今ある問題の参考にしてください・・私もこれ、知らなかった~
「月給5万円」は本当か
NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』で主演を務め、一躍、日本中の人気を集めた能年玲奈。彼女が表舞台からほとんど姿を消して久しい。
*゜・*:.。:。+:・。*:・。**・゜゜・*:.。+:*・゜゜*・゜゜・*:.。:*・;+゜゜。::*:・。*・*:
メディア・マスコミエンタメ 能年玲奈「干されて改名」の全真相 〜国民的アイドルはなぜ消えた? 「ザ芸能界 TVが映さない真実」第4回
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50115 より
誰もが「彼女を見たい」と思っているのに、消えた国民的アイドル。数々の噂や憶測が流れたが、真実はいったいどこにあるのか――所属事務所と能年サイドの双方が本誌に述べる言い分とは。 <取材・文/田崎健太 ノンフィクション作家>
(本稿は『週刊現代』誌上で連載中の<ザ芸能界>の転載記事です。連載第1回「ジャニーズ事務所はなぜSMAPを潰したか」はこちら http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49869)
「月給5万円」は本当か
NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』で主演を務め、一躍、日本中の人気を集めた能年玲奈。彼女が表舞台からほとんど姿を消して久しい。
11月12日公開のアニメ映画『この世界の片隅に』に声優として出演しているが、動く能年をテレビで見る機会は皆無だ。
彼女が「干された」背景について口火を切ったのは「週刊文春」('15年5月7・14日号)だった。同誌は〈国民的アイドル女優はなぜ消えたのか? 能年玲奈 本誌直撃に悲痛な叫び「私は仕事がしたい」〉という記事で、能年の露出が激減した理由を、所属事務所との確執にあると報じた。
給料は5万円。『あまちゃん』撮影中、経費精算が追いつかず、持ち金がなくなってしまった。「寮の乾燥機が壊れ、明日のパンツがない」と、当時演技指導を担当していた滝沢充子へ深夜に電話。
滝沢が「コンビニで買えばいい」と言うと、「財布には200円しかない」と能年は答えた、と書いている。能年がこの滝沢に「洗脳」され、独立をそそのかされているという報道もあった。
さらに今年7月、能年は「能年玲奈」から「のん」に改名。「能年玲奈」は本名であるにもかかわらず、所属事務所の許可なしに使用できないという「警告書」が送られていたとも報じられている。
「悪徳芸能事務所」「パンツを買う金もない」「洗脳」「本名を使えない」――。この物語を貫いているのは、芸能界とは魑魅魍魎の人々が跋扈する「げに恐ろしい世界である」という軸だ。
しかし芸能プロダクションもまた、日本という法治国家の中で商行為を営む民間企業である。芸能界だけが、特殊な「小宇宙」として存在しうるはずもない。
人々の気持ちに突き刺さる、あるいは心を逆撫でする分かりやすいストーリーは、時に物事の本質を覆い隠してしまう。
今回、ことの真相を明らかにするべく、能年の所属事務所であった『レプロエンタテインメント』、そして彼女の代理人である星野隆宏弁護士双方に、事実関係を確認し、法的な根拠に基づく取材を行うことにした。
* * *
まずは、「月給5万円」についてレプロの担当者に質した。
「これは本当でもあり、嘘でもあります。彼女は『あまちゃん』で活躍する以前の無名の頃から、都内の高級マンションの部屋に住んでいました。この部屋はレプロが寮として使っており、若いタレント4~5人で住んでいて、寮母さんがいて食事を作っている。
生活全ての面倒を見て、レッスン代、交通費などの関連費用も全部こちらで持った上で、さらに小遣いが5万円ということです。能年にはその後、寮から出て一人暮らしができる高級マンションを用意しています」
能年は'93年7月、兵庫県神崎郡神河町で生まれている。中学生時代の'06年に雑誌『nicola』のオーディションでグランプリとなり、レプロと契約。当初は兵庫県から東京まで通っていたが、中学卒業後に上京した。
「中学から高校に入るときが、一つのタイミングなんです。高校の3年間を地方で過ごすと、(女優やタレントとして)終わってしまいます。みんな(それなりに完成するまでに)5~6年はかかる。高校卒業からだと、23~24歳。
