桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

ためました!三日分

2016年09月14日 | 日記・エッセイ・コラム
9月12日(月)

久し振りに美容院へ行った。
何時も行く駅ビルの店は、改装中との事で、久し振りに(10年ぶりかな?)
昨夜、店へ電話をして予約を取る。

この店は、かつては富士銀行のあった場所で、なじみの場所だった。
10年経ったというのに、明るくて広々とした店は、まさに『ビュウティーサロン』にふさわしい。
店長のSさんも健在。
今は、駅ビルの店の改装で、従業員の多くが、この店へ来ているという事だ。

二ヶ月半に亘る病院生活で、ますます、私の髪はむさ苦しく伸びきって、白髪が増えている。
せめて、髪ぐらいきちんとして、御茶ノ水へ出かけようと考えていたのだ。

Sさんがつきっきりで見てくださる。
長い間のご無沙汰だったが、電話をもらった事が嬉しかったそうだ。
店を出る時には、わざわざ、店の外へ迄、見送って下さった。

久しぶりに、寿司店へ行く。思う程ではなかった。
私の味覚が落ちたのか?どうかな?

帰りにタクシーに乗った。我が家の前は一方通行で、しかも、通学路。
運転手さんは、捕まって六千円の反則金を取られたそうだ。
仕方がないから回り道をしたら、運賃が上がっていた。
やれ、やれ!基本料金で行ける筈なのに。


9月13日(火)

なんとまあ!少しぐらいの外出で、体がグラグラする。
パソコンを開いて、ブログを書く気にもならない。
こんな事では駄目だ!
と、思いながらも、ふらふらする足の裏にどうしようもない。

しかし、階段を登る時、傷ついた右足も使って交互に踏みしめられるようになった。
まだ、階段を降りるのは用心しているが、出来るだけ怖がるのはやめようと思う。

もっと、動かなくては……よろめきながらも…勇気を出して……と、
心は迷う。


9月14日(水)

明日は御茶ノ水へ行く日だ。
急に気温が変わってしまって、何を着て行ったら良いのだろう?と迷う。

明日の一番の目的は手術後の経過を診てもらう事だ。
思うに、二ヶ月半の真夏の生活は異常だった。当たり前の暮らしではなかったのだもの……

一番の『異常』は冷房漬け。そして、帰宅後の異常気象に伴う気温のキツさ。
高い所を敬遠している私には、自室のクーラーのコンセントがつけられない。
姉は「つけてあげる」と言うが、遠慮していたのだ。
もうすぐ秋だし、網戸にすれば、多少は解決出来ると思ったのだ。
しかし、それも汗疹には参ってしまった。まるで、赤ん坊みたい。

兎に角、普段の生活とは違って、これで、二度も、真夏の生活を『病院暮らし』してしまったことになる。
もう、ごめんだ!

昼、そうめんを茹でた。
先日はそうめんを茹で過ぎたので、三束にする。
何か添える物をと思い、茄子とキノコとピーマンの煮付けにした。
最近は、よく、料理番組を見るが、なにか魅力を感じない。
外出先から帰って来た姉が「私もそうめんを食べたかった」と言うので、ほっとする。
麺類ならなんでも良いが、やはり夏はそうめんだと思う。

出来上がった時には、もの凄い疲れが襲ってきた。
まだまだ、まともではない。

足の訓練

2016年09月10日 | 日記・エッセイ・コラム
9月10日(土)

金曜日は一日中晴れると聞いていたのに、夜中になると、急に雨が音を立てて降り始めた。
矢張り、台風の影響か?油断出来ない。

今日、土曜日は一日中晴れていた。
絶好の洗濯日和で、シーツを干すのに苦労する。
夕方、南の空高く、半月が出ていた。少しばかりぼやけた感じだが、確かに天気は良さそう。

ニュースによると、又、台風がフィリピンの海上で発生しているそうだ。
マニラにいた頃の台風騒ぎを思い出す。
以前のブログにも書いたが、タイフーンが襲ってくると聞くと、現地の人たちの警戒の仕様は大げさ過ぎるように思えた。
いや、本当に台風が来ると、町のあちこちで激しい浸水が始まるし、多くの被害者が出る。
だから、これらの台風の事を『シグナルNo.2』と称して、学校は勿論、会社まで休みになる。
町中ががらんとした中で、青空の下、日本人学校の通学バスだけは予定通りに運行しているといった状態だった。
その後、日本人学校だけが休校していない事が在留日本人の間で問題となり、結局、一般の学校と同様に休校する事になった。

