターとアンデルのパートタイム講師という二足わらじを再度履くことにして、ここまで長く関わることが出来た。これがフルタイムの仕事だったら、到底ここまで長くこういう仕事に関わることは難しかったと思う。

ということはさておき、今回の合宿の夕食メニューはオムライスにしてみた。いつもはカレーだの豚汁だの、どっさり短時間で作るのが比較的簡単な料理を合宿メニューとしてきたが、いつも「動く子」は動き、「動かない子」は動かず、いつぞやの合宿の時、何年も合宿を経験しながら米の炊き方すら満足に知らない子もいることがわかって、これはどうしたものかと思ってきた。

家で母親などが忙しいとき、またいずれは自立せねばならぬわけで、自分の飯くらい自分で作れるようにさせたい。今回は助っ人も多そうなので、少なくとも最後に玉子を割りほぐし、チキンライスに巻き込むところは一人一人でやる、というところをメニューの主眼としたわけだ。

引率講師、ゲスト含め20人あまり、いちどきにそれぞれオムライスを作るわけで、効率が悪いことは想像できたが、案の定ドタバタし、予定より1時間もおしてしまった。

手際よく作れる子も中にはいたが、概ね要領の悪いこと甚だしい。玉子を割りなさいと言われ、片手で玉子をぎゅっと握りしめた子もいた。いつまでもフライパンの卵焼きを見つめていて真っ黒焦げになった子も。

で、指導にあたる我々も大わらわ、ドタバタ炊事となった。でもまあ、形は悪くても味は変わらない。最後にオムライスの上にケチャップで自分の名前を書いて出来上がり。チキンライスの味の方は僕が適当にやったが、まあまあ好評だった。

二日目は恒例の餅つき。昨年の日記にも書いたが、僕は「腰に爆弾」があるので餅つきなどという行為はタブーであるから、写真班専門。つきたてのお餅はきなこ、のり醤油、あんこなどでいただいた。美味しかったが、前日の歯の治療の際、仮に詰めていた詰め物が取れてしまった。で、それも一緒に飲み込んでしまったのだった。


今回の合宿が年度最後の合宿となった。卒業生の多くが、学院生活の中で「合宿が一番楽しかった」と言う。今回の合宿も多くの生徒が楽しいと思ってくれれば、それが一番だと思う。


画像左:ケチャップで名前を書いて出来上がり。ちなみにこれはあいこさん作、彼女は手際も良かった。ポテトサラダも良くできました。

画像右上:恒例餅つき。今回はK君、S君コンビが大奮闘。息も合ってたし、粘り腰の美味しいお餅がつけました。

画像右下:集合写真を撮るときのかけことば、「院長の頭は?」と言うと、全員が「バーコード!」と言ったところでパチリ。

アンデル美術「モナ・リザを描く」

2006年05月30日 03時18分08秒 | A学院のこども達

今年度アンデルセン美術課題第1弾は「モナ・リザ」の模写。さすがにウチの生徒にもモナ・リザの知名度は高かった。クラス全員知っていた、とりあえず。

「いくらくらいするの?」と生徒の一人に聞かれ、答えに窮した。以前、授業で有名な絵画というものが、いかに高いかを生徒達に話したことがあるからだ。

おそらく現存する絵画の中で最も値段が高いと思われる。ただ、ルーブルがこの絵を売りに出すことはあり得ない。プライスレスというやつだ。

これまでの絵画作品の最高額とされているのが、2004年のサザビーズのオークションで落札されたピカソの「パイプを持つ少年」で、これが1億416万ドル(約113億円、手数料含む)。

この絵については話題になった時、見たことのなかった絵で、ピカソのパーソナルな絵画史においても重要な作品なのか疑問もあり、113億はちょっとないだろう、と思った。

ピカソ、マチス、ゴッホ、ルノワール、マネ、などポピュラーな画家の代表作は、すべて軽く10億を超えるだろうが、レオナルドのモナ・リザは別格だろう。

仮にフランス政府が財政赤字に窮し、モナ・リザを手放すことを公言したら、いくらの値が付くだろうか。オイルマネーのうなるアラブ諸国の富豪あたりが名乗りを上げるだろうか。500億から1000億円の間くらいか。もっとか。もっとだろうな。1200億円くらいだと僕は思う(ちなみに僕は「何でも鑑定団」のファンだ)。