そうなると、よほどきちんとした芝居が出来るとか、大人の魅力があるとか、何か武器が必要になる。若さを武器に使うには、高校に上がった段階からレッスンを始めなければならない」
所属事務所は「東京の親」
15歳で地方から上京し、芸能活動に注力することは、人生における他の選択肢を失うということでもある。
「中には教育熱心な家庭の子もいます。『このまま行けば、地元の立派な県立高校に行ける』と先生から言われた。どこまで本気なんですか、という気持ちが親御さんにもある。じゃあ、複数年契約で長期的に面倒を見ます、うちに預けてください、という話をしなければならない。
寮として、わざわざ高級マンションの高い家賃を払っているのは、親御さんに安心してもらうためです。『見に来てください』と部屋を案内して、寮母さんも紹介する。ここでみんなで切磋琢磨してください。すぐ芽は出ないかもしれませんが、早く一人暮らしをしたいとか、そういう思いも原動力にしてください、と」
能年は比較的、集団生活が苦手だった。しかし、そういう子だからこそ、芸能界に向いていると判断したのだという。
「当社の本間(憲・社長)の考えはこうです。この世界は少し変わったくらいの子のほうが売れる。なぜなら、人と違うからこそみんなが興味を示してくれる。お行儀がいいだけの子なんて面白みに欠ける。そういう子は普通の人生を歩んだほうがいい。芸能界というのはそうじゃない人の受け入れ先なんだから、と」
もっとも、本間も能年の才能に確信があったわけではない。ただ「この子は化けたら凄いことになる。気をつけて育てよう」と担当マネージャーと話していたという。
「ティーンエージャーから契約するというのは、我々が東京の親になるということ。つまり、躾や生活面の指導も親に代わって日常的にしていかなければならない。親も、いつも褒めるだけでは駄目ですよね。
能年のように寮のルールを守らず部屋を汚したり、きちんと期日を守って精算ができない子には、厳しく、時にはあえて突き放さなければならないこともある」
能年はどちらかというと、成長の遅い部類に入った。高校2年生、'10年5月で『nicola』のモデルを卒業した後、しばらくくすぶっていた。
そんな中、レプロは能年と'11年6月、3年契約を結び直している。
女優は、プロのアスリート、あるいは芸術家などと同じく、常人にはない才能を評価される「個人事業主」である。ただ、彼らと比べると、世間に認められるまでの助走期間に、他人の助けがあるかないかが成功を左右する要因となる。平たく言えば、「事務所の力」が大きな意味を持つ。
能年の顔が一般的に知られるようになったのは、'12年3月、『カルピスウォーター』の第11代CMキャラクターに起用されてからだ。
「うちの事務所には、長谷川京子、新垣結衣、川島海荷などで、長年信頼関係を作ってきた(広告の)クライアントがいます。能年の場合も、社長の本間が『どうしても彼女を売るぞ』と、代理店に頭を下げて使ってもらった。こちらから頼んで使ってもらっているので、CM契約料は他と比べると安かったです」
能年の弁護士が初めて語る
そして'12年4月、能年は『あまちゃん』のオーディションで1953人の中から主演に選ばれた。彼女はこのドラマで、誰もが知る女優となった。
レプロ担当者によると、『あまちゃん』の放送中、能年の「給料」は20万円に増額。加えて計200万円以上のボーナスが支払われた。翌年にも、実績を考慮して計1000万円以上の報酬を支給したという。
「寮での食費やレッスン代というのは、まとめて払っているので、能年1人に幾ら掛かったかははっきりとしません。ただ、彼女に対する投資として、スタッフの人件費、時間と労力、領収書が残っているような数値化できるものを含め数千万円は下らない。そこに、ようやく『あまちゃん』で人気が出た。7~8年かけて投資したものをこれから回収するぞ、と意気込んでいました」
ところが――。
'14年1月、映画『ホットロード』の撮影が終わると、能年は担当マネージャーに「事務所を辞めたい」と言い出した。能年とレプロとの3年契約はこの年の6月に終了することになっていた。
4月、能年はレプロ社長の本間と面談をしている。しかし、「辞めたい」の一点張りで話にならなかった、という。
レプロ側は、話し合いができる状態ではないと判断し、彼女と落ち着いて交渉する機会を窺った。