しかし、保護者達に言わせれば、何日も何日も青空の見える日が続く中を外出も出来ずに、子供達が身を扱いかねるので、何とかして欲しいと苦情が持ち上がった。
マニラの交通機関の不便さは子供達同士の交流も難しく、親の自動車を簡単に利用するわけにもいかない。

海外に住む日本人には様々な苦労があるし、当然、その子供達にもしわ寄せが来るのだ。
特に、バス委員会のお母さん達は大変だったし、教師にとっても問題解決に苦心したものだった。

台風の動きは遅々として、何時、猛威を振るって来るか分からない。
安全のために、学校が休校になるのは良いが、確かな台風情報が出ずに、何日も何日も青空の下で外出が出来ないのも困った事だった。

ところで、現在のフィリピンではどうなっているのだろうか?と、台風の予報が発表される度に気にかかる。


今日は暑そうだが、天気が良いので、久しぶりに買い物へ出かけた。
実のところ、足の具合は一向に良くならず、グラグラとよろめいて足の運びが不確かだ。
しかし、何もせずにじっとしているよりも歩いた方が良いと考えた。

午後、姉とバスに乗って、二つ目の停留所まで行く。
大型スーパー『O』に来ている自動車のほとんどは日陰に駐車していた。
六月半ばからおよそ三ヶ月近い、初めての買い物である。
来たかった!!

やはり、近所の店と違って品数も多いし、値段と品質のバランスを考えて買い物が出来る。
二本杖にリュックサックは何時もの通り。
今回は欲張らずに、出来るだけ品数を精選する。

暑かったけれど、帰りはバスを使わずに、歩いた。
恐ろしくきつかった。
家に着いたら、バタン!

でも、買いたい物を買えたし、行き帰りで6〜700メートルは歩いたのだと思うと、自信がつく。
姉の歩みについて行けなかったが、やっとの思いで、我が家に辿り着く事が出来た。

歩く事は、相当な難行だけれど、我慢、我慢!
これも大切な運動だ。 





ステーキを焼く

2016年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム
9月7日(木)

今朝、眼が覚めると、丁度、リオのパラリンピックの開会式が行われている時間だった。
なかなか色彩が華やかで、更に音楽が陽気な演奏で、如何にもブラジルらしい。

先日のオリンピックと言い、これがお国柄と言うのだろうか。
さて、四年後の東京オリンピックとパラリンピックではどうなるかと想像した。

長い時間をかけて開会の式典が行われた。
しばらくオープニングに失礼をして他のチャンネルへ回す。
その後、元へ戻すと、丁度、聖火の入場が始まるところだった。

雨が激しく降る中で、聖火のリレーが行われる。その中で、特に感銘を受けたのは脚の不自由な選手だった。かつての金メダリストだと後で聞く。
車のついた杖を片手に、左手に聖火を持つ歩みは実にゆっくりとしていた。
「ああ、今の私の歩み方と似ている」と思ったのも束の間、聖火を落とし転んでしまった。
会場の人達の応援の拍手が続く。
その後、次の走者である目の悪い人に無事リレーを行った。

このシーンが私の心に一番響いている。
どれだけ、この事が自らの立場への励ましになった事だろうか。
何事にも、絶対にくじけてはいけないのだと思う。

しかし、今朝も、あの弾性靴下には手間取った。
どうしても脚の腫れは治らない。
転びそうになりながら部屋をうろうろする。しかも、今日は台風の心配もあるから、我が家の小さな運動場へも出て行けない。
本当は、こんな事ではいけないのだけどなぁ!

雨はあまり降らないが、時々、まるで部屋中が一杯に明るく照明がついたような空の変化が起こる。
まさに、台風だ。

昨日、姉が牛肉を買ってきた。
「肉を焼かないの?」と聞かれる。
肉料理は私の役目みたいなもの。
昨日から考えていたが、適当な材料がない。私自身が買い物へ行かない所為もあるのだが…

急にサラダが食べたくなった。それもポテトサラダが…
冷蔵庫を見たらキュウリがあった。トマトはないけれど、ポテトサラダは作れる。

サラダにスープ、そして主役のステーキ。
あれ程、入院中、食べたかったステーキも度々ではね!と自分の贅沢さに思う。
しかし、姉が気を利かせて買って来てくれたもので、しかも、今回はヒレだ。

