緋野晴子の部屋

「たった一つの抱擁」「沙羅と明日香の夏」「青い鳥のロンド」「時鳥たちの宴」のご紹介と、小説書きの独り言を綴っています。

ライトノベル的とは?

2016-02-15 17:41:15 | 文学逍遥
今回の小説は会話が大事な意味を持つ小説で、会話にかかる比重が高くなっています。 それから、ロンド

(輪舞)させるために、中心・脇役を含めると登場人物が多くなっています。また、現代的な雰囲気を出そうと

トレンディな表現も使いました。さらに字数制限があったこともあり、全体をアップテンポな文体(体言止め等)

で仕上げていました。
 
その初稿について編集さんと会話していた時のことです。

「僕のイメージにある『小説』というものとは何か違う」と言われました。理由として挙げられた言葉は、「セリフ

の多さと今風」「表現のやさしさ」「文章のフットワークの軽さ」です。そして出てきたのが、「ライトノベル的」と

いう言葉でした。

その時私は、 はて? ライトノベルとはどういうものだったろう? と思ったのです。

そう言われてみると、ライトノベルをきちんと一冊読み通したことがなかったことに気がつきました。ただ、ライ

トノベルというものが出始めたころ、20ページほど拾い読みをしてみたことはあります。その時の印象では、

ストーリーや場面の流れが会話で進められ、(小説的に言うと、余計な会話文が多く)地の文が会話の添え物

のようになっているという感じでした。内容は娯楽を重視したもので、平たく言うと、漫画を文字だけで表現した

ような感じです。娯楽小説を馬鹿にしているのではありません。私は優れた娯楽物が好きです。

ですが、そのイメージは誤ったものかもしれませんが、私のそのイメージからすると、私の小説はそれとはまっ

たく別物です。ですから、小説としての表現が下手だと言われたならば、頷ける部分はありますが、ライトノベ

ル的という言葉が出てきたのには驚かされました。

編集さんの小説観はどうも谷崎潤一郎系の、複雑に細工のかかった有機的構成を持つ物語小説らしく、それ

からすれば、私の今回の小説に違和感を覚えたというのは理解できます。でも、小説というのは、物語小説の

ことだけを言うのではありません。ストーリーのほとんどないエッセイ小説あり、風刺小説あり、観念小説あり、

日記小説あり、私小説あり、ハードボイルド小説あり、大半が一人の会話部分で占められている語り小説あり、

あるいは、「ライ麦畑でつかまえて」のように、地の文が読者への砕けた喋りでできている語りかけ小説あり、

その他ありです。小説に決まった形はないのです。あるのはその文章の中の、小説としての魂(透谷のいう内

部生命の働き)だけだと思います。

会話の言葉が今風だからとか、会話の数が多いからとか、フットワークが軽いからとか、それだけで小説的で

ないという考え方(小説とは重厚なものという考え方)は、私は石頭のなせる業だと思っていますし(笑)、くるく

るとロンドする感覚がほしくて、わざとフットワーク軽く書いたのですから、この小説はこれでいいんです。

私の小説がどういう種類の小説に分類されても、描こうとしたものが自分の納得できるように表現できていて、

読者さんの胸にきちんと届くなら、私としては、それで何の問題もありません。

ただ、これをきっかけに、ライトノベルというものに少し興味が湧きました。

ライトノベルって、ほんとうはどういうものなのでしょうか? 私の昔の印象が間違っているかもしれませんし、

今はライトノベルという分野も、もっと進化しているかもしれません。一つ、優れたライトノベルというものを読ん

でみようかと思ったのですが、どれがいい作品なのか分かりませんし、そもそもどれがライトノベルなのかもよ

く分かっていませんでした。集英社のノベル大賞に選ばれているものは、ライトノベルなんでしょうか? 中学

生だった息子に勧められて、たいへん面白く読んだ「銀河英雄伝説」は、ライトノベルなんでしょうか?

ライトノベルの定義なり、特徴なり、もしご存知の方がみえましたら、教えていただけるとありがたいです。



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