緋野晴子の部屋

「たった一つの抱擁」「沙羅と明日香の夏」「青い鳥のロンド」「時鳥たちの宴」のご紹介と、小説書きの独り言を綴っています。

小説の森で - 2.文学としての小説

2017-03-09 11:47:21 | 文学逍遥
 さて、天下の最高学府の堂々たる文学士・坪内逍遥様が、人情世態などを描くという

庶民小説に手を染めた時、世間の驚きはいかほどだっただろうと想像すると面白い。文

化とは常に、旧来の常識(思い込み)を打ち破って進化するものだという好例だろう。


 逍遥は、小説とは『人情世態を模写し、人の心目を悦ばしめ、且その気格を高尚にす

る』芸術だと言った。そして二葉亭四迷がその模写の意味をさらに深め、『虚相を写し

出す』こととしたのだった。けれども二人に少し遅れて現れた若者、北村透谷は、『心

目を悦ばしめ、気格を高尚にする』といったような 快楽と実用 とは、芸術の効能として

はあっても 、文学の本体ではないと主張した。文学の本体はあくまで詩人自身の内部生

命にあると。


 彼のさしている詩とは、形としてのいわゆる詩に留まるものではない。小説もその底

にあるものは詩だ。言うならば、長大な詩なのだ。だから、小説家も広い意味では詩人

であると言える。

透谷は、現実的・時代的ないかなる制約にも囚われることのない、人間という存在が本

来持っている、宇宙の精神につながるような自由な想の世界(内部生命)を重視した。そ

して、その自由な精神から人生・世界を見ることによって感じとられる、理と美を詩に

描きとるのが、すなわち文学であると考えたのだった。彼の『内部生命論』の表現は難

しいけれど、私はそのように解釈した。日本における純文学概念の最初の確立は、ここ

にこそあったと私は思っている。


 その後の長い歴史の中で、作家たちの激しい試行錯誤が展開され、「小説という文

学」の中身はさまざまに変遷し、枝分かれしてきた。それでもある時期までは、文学に

は文学としての意味が追求され、作家たちは真剣にそれに対峙してきたと思う。それ

が、マスコミの商業主義とつき合い始めた頃から崩れてしまった。今では小説をすべて

文学 と呼んだり、物語小説だけを文芸 と呼んでみたり、一定の傾向を持つものをノベ

ル と言ったり、○○小説 と小説の頭に○○をつけたり...訳が分からない。

また、同じ呼び方でも人によって異なる意味に使われたりと、ますます混迷の度合いを

深めているように見える。


 小説・文学・文芸・ノベル・・・言葉には一定の定義がほしいものだ。この異形の森

を眺め回すと、ため息がばかりが出てくる。文学としての小説の樹はどこにあるの

か? たまにそれらしいものを見つけるが、たいていは樹と呼ぶには寂しいような、か

細い木が多いように思う。

 そして、何より残念なのは、自分自身がその文学の樹を植えられないことだ。力が足

りない。まったく、まったく、情けないことだ。