「精神的に波のあるタレントは、いつ話をするかも大切です。まずは入っている仕事を消化させること。本来は先に信頼関係の修復をしなければならないんですが、その弾みで仕事を飛ばしてしまうと、取引先に迷惑をかけることになる。
我々がそれまでに提案していた複数の仕事の中で、唯一彼女が受けた映画『海月姫』の撮影が終わった段階で話し合いをすることになった」
しかし、この話し合いも決裂した。
契約書には、「契約期間終了後、一度は事務所側から契約延長を請求できる」という条項が入っていた。その新たな契約期間は最長3年間で、具体的な期間は当事者が話し合いで決めると定められている。能年側は弁護士を立てて交渉し、2年間の契約延長で合意した。
レプロ側が契約を延長したのは、能年を説得する時間を取るためだったという。
一方、今回取材に応じた、虎ノ門ヒルズに入居する外資系法律事務所の弁護士・星野隆宏が、能年の代理人を引き受けたのは'14年の9月頃だ。そのため、星野は延長交渉に関わっていない。
星野は裁判官を経て、'87年に弁護士登録。商事紛争を専門としている。これまで能年の件について、全く取材を受けてこなかった。
「プロダクションとの契約期間中に紛議内容を明らかにすることは、彼女の芸能活動に差し障りがあるので発言は控えていた。しかし、言わなければならないこともある」
と前置きした上で、こう説明する。
「我々が関わったのは、すでにトラブルになった後。彼女の依頼は、レプロとの交渉と、その後出て来るであろう法律問題についてアドバイスしてくれというものでした。
こちらは法律家なので、契約内容に問題はあるにせよ、こちらから違反してはいけない、あくまでも契約に則ってやろうという話をしました。
のん(能年)はタレント活動の継続とレプロとの関係修復を望んでいたので、問題点をレプロに率直に伝え、改善を求めて話し合おう、ということになりました。契約期間内はきちんと仕事をする。その上で、2年後に契約は終了するということです」
レプロとの契約書について、星野は「細かい内容は守秘義務があるので言えないが、内容が一方的だ」と言う。
「給料は世間で思われているような金額では決してない。それでいて拘束は厳しい。一方的な指揮命令関係と言ってもいい」
星野によれば、交渉時のレプロ側の反応は「『あまちゃん』で当たったからといって、要求などとんでもない」、「言った通りに仕事をしろ」というもので、何ら理解も譲歩も得られなかった、という。映画やCMの報酬など、待遇面についても、
「具体的提案をしましたが、月額報酬の増額を含め一切拒否されました。レプロが払ったと言っている『あまちゃん』のときのボーナスについては、我々は関わっていませんが、それは本来の額の一部にすぎない。
しかも、支払いを約束していたボーナスの残額は支払われておらず、約定時期を大幅に超過してようやく支払われたのです」
実現しなかった「社長面談」
星野はレプロに限らず、日本の芸能プロダクションの、所属タレントに対する姿勢を問題視する。
「確かに、レプロは彼女にコストを掛けたかもしれない。ただ、それはビジネスだから当然のことです。
事務所に集められた全員が成功するわけではない。本人の努力や運、さまざまな要素がかかわってくる。事務所はそうして成功したタレントをうまく活用すればいい。それがマネジメントです。
しかし現状は、あたかもタレントを事務所の所有物のように扱いコントロールしている。タレントに対し、とにかく逆らうな、言った通り仕事をしろ、という発想がある」
そして双方は、すでに激減していた能年の「仕事」についても激しくやり合うことになる。
「我々が(代理人として)入ってからは、常に彼女は仕事をやりたがっていました。『仕事をください』という要求を、6回も書面で出しています。するとレプロ側は『事務所との信頼関係がない限り、仕事は与えられない』という回答を送ってきた。
『では、その信頼関係はどうやったら作れるんですか』と返すと、『社長との個人的な信頼関係がなければ仕事はあげられない』。
そして、弁護士を介さずに社長と本人の一対一で話し合いをしたいと言う。ただ、代理人がついた事件で、当事者同士が直接交渉するということは、弁護士倫理上も許容できない。到底認められなかった」
これに対して、レプロ側の主張はこうだ。
「向こう側は、『とにかく仕事を入れろ』と言ってくる。しかし、ドラマや映画の仕事だと3ヵ月や半年にわたることもある。そんな長期の仕事を、事務所との信頼関係がないタレントに入れることはできません。
