「改正臓器移植法の問題点」
本日は佐藤なおふみ党出版局長より「改正臓器移植法の問題点」と題し、メッセージをお届け致します。
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【佐藤なおふみ党出版局長寄稿】
29日、40代の男性が脳死判定され、改正臓器移植法に基づき、家族の承諾のみで臓器提供がなされることになりました。本人の意思確認がなく、家族の承諾のみによる臓器提供は、これが4例目です。
摘出された心臓、肺、肝臓、腎臓、すい臓、小腸、眼球は、それぞれ提供を待っている患者さんに移植されるそうですが、なんだか部品交換みたいで素直に良かったと喜べません。人間は機械じゃないんですから。
7月に改正臓器移植法が全面施行され、脳死者の臓器移植が相次ぎ、97年の臓器移植法施行以来、この8月は月間過去最多の5例の臓器移植が行われました。
改正器移植法により、脳死下では、本人の意思がなくても家族の承諾があれば臓器提供が可能になり、15歳未満の子供も臓器提供者になれるようになりました。
確かに、臓器の提供があれば、生きながらえることができる人がいます。一方、愛する家族はもう助からないが、どこかでその一部が生きて、人のお役に立てれば嬉しいと考えるドナー側の家族がいます。
この点で、双方の願いは一致しているのかもしれません。しかし、それだけで本当によいのでしょうか?
臓器移植は、もっと「脳死者本人」に焦点を当てて論じられなければなりません。
私個人は、臓器移植には反対の立場を取らせて頂いております。仮に百歩譲ったとしても、本人の承諾無き臓器提供は絶対にやるべきではありません。
医学の発達によって、人間の寿命は飛躍的に伸びました。それは、医学が“生きる”ことに対して、飽くなき探究を続けてきた結果です。
しかし、医学は“死”に対しては余りに無力であり、そこが医学の限界でもあります。だからこそ“宗教"が必要なのです。
宗教的に言えば「脳死」は「人の死」ではありません。
脳死の状態は、魂は肉体から離れていないため、まだ立派に生きています。そのような状態で臓器の摘出手術を受ければ、ドナー本人の魂は大変な恐怖と苦しみを感じます。
心臓が停止して、魂と肉体を結ぶ霊子線が切れてはじめて、人間は「死」を迎えます。
あの世や霊の存在など信じない人は、霊子線が切れた後も、自分が死んだことに気づきません。納得するためには時間がかかるからです。だから、お葬式があり、四十九日があるのです。
葬式は遺族にとっての単なるセレモニーではなく、亡くなった方の魂が自分の葬式の様子を見たり、しばらく地上にいて、魂として様々なものを見たり、聞いたりして、徐々に自分が死んだことを悟るのです。
この世に生まれてくる以上、誰しも必ず死を迎えます。死の下では全ての人が平等です。人間には生きていく権利と同時に、「安らかに死んでいく権利」があることを忘れてはなりません。
「臓器移植法」の根本にあるのは、脳死者の生命の価値と、臓器移植される方の延命とを比較考量し、霊的真実を無視して後者の生命を選ぶ行為です。
幸福実現党は日本で唯一の“宗教政党"として、宗教的見地より「改正臓器移植法」の問題に取り組んで参ります。
佐藤 なおふみ氏
HP: http://satonaofumi.blog68.fc2.com/
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臓器移植、関連ブログ記事http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/4e012e2d13f857c3239e9ed50e340764
心停止後も蘇生措置を施すべきだし、臓器移植しか生きる道のない者に『死を受け入れさせる』べきだ。