理想国家日本の条件 自立国家日本 日本の誇りを取り戻そう! 桜 咲久也

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書籍「あげママの条件」より 更新記事

2017年10月29日 12時24分54秒 | 災害 事件・医食・自然・癒し・超常現象・宇宙人など・・
書籍「あげママの条件」
 
~* コラム *~
 
★ 子供への愛は、人に愛を与える大きな原動力に
 
確かに、子供というのは、なかなか親に恩返しができずに、奪い続けているようなところがあります。しかし、やがて大人になると分かるのですが、やはり、「親の愛」というのはありがたいものなのです。
親が与えたものが、直接、親に返ってくることはないかもしれないけれども、それは、子供が社会のなかで生きるときに、他の人に対する優しさや、「人のために尽くす」という気持ちに、必ず転化していくのです。
 
そういう意味で、「親の愛」が死ぬことはありません。必ず残ります。「親に愛された」という気持ちは必ず残るものなのです。
親に愛された気持ちを、直接、親に返せるかどうかはわかりません。現実には返せないことのほうが多いかもしれません。
返そうと思ったころには、親がボケていたり、おかしくなっていたり、事業が傾いていたり、死んでいたり、病気になっていたりして、昔のままの親ではないこともあります。お返しをしても、それが親に分からない状態もあるのです。
 
それでも、「親が子供を愛しておくことは、子供にとって、将来、人に愛を与えるための大きな大きな原動力になるのだ」ということを知っておく必要があると思います。
(「アイム・ハッピー」より)
 
書籍「あげママの条件」

《よくできた人間となるための条件「知・情・意」》

(一部抜粋)
●「意思」は人間性の一部

それから、「意」の部分があります。これは「意思」のところです。人間性の一部として、この意思は非常に強いところがあります。人間のタイプで見たとき、「優柔不断」な人間もいれば、単に誰かについていくタイプの「フォロワー」としての人間もいれば、自分で決断して、道を開いていこうとする「リーダー型」の人間もいます。そうした、「意」の部分、強い意思力を持っているかどうかということも、その人の大きな特徴のひとつです。
この「知・情・意」の三つが必要なのです。「意」の部分は、どれほど自制心があるか、あるいは、難しいことをやり遂げようと粘り抜けるかどうかです。人がそうしたいと思うことをしないで、我慢するということです。

例えば麻雀やパチンコをしたいときに、それをしないで抑えることができたか。あるいは、酒を飲みたいときに抑えたか、お金を使いたいときに抑えたか。異性と付き合うときに、どこまでうまくコントロールできたか、などいろいろあると思うのです。
この「知・情・意」の「意」の部分はまた、人間性の大きな特徴でもあります。

●「意」はテストの点数とは必ずしも一致しない

「意」も人間性の一部です。人間としての交渉力や、リーダーとしてみんなを護ったり、引っ張っていったりするための力になるわけです。これは、テストの点数と必ずしも一緒ではないものがあり、このへんがなかなか見抜けないところです。
学校的な見方だと、見抜くのが難しいのですが、クラブとか運動部で、県大会優勝を目指して頑張っているとか、世界大会を目指して頑張っているといった、意思の力をすごく求められる面において、それが分かることもあります。
そのことによって、今度は成績のほうに問題が出てきたりして、「知」のほうが、ぐらつくこともあるかと思います。

意思が強い人は、「情」の部分、人の意見を聞かないで頑固に押し通すところがあるので、やはりもうひとつうまくいかないのです。
 
 
追記
 
書籍「あげママの条件」

《人生を懸けるに足る徳目「真・善・美」》

(一部抜粋)
●人生を懸けるに足る三つの徳目

今、「知・情・意」で話しましたけれども、別の意味で言えば人間が求めるものとして、「真・善・美」ということがあります。
「真理を求める」というのは、学問的な態度として非常に大切なことです。勉強から学問の世界へと入っていくには、この「真を求める心」が大事で、それを求めている人が大部分という風に考えてよいと思うのです。

…「真・善・美」の「善」もあります。「善とは何ぞや」というと、「善悪を分ける心」です。「正義心」や「義の心」です。「義を見てせざるは勇無きなり」で、悪を見逃さず、善を選び取る心も必要です。

それから、「美」というのもあります。美しさというものに惹かれるものには、美術的なものもありますし、音楽的なものなど芸術全般にあります。小説のなかにも、あるいは、人間としての生き方の美学というのもあるかもしれません。
この「真・善・美」もまた、人間の追究すべき特徴の一つです。

●善悪の分別は、別な意味での人間の賢さ

この「善の心」を持っているということも、人間として非常に優れたことなのです。善悪の分別がつくということは、別な意味での人間としての賢さです。
ですから、学問的真理として、その到達度や達成度が高いということも賢いと言えますが、学問的なものだけではなく、やはり「善悪を選び取っていく力」というものもあると思うのです。

善悪も小さなものから、中ぐらいのもの、大きなものまでありますが、「善悪を選び、善を取っていく能力」が優れている人はやはり徳力が高い人です。これも優れた人で、またある意味、人間として非常に賢い人なのです。「善を選び取る能力」が高いということに着目しなければいけません。

それから、「美」の面もあります。
ここは、男女が分かれて難しくなるところですが、学校の勉強がよくできたから、女性としても自分は最高でなくてはいけないのだと思う気持ちも分からないではありません。しかし、この「美の基準」のところに当てはめられてくると、実際はかなり “苦戦” する部分があるのだということです。


 
 
 
http://are-you-happy.com/2015/3868/

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