そんな前フリもあって、生徒達は一所懸命に思い思いのモナ・リザを描いてくれた。デュシャンがモナ・リザにひげを加えて作品とした話をして、「好きなように変えてもいいからねえ」とゲージツに理解ある先生を演じたが、本当のところ、生徒のヘタウマ絵画で笑いたかったのだ。ま、これはいつものことだが。

今回はみな、なかなかお上手で、「笑える」という点ではイマイチだった(不謹慎な先生で申し訳ない)。


というわけで、
画像上:(左)モナリザ原画(右)モナリザに眉毛を描いたもの
モナ・リザの眉については、当初はあったのに経年のため消えてしまった、という説がある。で、描いてみた。けっこう可愛くなった。

画像下:左から
●3年ICさん作「るんるんモナ・リザ」。「先生、変えてもいい?」、「いいよ、いいよ」、「車、描いてもいい?」、「いいよ、いいよ」という指導の結果。
●1年TAさん作「モナ・リザ・イン・ブルーズ」。なんとなくブルーズが漂う。生活に追われ、なかなか希望が見いだせない毎日の中で、ふっと輝いていた遠い日々のことを思いだし、微笑む。「あの頃は楽しかったわ…」みたいな「…」を感じさせる作品だ。
●2年HT君作「モナ・リザ、ゴーギャン風」。彼は僕のイチオシ生徒の一人。彼はゴーギャンを知らないと思うが、色遣いは印象派。マジでいいと思う。
●専攻科1年TYさん作「モナ・リザ、フォービズム風」。ピカソが晩年求め続けていた絵画のエッセンスがここにある。無敵のモナ・リザ。彼女、以前は自分が絵が下手だというコンプレックスがあり、なかなか描いてくれなかったが、今はばんばん描いてくれる。笑った。ありがとう。

味の素工場見学

2006年05月22日 03時48分58秒 | A学院のこども達
先週、水曜日はアンデルセンの社会科見学で川崎にある味の素工場へ生徒を引率。

最近、工場見学がちょっとしたブーム、ということらしい。お手軽でお金もかからず、ちょいと茶飲み話ネタも作れようということでウケているのかもしれない。

僕は仕事柄、神奈川県下の見学可能な工場はかなりの数を訪ねているが、今回の味の素は初めてだった。見学可能な工場の見学内容についてのランク付けをするなら、味の素工場はAーというところか。

Aランクを付けたのは、親切、丁寧な見学者対応(おねえさん2名、工場内を巡るバスの運転手さんも笑顔で対応)という点と「おみやげ」の多さ(クックドゥー「青椒肉絲」、レトロパッケージ入り味の素小瓶、スポーツ飲料、エコバッグ、手帳、等)の2点において。マイナスを付けたのは肝心の工場内に見るべきものがなかった、という点だ。

食品関係の工場は衛生上、見学コースのガラス越しに見ることが多いが、ガラス越しに無機的な製造ラインで続々と製品がパッケージングされている様子を見てもあまりおもしろいものではない。コンピュータで制御されたラインは働く人の姿もほとんどいないし。このあたり、最近の工場は似たようなものだが。

味の素について、一時期、「たくさん摂ると身体に悪い」、「頭痛の原因」など良からぬ風説が立っていたことがあるが、なぜそのような悪評が立ったのかお姉さんに聞いてみたら、「それはNHKの料理番組で味の素という商品名が使えず、『化学調味料』という名称にしたことで、化学的に合成した原料を使っていると誤解されたことから始まった」ということ。現在は「うま味調味料」という呼称を用いているということであった。

ちなみに味の素(グルタミン酸)の原料は現在はサトウキビ(過去においては小麦、大豆)で、一切「化学」的なものは使っていない、とのことだ。

「化学」という言葉がネガティヴな響きを持つようになったのはいつ頃からか。公害、環境汚染の問題とシンクロして「化学」はおぞましいイメージを持つようになったと思う。僕の子供の頃は「味の素をたくさん摂ると頭が良くなる」と言われていたような。当時は「化学」はけっこう偉そうにしていたように思う。こいつが後年、いろいろ悪さをするとは思わなかったイノセントな時代だった。

