ヒジャブの女子高生を守って亡くなられた方は、ヒゲのお兄さん、ツルツル短髪の若いおじさん。いずれも当市にたくさんいそうな、優しく正義感の強そうな人たち。
人生とは、どこから来たのか? じゃなくて、何をしてるか? なんだね。
注:昨日(金曜日)は、ホームレスネスのテント村ひっこり手伝いでバールを振り回し、本日(土曜日)は、コミュニティ果樹プロジェクトの農園で、猫車を押して過ごしていました。重大ニュースに気づいたのは、夕食後でした。
先日の記事について、補足
Sisters of the Road の説明会でのちょっとした違和感について記す;
(忘れないよう、早めに書いていますので、少々毒気が出てしまっているかもしれない。活動自体は120%応援しています)
結論から書くと、団体の人手はかなり足りている。
すばらしく組織化された団体という印象は、その後も変わらない。
ボラ説明会の担当お姉さんも、その後のパフォーマンスを評価されるのだろう。
こうやって選別された説得力のある人材が、外部広報チームとしてぼくたちの小学校にやって来たのだと思う。
団体が、ここまで人をひきつけるのはなぜか?
通りひとつ隔てれば、高級店がならぶ再開発地区。
その店とまったっく同じに作られた(同級生ですから)クラシック・ホテルの一階にあるSORカフェもまた、労働力=人の働きかたを高価にみせるコージーなつくりだ。すし屋とかと一緒だ。
そして、狙っているワケじゃあないだろうけど、ブログ向けの、オサレでおいしそうな食事。活動の写真をみると、だれだって、このコージーな場所に参加してみたい、と思うはず。
発足当初は違ったかもしれないけど。この10年弱、SORの活動は少なくとも視覚的にはジェントル化している。
「どうせボラするんだったら、ゴージャスなほうがいいじゃない?」
そうやって、つぎつぎと社交的な若者がたくさんやって来たのだろう。
自分の才覚を発揮すれば、クラシック・ホテルの階段のうえにある部屋にはいって、より本格的な社会奉仕活動だってできるんだし。
でも、なぜもっと人手が必要なのか?
説明を注意深く思い起こしていくと、人手が必要なのは、もともとホームレス=主要なカフェの参加者の労働力を前提として廻っているカフェチームではない。むしろ、その他の活動なんだろう。
そう考えていくと、SOR焦眉の活動は、食べることよりも、ほかの生活支援。
とりわけ、水周りが問題となっているようだ。
小学校の説明会から始まって、先週のボラ説明会でも、水周りへと向かう道筋が用意されていた。
最初の仕事は、ホールの案内、皿洗いなど厨房、そしてトイレお世話係(荷物をもってトイレに入らないようにする、5分以上使っている人がいたら声をかける、使った後の確認。そういえば、この仕事の説明だけ詳細だった!!)
無料カフェには無料トイレ。全国どこのコンビニでも公園でもデパートでも、清潔なトイレが用意されているぼくたちには少々想像が付かない。でも、NYでもパリでもいったことのある人は、都市のトイレが大問題だっていうことは、知っているかと。じゃあなきゃ、あれだけスタバは流行らないだろう。
ごー
食べ物があふれている時代。
その気になれば、入り口=食べ物のシェアはわりと簡単かもしれない。もちろん、それはゴールデン・テンプルのカレーぐらいに崇高なことだけど。
東郊にあるモールから高速へのランプ。ぼくの一台手前の車が信号で止まる。いつもどおりホームレスが看板を持って近づいてくると、おばさんは笑顔で声をかけながらパン一斤をどん、と相手に持たせる。さっきまでのショッピングの延長のように自然だ。安くはなさそうなSUVにのって、金髪の若きおばさんは、自分ちの買い物と一緒に、いつもホームレスの分のパンを買うぐらい、筋金入りの「シェア」精神で生きているんだろう。
うんちはあふれても困るから、出口のシェアのほうが、ずっと難しい。
「全米一すみたいまち」だそうなこのポートランドでも路面電車の郊外駅では、うっすらと小便のにおいがするときがある。もちろん、誰だってそんな体験をしたくないから、高級自転車の人はなるべく電車に乗らないようにしているんだろう。それは、ブリュッセルや名古屋よりも、カルカッタにずっとにている。(カルカッタとポートランドの人ごめんなさい!)
便所のない街を、どんなにきれいにペイントしても、少なくともぼくはあんまり楽しくないなぁ。と、SW60丁目駅を降りるとき、よく日本で紹介されている「全米一すみたいまち」の写真を思い浮かべながら、と思った。ゴアはあんまり好きでないタイプです。