彼女がブレイクしたのは、先輩たちが(同社の設立から)25年間かけて事務所の実績を築き上げてきたから。彼女がやっているのは、その実績を踏みにじるような行為です。まずやるべきは信頼関係の再構築でしょう、と答えたんです。
でも、交渉の場に彼女は最後まで出てこなかった」「週刊現代」2016年11月5日号より
能年玲奈が「のん」になって得たものと失ったもの
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50166
「三毛andカリントウ」
芸能記事には、悪意に満ちた恣意的な噂、あるいは事態を知るはずもない周辺関係者の無責任な証言を元にしたものもある。この連載を始めるときに意識したのは、しっかりとした証言者、資料によるファクト(事実)を積み重ねることだった。
前号では、能年玲奈(のん)の元所属事務所であるレプロエンタテインメントと、彼女の代理人でもある顧問弁護士の双方に初めて話を聞いた。
その目的は「朝ドラ主演女優なのに月5万円の薄給」「振り付け師の洗脳」「事務所からの圧力」「改名」など、一連の騒動を賑わせてきたソープオペラのようなキーワードをはぎ取り、法的争点を明らかにすることだった。
改めて、能年とレプロの契約についておさらいしておく。
'11年6月、レプロは能年と3年契約を結んでいる。'14年6月の契約終了後、レプロ側がオプションを利用して2年間契約を延長したが、今年6月にその延長期間も終了した。
前号で報じたように、レプロ側は2年間の延長について、能年との信頼関係を回復させた上で、ビジネスを継続させたいという意向だった。一方、能年側は「何度も『仕事を下さい』という書面を出したが、もらえなかった」と主張している。
レプロ側が態度を硬化させた最大の理由は、弁護士同士での条件交渉が進んでいた'15年1月、能年が無断で「株式会社三毛andカリントウ」という個人事務所を設立したことだった。この会社の登記には、〈タレント、俳優、歌手、演奏、作曲家、作詞家、編曲家の養成およびそのマネージメントに関する業務〉と明記されていたのだ。
レプロは芸能プロダクションの業界団体「日本音楽事業者協会」(音事協)に所属しており、契約締結の際はこの音事協が作成した「専属芸術家統一契約書」を使用している、と主張する。
この統一契約書の第4条(専属芸術家業務)4項では、〈乙(筆者注・タレント)は甲(プロダクション)の承諾を受けることなく、甲以外の第三者から、プロダクション業務の全部又は一部の提供を受けてはならない〉とされている。
これについて、能年の代理人である星野隆宏弁護士はこう答える。
「まず、音事協の統一契約書と実際にのんがレプロと締結した契約書には相違点があり、我々は全てこの実際の契約書に従って行動しています。音事協の書式はこの件とは無関係だと考えているので、それに関する質問は一切お答えできません。
その上でマネジメント業務について、実際の契約書では『個人事務所を作ってはならない』とは明文化されていない。もちろん契約の趣旨は専属契約ですから、個人事務所を作ることは望ましいことではないでしょう。
ただ、のんがやろうとしたのは、レプロとの契約外で、将来的にイラストや写真、キャラクターグッズを販売する窓口とすることだけです。のんにはレプロとの専属契約に違反するような芸能活動をするつもりはなく、現実に契約期間中は全くしていません」
なぜ本名を捨てたのか
しかし、統一契約書の第9条にはこうも規定されている。
〈前4条に定めるもののほか、この契約の存続期間中にプロダクション業務及び芸術家業務により制作された著作物、商品、写真、肖像、筆跡、イラストその他一切の成果物(未編集及び未発表の素材を含む。)に関する著作権法上の一切の権利、商品化権、所有権その他一切の権利は、全て甲(プロダクション)に帰属する〉
「マネジメント業務を目的としていなかった」という主張通りであっても、「三毛andカリントウ」の設立目的はこの条文に抵触するように思える。
星野の見解はこうだ。
「実際の契約書では、レプロに属するのは『業務の遂行により制作されたもの』の権利であると定義されています。のんの作品は、レプロの指示で制作したものではありませんから、この定義には当てはまらない」
統一契約書は適宜改定されている。どのバージョンについて主張しているのか、契約書の細部の修正が行われていたのかは、両者に守秘義務があるため確認できなかった。
ちなみに、星野弁護士は、「三毛andカリントウ」の設立を事前に聞かされていなかったという。
