『メッサ・ディ・ヴォーチェ』が意味していたことは、単なるいずれかの1音の上での漸強漸弱(ぜんきょうぜんじゃく)(クレシェンド、デクレッシェンド)だけではなかったことは明らかである。
それは広い範囲にかけられた弧線をも歌い通せるような歌い方、歌の旋律の流れを決して断ちきるようなことをしない歌い方、こういうものだったのである。
声をふくらませることのほかに、この場合、声の長さということが加わり、長時間にわかって発声器官を運動状態において持続しなければならない。
筋肉の『もちこたえる仕事』は、個々の筋肉にとってさえ特別にむずかしいことであり、発声器官には共同作業をしているたくさんの筋肉があるのだからこの『もちこたえる仕事』というものが、最高級の問題であるにちがいない。