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「ライタイハン」 韓国軍がベトナムでしたこと

2014年02月14日 22時26分01秒 | 歴史・動画 

「ライタイハン」韓国軍がベトナムでしたこと

   


「ライタイハン」韓国軍がベトナムでしたこと
2012年10月30日14:17    転載

http://blog.livedoor.jp/hinomotomamolu/archives/19533254.html

韓国人兵士がベトナム人女性を大量に強姦して産まれたり、韓国軍の従軍慰安婦
として強制徴用された美しいベトナム人女性が産んだり、ベトナムで結婚した
韓国兵との間に産まれた韓国人との混血児などを総称して「ライタイハン」という。

 韓国軍は、強姦した後、女性の容姿で選別を行い、不美人や年寄りの女性は
両手・両足を切断して、火に放り込んで焼き殺したり殺す前に両手・両足を切断
しておいて、死ぬまで強姦する「だるま」と彼らが読んでいる強姦・虐殺をしたり
川へ投げ入れて強姦と虐殺の証拠を隠蔽しようと工作したケースもある。
 そして容姿が良いベトナム人女性や少女を強制的に従軍慰安婦として韓国軍は
連れ回して、繰り返し強姦を行った。弱ったり病気になった女性は虐殺して処分した。
韓国人は、ベトナム人「従軍慰安婦を肉便器」と言ったそうだ。
これは、出したい時に出せる(射精できる)という意味だとか。


以下記事より

ベトナム戦争が終わり、南北ベトナムが統一して既に四半世紀が通ぎた。
そして韓国ではここ数年、あの戦争をめぐり長らくタブーとされてきた過去に
ついて、かつてない議論が進められている。その過去とは、ベトナム戦争に参戦
した韓国軍によるベトナム民間人の虐殺問題だ。

最初にタブーを破ったのは、韓国のハンギョレ新聞社が発行する
週刊誌『ハンギョレ21』だった。同誌は99年、韓国軍がベトナム戦当時に起こした
虐殺事件について記事を掲載したのだ(5月6日号)。

この記事を書いたのは、韓国人歴史研究者のク・スジョン。
彼女はベトナム戦争の韓国軍の残虐行為が記されたベトナム側の資科を入手し、
韓国の市民団体の一行とともにベトナム現地で検証を始めたのだ。
ある地域で、猛虎部隊(韓国軍部隊)等による1か月間の作戦で1200名もの住民が
虐殺されたという66年当時のベトナム側の報告を紹介しながら、同時に生存者たちの
証言に基づき虐殺の様子を具体的に描いている。
例えば、生存者の証言からは韓国軍による民間人虐殺の方法にいくつか共通した
類型があったようだと、同記事には記されている。

以下、その部分を略して引用すると「大部分が女性や老人、子供たちである
住民を一か所に集め、機関銃を乱射。子供の頭を割ったり首をはね、脚を
切ったりして火に放り込む。女性を強姦してから殺害。妊産婦の腹を、胎児が
破れ出るまで軍靴で踏み潰す。トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す等々」だ。
日本の戦争責任を追及してきた韓国の人々にとって、自国軍も虐殺をしていたのだ
という告発は、苦いものであったに違いない。

続いて同誌の2000年4月27日号には、住民虐殺を行なったという元軍人による
加害証言が掲載された。戦争当時、一般住民とゲリラを区別するのは難しく、
我が身を守るためには仕方なかったのだとその元軍人は述壊した。しかし同時に、
今やその行為に罪の意識をもち、韓国政府がベトナムに謝罪し被害者に補償する
ことを望むという彼の声も、同誌では伝えられた。

これと前後して米誌『ニューズウィーク』が「暴かれた英雄の犯罪」と題して
ベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り上げた(2000年4月21日号)。
ク・スジョンらの調査を紹介しつつ、「8000人以上の民間人を殺した韓国軍の
虐殺行為の数々」が明らかにされつつあると、7ページにわたり大々的に報じたのだ。

タブーであった虐殺事件についてのこれらの報道に対し、韓国国内では激しい
反撃が起きた。同年6月27日には、ベトナム戦に従軍した退役軍人ら2000人余りが
ハンギョレ新聞社に乱入しコンピュータなどを破壊した。
彼らは「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバーで、国のために闘った戦友を
冒涜されたと激しく抗議したのだ。

ベトナムへの韓国人派兵は64年に始まり、延べで30万人以上の兵士を送り込んだ。
米国に次ぐ大派兵であった。この戦争で約5000人の韓国人が死んだ。
ハンギョレ新聞社に乱入した元兵士たちがそうであったように、アメリカ軍が散布
した枯れ葉剤の被害に苦しむ元兵士らが、今も韓国には多い。

