長時間にわたる発声器官の運動状態において、筋肉の『もちこたえる仕事』を、筋肉の固定、つまり強直的な筋運動に陥ることなしに、やりとげ得るという能力、この能力にこそすべての声楽的訓練の最終目的があるのではなかろうか。
多くは、かろうじて数秒間だけ発声器官を持続して維持できるだけで、しかもそれは、その度ごとに崩れおち、絶えず新たに立て直さなければならない。つまり、思うようにならない筋肉群とのうち続く闘争でしかないのである。
それでは、真の『メッサ・ディ・ヴォーチェ』は決して作ることはできない。
真の『メッサ・ディ・ヴォーチェ』とは、『自然に与えられた能力の卓越した支配力』なのである。