世之介
昨日は2011年11月11日。
午前中には、11時11分11秒という一瞬がありました。「1」が12個も連なるわけですね。
一昨日から何となくその瞬間のことを考えていたので、待ちかまえてTwitterでつぶやくと、結構多くの人々が注目して下さいました。
何が変わる訳でもなく、今までと同じように時は流れているだけなのに、人はどうして数字の連なりに関心を持つのでしょうか?
それは恐らく、かけがえのない「時」というものに一瞬でも意識的に立ち会えるからではないかと、私は考えました。
私達は、通常は「時」の本質を特別に意識することなく生活しています。でもこういう切っ掛けがあると、普段見過ごしている「時」の「かけがえのなさ」を意識するのではないか、と思ったのです。
しかし、よくよく考えてみると、昨日のように数字が並ぶ特別な「時」だけでなく、実はどの「時」も二度とやって来ないものであり、全ての一瞬一瞬は、それぞれにかけがえのないものであることに気付きます。これは疑いのない事実ではないかと思うのです。
どの一瞬も、どのように過ごす「時」も、一度過ぎると二度とやって来ることはない。
私達は、永遠に立ち会うことの出来ない、かけがえのない「時」の連続の中に生きていると言っても過言ではないと思います。将に私達は今・今・今の連続の中に生き、その一瞬一瞬が積み重なって一日となり一月となり一年となり一生という長い時間を過ごすのです。そしてやがて人生を終える「時」が必ずやってくる。
図らずも「過ごす」と書きましたが、生きるということは「過ごす」こと、つまり、時の経過を共に歩む事に他ならないのですね。刻々に生まれ、過ぎ去って行くもの。それが「時」であり、それが「人生」なのだとも言えるのではないでしょうか。
過ぎ去ってしまうものだからこそ、かけがえがない。取り返すことが出来ないから貴い。
しかし、過ぎ去るものは消えて行くものでもある訳です。私達の人生には、様々な喜怒哀楽や栄枯盛衰、悲喜こもごもの種々相が次々と現われてきますが、その全てがやがて消えてしまいます。般若心経に言うところの「空」ですね。
そんなことを考えていると、よく生きるとはどういう事なのか、良い人生とはどんな人生なのかと、更に深い方向に関心が進みます。消え去ってしまう人生を、私達が生きているということの意味を、秋の夜長にじっくり考えてみたいと思います。
文書を拝読しながら、先日「人生は短いよ」という母のアドバイスに心から納得した自分を思い出しました。
過去に「時に癒してもらった」と心から感じていた時期があったので、「過ぎ去っていくということが、決して悪いことばかりではない」ということを実感しています。
確かに時は、貴いもので、一瞬、一瞬を大切にしていきたいと心から思います。
ありがとうございました。
しかし、実際にそれを文字で見て、使われている「過」という漢字を見ると、世之介さんが言われる通りにその元の意味が「過ぎ去っていくもの」の中を「共に歩む」ことであるのだと改めて気づかされる思いがしました。
「過ぎる」「過ぎ去る」更に「消え去る」となると、そこには寂しさや厳しさ、無常感が漂います。しかし同じ「過」という字を用いているのに「過ごす」となると、そのような寂しさ厳しさが和らぐような気がします。面白いですね。
「過ごす」の意味を調べてみました。
「放っておく」「過ぎさせる」「度を越す」などの意味もありますが、主な意味は「時間がたつのにまかせる。月日、時をおくる。くらす。」というものだそうです。
生きることは、絶えず矢のように過ぎ去る一瞬一瞬の連なりを生きることであり、無情なほどの厳しさですべては消え去ってしまいます。「過ごす」という言葉が持つ暖かさは、過ぎ去るものの中にあって過ぎ去ることを見るのではなく、一瞬一瞬新しく訪れてくるものの方を大切に歓迎し、前向きに楽しんで生きようとするニュアンスが含まれるからではないかと感じます。また、同時に何事をも握り締めずに優しく生きていく知恵のようなものも感じさせられます。「過ごす」には「くらす」という意味があるわけですが、この「くらす」という言葉の持つ重みもまた、それぞれに必死で生きておられるすべての方々の貴さと共に、暖かく迫ってくるように感じられます。
豊穣の秋です。各地で秋祭りが行われるにぎやかな実りの季節でもあり、冬に向かい、自然が余計なものを削ぎ落としにかかる厳しい季節の始まりでもあります。同じカードの裏表のようなその両面の境目に生きているこの時期に、過ごすこと、生きることを思うことは、なんとふさわしいことかと思われますね。
ありがとうございました。
また東日本大震災から8カ月目でした。
今こうしてコメントを書いている瞬間も、かけがえのない時間を使っているのですね。
人生のかけがえのない時間を何に使っているか?
その使い道が、人生を大きく左右していくのでしょうね。
過ぎ去るのは悪いことばかりではないというのは、ハッとさせられました。時が癒す…、いい言葉ですね。
流石ですね。今後ともよろしくお願い申しあげます。
津波の映像は何度見ても戦慄が走ります。本当に人生は何が起こるかわかりません。被災地が完全復興するまで、これからも継続的な支援を続けなければなりませんね。
こんばんは。ラムです。
「過ごす」の漢字は、「過去」と同じ字ですね。
今までは意識したことがなく、初めて気づきました。
今過ごしているこの時も、
常に、同時に「過去」となっていっているのですよね。
面白い数字の並びとなる時に、その時を待ちわびて、かけがえのない
一瞬を感じることがよくありますが、何かの記念日にも同じことを感じるなと思いました。
いつもと同じ一日だけれど、その日がくるのを待ちわびて、そのかけがえのない出来事のあった記念の日を思い、感謝したり、かけがえのない絆や愛を想いますね。
ありがとうございます。