ただ、白い結晶状の粉末というのがどうしても「化学」のネガティブなイメージを具現化したようで、覚醒剤とかコケインとか。中華では半端じゃないくらい味の素を使うらしいが、それで中華は身体に良くない、と思うのはどうも誤解であるらしい。確証はないけれど。

でも、昨今の健康志向食生活において、味の素はあまり出番がなくなってきたように思う。つまり、なんだか「ずる」をする感じだろうか。出汁は手間暇かけて、みたいな。自信のない食堂、というギャグがあって、それは食堂のテーブルの上に塩、こしょう、醤油、ソースと並んで味の素が置いてある、というもの。弱気の食堂というのか。

おねえさんは優しいし、おみやげをたくさんもらって生徒の評判もなかなか良かった。見学が終わり、創業当時の資料などを展示している展示館に行ったとき、明治時代ころの看板を指さしつつ、生徒の一人が「先生はこのころ、何をしてたの?」と僕に聞いた。「まだ、生まれてないわい!」と苦笑しながら答えたのだった。


画像上左:「資料館」に展示されていたポスター。バックの流線型の車は1930年代「マシーンエイジ」のデザインの象徴。味の素と何の関係もないが、なかなかオサレなポスター。たぶん大正年間のものだろう。

画像上右:大正11年、朝日新聞に掲載された「原料へび説」否定の声明広告。「味の素は断じて蛇を原料とせず」と天下に声明した記事広告。これも資料館に展示してあった。面白そうだからぱらぱらと読んだが、「古来より蛇は極めて美味なり、ということから、(同様に美味な)味の素の原料であると誤解されたのであろう」とか書いてある。蛇は旨いのか? 味の素への誤解の歴史は結構古いのだった。

画像下:「味の素音頭」の踊り方図解と「戦後初めてのコマーシャルソング」とコメントのある『赤い小箱』のレコード。中村メイコ、ダークダックス歌、とあった。これはさすがに記憶がない。「味の素音頭」にはたぶん、味の素をパラパラと振りかける仕草が振り付けされていると思う。

アンデルセン卒業式

2006年03月14日 23時38分05秒 | A学院のこども達

一昨日の日曜日、アンデルセン高等学院の卒業式が行われた。今年度はわずか3名の卒業生であったが、家族的な雰囲気の元、つつがなく式を終えることができた。

例年、卒業式は式中の進行や諸事雑用に忙しく立ち回ることが多く、感慨を持って卒業生を送る心の余裕はない。一度くらいは来賓のような立場でじっくりと感じ入ってみたいものだが、終わって「やれやれ」といったところが正直なところだ。

今回の卒業生はアンデルセンでの第十七期卒業生ということで、いわゆる境界児(健常者と知的障害者の「はざま」に位置するこども達)を中心に受け入れ、「社会生活に役立つ教育=自立教育」を基本的な理念に掲げ、設立以来、なんだかんだと二十年ということになる。

僕は91年からイラスト仕事のかたわら、時間講師として関わり始め、すぐにこの仕事にハマり、96年から6年間、専任講師として、首までどっぷりとこの仕事に浸かることになった。「好きであった」ということが仕事のモチベーションの多くであったが、けっこう捧げたなあ、という自負、実感もある。

専任時代後半はいろいろと疲弊、消耗することも多々あり、いわゆる「燃え尽き症候群」を経験した。03年から、また時間講師の立場に戻り、イラスト仕事をやりつつ、今年度は週2回、授業を受け持った。来年度もパートタイム講師として関わることになっている。

関わり始めて来年度で16年目の春を迎える。かつて共にアンデルセンのこども達を見守っていた同僚達もほとんどいなくなり、最古参となってしまったが、縁があって、この仕事に巡り会った。ここまで来れば「沈没」するまで付き合おう、と思っている。


「熱血」していた頃に書いた文章がある。これが僕の初心。来年度は少し初心に立ち返り、新鮮な気持ちで授業ができればと思う。僕にとっては16年目のアンデルセンだが、こども達にとっては基本的にわずか3年間の得難い学校生活であると思うからだ。


画像はささやかだが、アットホームな謝恩会において、歌を歌う生徒達。謝恩会席上で、ギターを弾きながら生徒と一緒に歌を歌うのも、十数年来の恒例となっている。