ベトナム戦争当時、韓国軍総司令官だった蔡命新は、先の『ニューズウィーク』での
インタビューで「誰に対しても償う必要はない。あれは戦争だった」と明言している。

アメリカ軍によるソンミ事件などの虐殺行為がベトナム戦争当時から国際的に批判を
受け議論の的となったのとは対照的に、韓国軍による虐殺行為については、
こと韓国国内では長く沈黙が保たれてきた。(中略)また全斗煥・盧泰愚両大統領が
ベトナム戦争で武勲を挙げた軍人であったという政治事情もあり、ベトナム戦での
過去は、韓国では幾重にもタブーであり続けた。しかし、冷戦終結と韓国の民主化に
より、このタブーは破られた。

(中略)韓国の歴史教科書には、ベトナム戦争についてほとんど記述はされていない。
中学生向けの国定教科書に記されているのは「そして、共産侵略を受けている
ベトナムを支援するために国軍を派兵した」の約1行のみだ。

(佐藤和「被害者史観韓国を揺るがすベトナム民間人虐殺の加害責任」
『SAPIO』2001年9月26日号)


 1965年から1966年の間、プウエン省のタオ村で、韓国軍は、ほとんど大部分が
婦人の村人42人を狩り立て、やがて小火器を浴びせ、全員を殺害した。

1966年1月11日から19日の間、ジェファーソン作戦の展開されたビンディン省では、
韓国軍は300人以上の住民を捕まえ、拷問を加え、更にまた400人以上のベトナム人を殺した。

1965年12月から1966年1月の間に、韓国軍は、ビンディン省のプレアン村では数百戸の
家々を炎上させ、一方キンタイ村を完全に掃討した。同じ省の九つの村々で韓国軍は、
民間人に対して化学兵器を使用したのである。

1966年1月1日から同月4日までの間に、ブン・トアフラおよびヨビン・ホアフラ地方で、
韓国軍は、住民たちの所有物を残らず略奪したうえ、住民の家やカオダイ教の聖堂を焼き、
さらに数千頭の家畜を殺した。彼らは、また仏教寺院から数トンもの貨幣をくすね、
それから人民を殺したのである。「ある村が、わが軍の支配下に陥ると、その次の
仕事はベトコンから村人たちを分け離すことなのだ」こう言ってのけたという
韓国軍将校の話しが引用された。

ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と3人の妊婦を、防空壕の中へ押し込め、
ナパームとガスで殺した。アンヤン省の三つの村では110人を、またポカン村では
32人以上を、こうしたやり方で、殺したのである。
1966年2月26日、韓国軍部隊は、137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に
防空壕の中へ押し込めて、化学薬で殺したり、全員を盲にさせたりした。

1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で、韓国軍は、数千におよぶ農家と
古寺院を炎上させ、若い女性や年老いた女性を集団強姦した。
8月までに、勇猛な朝鮮人たちは、ビンディン省における焦土作戦を完了した。

ブガツ省では、3万5千人の人たちが、死の谷に狩り立てられ、拷問を完膚なきまで
加えられてから全員が殺された。10月には、メコン河流域では、裸で両手ないしは
両足の19人の遺体が川から引揚げられた。

これらは、いずれも陵辱された少女たちの遺骸であった。

この事件に先立って、同じ地域で共同作戦中の米軍と韓国軍が、昼日中に結婚の行列を襲い、
花嫁を含め7人の女性を強姦した、との報道もあった。かれらは、結婚式に呼ばれた
客の宝石を残らず奪ったうえ、3人の女性を川の中へ投げ込んだ。

放火、銃剣による突き殺し、拷問、強姦、強奪こんな記事は、ほとんど毎日のように
続いている。母親の胸に抱かれたいたいけな乳幼児でさえも、非人間的な殺人行為を
免れることができないのだ。これは、たった一都市に起きた南京大虐殺どころの話
ではないのだ。

これこそ、アメリカの新聞の力をもってしても、中国の南京で起こった話を語る
ことのできない、今日のベトナム民族大虐殺なのである。

つまり今日では米軍および韓国軍の検閲官が全強権を発動し、事実が明るみに出るのを
妨げているのである。(中略)なぜ在ベトナム韓国軍がかくも攻撃的で残酷であるか
という理由は、彼らが、アメリカが与えてくれた援助に対してお返しをするためであり、
さらにまたそれは韓国民に対して彼らが、アジアにおいて平定の役割を演ずることが
できるのだという誇りと確信の感情を与えるためである、と1967年5月、
ソウル政府当局は日本人記者に説明した。

(D.W.W.コンデ『朝鮮-新しい危機の内幕-』新時代社、1969年)


従軍慰安婦問題で日本に謝罪と賠償などと、聞いてあきれる。

「あれは戦争だった」で済むなら、韓国はもうなにも言えない。



 ベトナム戦争での韓国軍の虐殺行為

 