「『レプロとの契約に違反している』という認識自体、のんは持っていなかったということです。(会社設立について)問題はないと判断しています」
これに関してレプロの担当者は、「契約違反だけでなく、信義則に反している」と主張する。
「契約書とは、お互い成功のために一生懸命やっていこう、と交わした約束です。その約束を破るのは、契約違反以上に罪が重い。無断で自分の個人事務所を作るというのは、約束を全く守る気がなかったわけですから」
一連の騒動の中で、もう一つ重大な法的問題がある。それは「能年玲奈」という名前の使用権だ。
週刊文春は〈本名「能年玲奈」を奪った前事務所の〝警告書〟〉('16年7月28日号)と題し、こう報じている。
〈「レプロは個人事務所の設立が発覚した昨年四月から、今年六月までの間に能年が面談に応じなかったせいで仕事を提供できなかったとして、その十五ヶ月間分の契約延長を求めるという文書を能年に送っています」(事情を知る芸能関係者)
それだけではない。その文書ではもう一つ、重要な申入れがあった。
「契約が終了したとしても、『能年玲奈』を芸名として使用する場合には、レプロの許可が必要だという内容でした」(同前)
能年玲奈は彼女の本名である。文書は、本名の「能年玲奈」をレプロの許可なしには使用できないとする〝警告書〟だったのだ〉
統一契約書の第23条には以下の条文がある。
〈乙(タレント)がこの契約の存続期間中に使用した芸名であって、この契約の存続期間中に命名されたものについての権利は引き続き甲(プロダクション)に帰属する。乙がその芸名をこの契約の終了後も引き続き使用する場合には、あらかじめ甲の書面による承諾を必要とする〉
週刊文春の報道について、レプロ側は事実関係と異なっていると言う。
「ここは明確にしたいのですが、『能年玲奈という名前を使わせない』と発言したことも、その種の文書を送ったことも一度もありません。
ただ、『契約書には〝能年玲奈〟という名前はレプロの許可なしで使えない、という条項も入っています。今後も芸能界で活動するつもりならば、たとえ独立したとしても、将来的に名前の問題が出てくる可能性もある。まずは話し合いが必要ではないですか』という趣旨の文書は送りました。
決して『名前を使うな』という警告書の類ではありません。しかし、彼女の側は交渉の場に出てこなかった」
統一契約書も、一律に「芸名」を所属事務所の所有物としているわけではない。前出の第23条はこうも定めている。
〈乙(タレント)がこの契約の存続期間中に使用した芸名であって、乙がこの契約の締結前から使用しているものについての権利の取り扱いは、甲乙間で別途協議して定める〉
つまり、本名である能年の名前は話し合いの上、使用できるのだ。
しかし、レプロとの契約終了後の今年7月、能年は「のん」と改名した。
「繰り返しになりますが、本名を使うな、なんて馬鹿なことをこちらが主張するはずがない。あえて名前を変えることで、われわれに『悪徳芸能事務所』という印象をつけて、悲劇のヒロインを演じているように思える」(レプロ担当者)
「口約束」が大切な世界
改名について、能年側の星野弁護士はこう説明する。
「契約終了の直前になって、レプロが送ってきた『契約期間を15ヵ月延長する』という通知に対し、『法的根拠がない。規定に従って、契約は6月末で終了する』と返答したところ、『契約期間の終了後も、能年という名前は使えない』と先方が書いてきたのです。
もちろん、名前に関する規定の存在は我々もわかっていました。しかし、その有効性には問題がある。契約終了後も『能年玲奈』の名前を使えば、レプロ側はクレームをつけてくるでしょうし、もし裁判になれば関係者にも迷惑がかかる。だから、最初からそれには乗らないという判断をしました」
つまり、自主的な改名である。星野が続ける。
「レプロは大きなプロダクションです。係争になると、のんの今後の芸能活動や、スタッフとの関係上、目に見えない障害となる。彼女の将来を考えて改名を選んだのです。
過去の報道ではいろいろと書き立てられましたが、のんは洗脳などされていません。契約期間中、『仕事がもらえなくなる可能性があるよ』とアドバイスした時にも、『2年間待ちます』としっかり答えていました。
この件は、単に契約で定められた2年の延長期間が満了したということで、我々は一方的な独立騒動ではないと考えている。レプロとの契約は今年6月末に終わっています。先方は現在も『交渉中だ』と主張していますが、実際にはその後、一切連絡は受けていません」
