緋野晴子の部屋

「たった一つの抱擁」「沙羅と明日香の夏」「青い鳥のロンド」「時鳥たちの宴」のご紹介と、小説書きの独り言を綴っています。

ささやかな光

2016-09-20 16:23:41 | 空蝉
10日ほど前から、また父が入院しています。私は相変わらず、息子(名古屋)と夫(新城)と父(病院)と母(

実家・遠江)の間を行ったり来たりで、正直なところ体がきつくて、いったいいつまで続くのだろうと、台風の近

づく空を眺めながら思わず溜息が出ています。


祖母の生前から数えると、入院騒ぎはもう何度目でしょうか。救急車のお世話になったのだけでも、すでに5

回目です。家族のことで苦労の絶えなかった母はよく、自分には何かバチが当たっているのだと言います。

「そんなことではないよ。それに、なんとか乗り越えてこられたんだから、そんなに悪くはないじゃないの」と母

に笑いかけながら、私もふと、(前世で私は何か悪いことでもしたんだろうか?)と思ってしまうことがあります。

でも、そんなはずはないですよね。この世界はもともと非情で、ちょっとした偶然の組み合わせで、とってもい

い人がとんでもない苦しみを背負っていたりするものです。生きているとは、もともと苦界にいるということなの

でしょう。ですから、苦を気にしていてもしかたがありません。もし神様というようなものがいるとすれば、神様

はきっと、この苦界の中から何か光あるものを、自分にしか見つけられない光を見つけ出しなさい、と言って

いるような気がします。

そのほんの小さな、ささやかな光は、このごろでは茗荷と紫蘇の実にありました。

え!茗荷と紫蘇の実? そんなものが光? と思われた方、いらっしゃるのではないですか?  そうで

すよ。光というのは大げさなものじゃないんです。光は雨後の草花につく水滴のように、いろんな所にほんの

少しずつ隠れているものなんです。それは私がここまで生きてきてやっと分かった、数少ないことのうちの一

つです。小さな不幸の偶然が重なって悲劇を生むように、ささやかな光がたくさん集まって、自分の周りを明

るく温かく包んでくれるのです。


私の実家は農家でした。今は母が家で食べるだけの野菜を作っていますが、いつの頃に植えたものか分か

らない茗荷と紫蘇が、何の世話もしないのに毎年勝手に生えてきてくれます。病院通いの間を縫って、その

茗荷を先日母と一緒に収穫しました。それを250グラムずつ小袋に入れて、一袋100円で直売場に出すので

す。あの『沙羅と明日香の夏』に登場した直売場です。老いてすっかり愚痴や弱音ばかりになった母ですが、

畑仕事が好きで、畑で育った野菜が可愛くてしかたのない母は、その茗荷採りの間中、実に朗らかで、きび

きびと私を指導してくれて、若い私の倍以上も収穫するという達者な働きぶりでした。(私、畑仕事って苦手な

んですよね )

それを直売場に並べると、まだ並べ終わらないうちに車から降りてきたお客さんが、「お!茗荷だ!」と近寄

ってきて、その奥さんらしき人が、「これで100円!」と驚きの声をあげました。母は嬉しそうに、「今朝採ってき

たばっかりですよ」と笑顔で言い、「そうでしょう。見れば分かります。いい茗荷ですねえ」と言われると、「そう

ですか?」と満面の笑顔に。ああその顔!その顔が私の光です。私の心はその瞬間ぽっと明るく温かくなりました。


紫蘇の実もたくさんありますが、もう力尽きたので出荷はやめ、家で母とふたりだけで食べることにしました。

つゆの素に一晩漬けておくだけで、とっても美味しいご飯のふりかけになります。その紫蘇の実の摘み方や

漬け方にも母流のコツがあって、それを私に伝授しようとする母の生き生きしていることといったら! 実は

何度も 「ダメ、ダメ、そうじゃない」とか「これでいいのに」といった言い合いがあったのですが、その時の母の

生き生きの中にも、私は光を見た思いがしました。


父の命の蝋燭がずいぶん短くなって、遠からず消えようとしています。母は一人で父を看ていると、どうして

も鬱気味になってきます。来し方を振り返って後悔と愚痴ばかりに。行く末を想像して不安と恐怖に駆られ。

そんな母に日々接している私も、暗澹とした気分に落ち込むことがあります。それでも母にも光はあったので

す。その光を目にすることが、私の光です。


茗荷も紫蘇の実も癖の強いやつなので、十人好きはしないかもしれませんが、嵌る人は嵌る味です。

うちの家族はみんな、と~っても美味しい!と言っています。皆様もお試しあれ。



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