4月6日(日)9時、JR伊賀上野駅に集合して、いざ伊賀上野城下町へ出発!
中日Web記事
私は上野玄蕃町付近で合流。だんじり会館から知る人ぞ知る「抜け道」を通って(さすがミステリー!!)玄蕃町の通りに出ます。(地図参照)
通称:さまざま園(芭蕉の句碑があります)の通りを語り部さんとともに行く一行。
『伊賀付侍大将藤堂新七郎家の下屋敷のあった所で、貞享5(1688)年に松尾芭蕉が旧主の遺児藤堂良長(探丸)に招かれ、花見の宴を催したとき「さまさまの事をおもひ出す桜かな」の句を詠みました。以後『さまざま園』と呼ばれるようになっていますが、私邸のため非公開になってます。』
この通りは閑静な住宅地になってますので、「静かに通りましょう」と語り部さんに教わりました。
玄蕃町南北の通りから路地を通りますが、昔の人はこんな小さな路地のことを『ひやわい』と言っていたとか。
実は、こんなところにこんな道があることさえ知らなかったのです。一体、この先はどこに出るんだろう・・・???
「おいなりさん?」
正しくは『末光神社』といいます。
土塀があって、井戸があって・・・ここは江戸時代か?
古きよき時代にタイムスリップしたようなひとときでした。
時代劇のセットではなく、まだ現役の町です。
そして、出てきたところは『料理旅館「三田清」(みたせ)』
つづく
中日Web記事
私は上野玄蕃町付近で合流。だんじり会館から知る人ぞ知る「抜け道」を通って(さすがミステリー!!)玄蕃町の通りに出ます。(地図参照)
通称:さまざま園(芭蕉の句碑があります)の通りを語り部さんとともに行く一行。
『伊賀付侍大将藤堂新七郎家の下屋敷のあった所で、貞享5(1688)年に松尾芭蕉が旧主の遺児藤堂良長(探丸)に招かれ、花見の宴を催したとき「さまさまの事をおもひ出す桜かな」の句を詠みました。以後『さまざま園』と呼ばれるようになっていますが、私邸のため非公開になってます。』
この通りは閑静な住宅地になってますので、「静かに通りましょう」と語り部さんに教わりました。
玄蕃町南北の通りから路地を通りますが、昔の人はこんな小さな路地のことを『ひやわい』と言っていたとか。
実は、こんなところにこんな道があることさえ知らなかったのです。一体、この先はどこに出るんだろう・・・???
「おいなりさん?」
正しくは『末光神社』といいます。
土塀があって、井戸があって・・・ここは江戸時代か?
古きよき時代にタイムスリップしたようなひとときでした。
時代劇のセットではなく、まだ現役の町です。
そして、出てきたところは『料理旅館「三田清」(みたせ)』
つづく