対馬の仏像返還差し止め問題
「韓国人に感謝されても…」
長崎・対馬の仏像返還差し止め問題で観音寺・前住職
2013.2.28 13:02 (1/2ページ)[韓国]
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130228/kor13022813030002-n1.htm
観音寺の「観世音菩薩坐像」
「韓国人から感謝されることはあっても、『略奪』呼ばわりするとは、
怒りを通り越して空いた口がふさがらない…」
「観世音菩薩坐像」を盗まれた観音寺=長崎県対馬市=の
田中節孝・前住職(66)は、こうため息をついた。
伝承によると、この仏像は李氏朝鮮時代、朝鮮半島に吹き荒れた仏教弾圧
から逃れるため、対馬に持ち込まれたという。
朝鮮半島では仏教が盛んだった新羅、高麗時代(7~14世紀)に多くの
仏像が制作された。だが、14世紀末に李氏朝鮮時代に入ると、一転して
儒教が国教となり、仏教は弾圧の対象となった。仏像の没収や破壊が繰り返された。
そんな時代に、交易などで朝鮮半島に渡った日本人が惨状を見かね、
仏像を救出するために日本に持ち帰った。古来、日本と朝鮮半島を結ぶ
交易の中継点だった対馬には、その仏像が多く残されている-。
田中氏はこう指摘した。
実際、対馬市教育委員会文化財課によると、対馬の寺社には新羅、
高麗時代の朝鮮半島で制作された仏像が数十点も安置されている。
このうち黒瀬観音堂の「銅造如来坐像」(国指定重要文化財)など十数点は、
国や県、市の文化財に指定されている。
持ち込まれた年代や経緯は記録が残されておらず不明だが、
市教委文化財課も「朝鮮での弾圧の過程で持ち込まれたと考えるのが
妥当です」と主張した。
それらの仏像は現在に至るまで、信心深い対馬の各集落の寺社や島民たちの
手で、大切に守られてきた。焦げた仏像も多く、田中氏は
「仏教弾圧により焼かれた寺から、持ち出されたものだと考えられる。
それを日本人が略奪したというのは、あまりにも失礼だ」と憤った
続き http://sankei.jp.msn.com/world/news/130228/kor13022813030002-n2.htm
(`・ω・´)仏像の没収や破壊によって、韓国に残る仏像寺院などは、
ほとんど消滅し、跡地しか残っていない。
特に寺院の破壊などは、僧侶自らが、襲われない様に先に破壊した
ケースもあったようです
日本に仏像を託し、避難させた僧侶たち、
今ごろあの世で嘆いているだろう。。
朝鮮半島の緊張の時に、又、仏像は、戻っていった・・。
、
したのは、自分が知っているだけで最低でも三回目です。
ひょっとしたら、氷山の一角かもしれません。
調査したらどれだけでるか...