今もレプロのホームページには「能年玲奈」の名前が所属アーティストに入っている。前述のようにレプロ側が、個人事務所設立以降の15ヵ月は契約不履行期間であると主張しているからだ。
現在、芸能界には、能年玲奈と「のん」、2人が存在している――。
能年問題は、契約書という「制定法」と、芸能界の「慣習法」のせめぎ合いでもあった。
あるテレビ局幹部は、こう教えてくれた。
「テレビの世界では、口約束は守らなくても許される。しかし、芸能界では口約束を守らなければ、関係各所に話が回って仕事ができなくなる」
明文化された契約書以上に、信頼関係が重視される。芸能界のしきたりという「慣習法」が支配している世界とも言える。
能年側の星野弁護士は、元々経済事案を専門としており、本人も認めるように芸能界に通暁した法律家ではない。そして個人事務所設立という法的な瑕疵はあったものの、あくまでも契約書にのっとって、契約期間中はビジネスを行うようにレプロへ要求した。
一方、レプロはビジネス以前に事務所との信頼関係の回復を求め、一対一での話し合いを望んだ。両者が嚙み合うはずもなかった。
人気は空気のようなもの
音事協発行の『音事協50年の歩み』の中では、欧米のショービジネスと日本の芸能界の根本的な差異に触れている。
〈欧米におけるアーティストのマネジメント・システムでは、個人事業者であるアーティストがビジネスを推進するためにパーソナル・マネージャーを雇用し、エージェント、ミュージック・アトニー(弁護士)、ビジネス・マネジャー(会計士)、パブリシストなどのビジネス・アドバイザーからなるチームを作り、その管理をパーソナル・マネージャーに任せてビジネスを遂行している〉
対して〈アーティストの発掘・育成からスター化までを担うプロダクションによるマネジメント・システムは日本固有のものである〉と規定した上で、こう続ける。
〈アーティストが才能や個性、実演をプロダクションに提供し、プロダクションはそれらに労力・時間・資金・そして愛情を投入してアーティストの価値を高め、商業的利用を図る仕組みとなっている〉(強調は筆者)
敢えて「愛情」という言葉を使用しているところに、音事協の考えが見てとれる。
前号では、レプロが能年を育てるために数千万円もの投資を行い、社長の本間憲の「能年を売れ」という指示のもと、会社全体で売り込みを掛けたと書いた。
レプロの他、ジャニーズ事務所など日本のプロダクションは、マネジメント組織であると同時に、タレント育成機関の役割も担っている。能年問題のもう一つの論点は、タレントの育成コストとそのリスクを誰が負担するのか、ということでもある。
俳優、歌手、コメディアン、司会業、モデルなどの明確な特殊技能に基づき、契約関係で動く欧米のショービジネス。
対して日本の芸能界には、何が他人より突出しているのか分からない「タレント」が闊歩している。曖昧な存在だからこそ、事務所の力が介在し続けてきた。
ホリプロの創業者、堀威夫に自らの仕事をどう定義するのかと問うたとき、彼はこう答えた。
「空気を売っているんだ。人気とか良くわからないものを売っている。形はないんだよ。でも空気がないと人間は死んじゃうんだよ」
能年が女優としての輝きを持っていることは間違いない。それは事務所の力によって底上げされたものだったのか、どうか――。
「のん」と名乗るようになった彼女には、これまでと違い、事務所からの後押しは期待できない。それどころか逆風にさらされることだろう。つまり、彼女の「特殊技能」がこれまで以上に問われるということだ。
・
レプロの所属タレントが次々と消えて闇すぎる!給料や待遇、評判は?
清水富美加、過去にフォトエッセーで「ぺふぺふ病」 精神状態を表現か
清水富美加さんが宣言した、幸福の科学の「出家」って何? 2017.02.13
悪しきギルド制である芸能事務所の肩をもつか、はたまた疑問を呈した上で正論を述べるか。
御当人の清水さんは若い方ですし、傷心の最中ではありましょうが、一つのお役目だったのかもしれませんね。
所属場所を変更したことによる、今後の更なるご活躍を祈願いたします。
能年玲奈さんの場合、干され方に悪意を感じるのですよね。純粋なものを純粋と認めないレプならではの対応だと感じます。マスコミがどう操作しても、闇を感じる国民が多いという事は、芸能界がそれだけ特殊な常識の中にあるという現れではないでしょうか。