もう30数年前のことです。
家族旅行で行き先に迷った父が道を聞きに尋ねに入った家で子犬が産まれていました。
昔から動物好きだった私は、自分で面倒を見るからとワガママ言いまくって産まれてた子犬を1頭貰うことになりました。
この子が先代犬のジョンです。
当時の私は小学1年生でしたが犬を迎えたことが嬉しく、毎日学校が終ると友達と遊びに行くのにジョンを連れて行きました。
夏は最上川の河川敷を駆け回り、冬は犬ぞりを引き、弟も一緒になって沢山の面白エピソードを残してくれました。
ジョンの犬種はイングリッシュセッター、とても賢い穏やかな子でした。
沢山の愛情を注いでいたのですが、当時の時は昭和。犬は外飼いで人間の残り物を食べるのが当然と思われていた時代でした。
思い返せば生活環境や食事のバランスははどう考えても悪かったと思います。
ジョンは私が高校で寮に入っている時に11歳で虹の橋を渡りました。フィラリアだったのではないかと思われます。
その後ずっと犬を飼いたいという思いを暖めていましたが、嫁と出会い結婚したときに『今の情報力と知識と経済力なら、もう一度ジョン迎えたら天寿を全うさせてあげられる!』という思いが強くなり、嫁と何度も相談しサルーキを迎えることに決めました。
レイが我が家にやってきたときのサークルを組み立てるワクワク感は今もはっきり覚えています。
当時普及しつつあったHPでのサルーキ飼いの先輩たちとのやりとり、手探りでしたが沢山の方に支えられてレイはスクスクと育ち、北は北海道から南は四国一周まで本当の家族としての時間を過ごてきました。
私たち夫婦はかなりの人見知りなのですが、レイがいたからこそ結んでもらった縁で沢山の方々とお会いさせていただき、新しい世界や楽しいイベントにも参加させて頂きました。
そんなレイも先日9歳の誕生日を迎え『20歳の成人式を目指すぜ』と言った矢先に貧血を起こし薬のお世話になってしまいまいた。
貧血は順調に回復し服薬期間も終わり、トイレ散歩も元気に行っていたレイ。
昨日の朝、急に具合が悪くなり自分で歩くことが出来なくなり、そのまま主治医の先生の病院へ連れて行ったそうです。(私は出張の為、嫁メールで報告を受けました)
出張先の私の携帯に届いたメールは『レイ危険な状態』
今朝まで元気にしていたレイが危険?大げさじゃないの?と思いましたが、嫁から届くメールは『脾臓出血の可能性』『呼吸器と低酸素』『意識不明』...。
もう出張の結果の相談とか知ったことではありません。
帰宅して真っ直ぐ病院へ駆けつけ、レイと会った瞬間に状況は理解できました。
レイ、私が病院に着いた一時間後の平成24年7月6日20時25分に永眠しました。
最後まで頑張ったレイ。
主治医の先生は、きっと持たないと知りながらずっと心臓マッサージを続けてくれました。
病院のスタッフの方はレイが呼吸器をつけている間、ず~っとブラッシングをしてくれていたそうです。
もう動かないレイを自宅に連れて帰り『もしかして何でもなかったように起きるんじゃないか』と一晩待ってみました。
そして今日の午後、レイを虹の橋へ渡してもらいました。
帰宅して、レイのサークルを坦々と解体できる自分は冷たい人間だと思いながら、このブログを書いています。
たぶん、今書かなかったらもう書けない。
ごめんなさい、気持ちの整理が全然出来ません。
先日まで元気に散歩したのに。
もう『犬とあるけば』では無くなってしまったブログです。
しばらくお休みするかもしれません。
レイを迎えたことで始めたブログです。
このブログを通じて繋がった『縁』があるので報告だけはさせて頂きます。
レイと遊んでくれた皆さま。
レイは最後まで頑張りました。私の自慢の息子です。
ジョンとの別れがあったからそこ、私の家族の一員として出来る限りの愛情を注いできたと断言できます。そのことに後悔はありません。
みなさんとお会いして楽しい時間を過ごさせていただきました。
言葉では言い尽くせない感謝の気持ちで一杯です。
本当に、本当にありがとうございました。
こんなに急にレイと別れるなんて思ってもいませんでした。
こんなことなら昨日のビールのおつまみ、ひと口あげればよかった...。
私の一番好きなレイの写真を残します。