韓国は日本に従軍慰安婦などという捏造された過去の嘘を持ち出し謝罪と賠償を
請求して­いる、日本の過去においてそのような言葉はなく日本帝国が慰安婦強制
連行をしたという­証拠も出てきていない、ただの金目当ての志願売春婦だったのだ、
しかし韓国はどうでし­ょう、ベトナム戦争において手当たり次第の強姦、武器を
持たない一般市民の大虐殺、1­万人を超すライタイハン、

 

謝罪と賠償をしなければならないのは韓国である。


。転載、させていただいた記事です

 

 



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6 コメント

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韓国軍の行為 (onecat01)
2014-02-15 00:35:16
ありもしない慰安婦問題を掲げ、正義の国ででもあるかのように日本を攻撃する韓国。
ならばベトナムでお前たちは何をしたのかと、言いたかったけれど、声が上がらなかった。今回の記事をどれほど長い間待っていたことでしょう。
ベトナムの人々の声が、世界中に広がって行くことを切望します。日本の中にいて、韓国寄りの言葉を吐いている反日どもは、恥を知れと言いたい。
返信する
世界平和は日本から (はっちょ)
2014-02-15 10:39:44
私の父はベトナムで占領国のフランス軍に抑留されていましたが、ベトナムの人から
釈放要求の嘆願により解放され、無事に帰国できました。
また、戦時中ベトナム人と結婚して日本に親子で帰国した人も近所におられます。

ベトナム戦争は共産党軍を相手に戦っていたはずですが、本当は何の目的であったのか疑わしいです。
報道ではベトコンゲリラの抵抗でアメリカ軍が苦戦していたかのような印象ですが、どうやらベトナムの一般市民が武装ゲリラとなったのは共産党軍の指揮ではなく「自分たち家族の防衛の為」に決起しなければならない状況に追い込まれていたのかもしれないのではないでしょうか。
さかのぼって検証してみないと判別は難しいですが、アメリカ軍は表向きでは共産党軍と戦っていましたが、裏ではこんな非道を見過ごして他国に対しては正当性を“プロパガンダで捏造”していたのかもしれませんね。

ベトナムから撤退したのも軍人の士気の低下や精神的に異常をきたしていたのがひとつの原因のようにも聞きましたが、前線現場では韓国人が一般市民を巻き添えにしている非道行為に良心的に耐えきれなかったのではなかったのかもしれません。

朝鮮戦争で決着をつけられなかったアメリカ軍はベトナム戦争に移行し、以後、イラン、イラク戦争などそれぞれに問題を残したままです。
警察の役目の責任を全うしていないアメリカの罪も大きい。
やはり、大東亜戦争での日本の使命と役割を理解できなかったことの「つけ」がこのような結果を招いているのでしょう。

あの当時は日本国内でも反戦フォークグループや全学連の安保反対運動が盛り上がっていましたが、「ベトナム戦争の意味」を真剣に考えていなかった連中ばかりだった。

今こそ戦後の日本を見直し、真剣に「平和貢献」を学ぶべき時です。
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Unknown (デーグー)
2014-02-16 00:33:58
はっtちょさんのご意見に賛同しました
ありがとう御座いました_(._.)_
ランボーって映画とかバット21とか作られた
映画かも・・・
返信する
続き (はっちょ)
2014-02-16 10:37:03
デーグーさん
返コメありがとうございます

櫻井よし子さんもベトナム生まれのようですね。

大それたことを言う立場ではありませんが、アメリカは、米ソ冷戦はなんとか回避はしましたが、(核を保有していたことで抑止力になった)有事解決の為の戦争ではいつも未解決、撤退で終了しています。

原因は大東亜戦争の終結がキチッと出来なかったことです。
満州をねらって侵攻してきたソ連を参戦させてしまったことが後々の米ソ冷戦に発展してしまった事。
朝鮮戦争勃発でも北朝鮮の攻撃に決着をつけられずに、強力な日本の支援を求めようとしたが、日本は「アメリカの占領押し付け憲法」の解釈で拒んだこと。
その結果、撤退して南北問題は残したまま解決には至らず休戦状態が続いています。

その「はらいせ」と反動でまたもやベトナム戦争に加担するも、自ら発案した「憲法」で当然の事、日本の協力は得られずに韓国軍を巻き込んだためにかえって悲惨な結果を招いてしまった。

今のオバマ大統領は世界の警察を放棄しようとしていますが、今日までのアメリカを鳥瞰してみるとやはり、「大東亜戦争の終結の方法が良くなかった」事が原因となります。
返信する
アメリカは民主党? (kochan)
2014-02-17 17:29:31
はっちょさんの指摘は示唆的です。ひょつとして、アメリカの種々の戦争の不手際はほとんど民主党の政権の時じゃなかったですかね。
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真実を (通行人)
2014-02-18 17:44:49
韓国軍のベトナム戦争での悪行を英語や中国語、ヒンディー語、フランス語などの複数の言語に翻訳して真実を大々的に公表するべきです。
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