料理が出来上がった時には、すっかり疲れ果ててしまった。
「ダメだ!私。死ぬほどきついわ!」と椅子へどさりと座る。

やっぱり、この体では、まだ、無理なんだと思う。
台所仕事というのは、かなり厳しい労力が必要なんだと改めて思う。
「私の味覚は変わったのかなぁ?」と姉に聞いた。
「変わらないよ」と返事があったので、少しばかり安心する。

二ヶ月半の入院生活は私の暮らしぶりをかなり変化させたように思う。

自立する勇気

2016年09月07日 | 日記・エッセイ・コラム
9月5日(月)

9月5日は区切りのいい日。
と、なんとなく思った。

何故だろう?
そうか!『9月5日』は、近所の郵便局の新装開店局の日だったのだと気付く。
郵便局のような日常生活につながりの深い施設が暫く工事のために無くなると、どれ程、不便かとつくづく感じたものだ。
特に、私のように脚の動きが不都合になった身には、しみじみ感じる。

同じような不都合が生活の中で、様々な形で起こる。
例えば、日用品の買い物をしても、トイレットペーパーやティッシュの箱を持つ事は二本杖では不可能に近い。
多分、大根一本も無理だと思う。

以前から買い物にはリュックサックを背負う事にしている。
最近では、我が家の郵便受けを覗きに行くにも、袋を持って出かける始末である。

最近は、洗濯物を干す時もステッキを使う事さえある。まったく、大げさな話だが、仕方がない。

ここのところ、足の裏が丸まったような感じで、しっかりと踏みしめられないようになった。
これはえらい事だ!杖や支えなしには満足に歩けそうもない。

と、言って、嘆いている暇はない。何とかしなければ…意地でも治さなければ……
だからと言って、曲がった腰椎を手術するのはまっぴらだ!
病院で、何人もの人の術後の様子を見た。
良くなった人もいるけれど、変わらない人の苦しみも聞いている。
私はこの歳になって、無理に手術をしたいとは思わない。
自分の母親の例もあるのだから…
その上、これ以上、姉に迷惑をかけたくないから。

部屋に持ち込んだステッキで立ち上がる苦心をしている。何回も尻餅をつきながらやっと立ち上がる。
ところが、ここ二・三日、階段を左右の足を使って登れるようになった。
怖がってはいけないのだと気がついた。
とにかく、苦労の多い日々だ。

つい、テレビの前で過ごす時間が多くなった。
たいして面白くもない内容が多い中で、最近は、心打たれる番組が多くなったと気がつく。
8日から『パラリンピック』が始まる。

日本からも、遠くリオデジャネイロに出かけた障害をもった選手が多く参加している。
何名かの選手の話が番組に載っているが、その経緯や努力には心を打たれる。
選手として選ばれた人達の心の動きや、障害の難関を乗り越えて血の滲むような努力の積み重ねをしている姿には、只々、敬服するばかりである。


「私には到底、出来ない!」なんて考える事自体が間違っていると気づいた。
自分を甘やかしているのだと気づく。そして……
歩けないのではなく、歩こうとしていないのだと気がついた。

彼等の血の出るような努力に敬意と応援をしよう。
そして、自分も自立する事を目指してやるべき事をやっていこう!

弾性靴下を履く

2016年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム
9月3日(土)

よく眠れるようになった。
病院の就寝時刻に慣れなかった私にとって、家での生活がどれ程有難い事か。

今朝は眠り過ぎた。
ゴミの処理を急がなくてはと、立とうとするが、なかなか難しい。
まだ、手術の後が気にかかるのだ。
動いてみると、案外、大丈夫らしい。しかし、油断は禁物。

脚が腫れて、動きが鈍くなっている。
『弾性靴下』を履くと、少しは状態が良いので、昨日は履いてみた。
この靴下は履く時も脱ぐ時も大変な時間がかかる。
病院では看護師さんが面倒を見て下さったが、専門家ですら手間取る靴下である。

帰宅してからは面倒なので履かないですませていた。
しかし、脚の動きがたどたどしくなってきたので、自分でこの靴下を履くしかない。
昨日は『履く事』に苦労した。一時間近くかかってしまった。

さて、今朝は脱がなければシャワーを使えない。
椅子に座って脱ぎ始めたが、かかとの部分で靴下がつっかえる。

シャワーの後は予備の靴下に履き替える。
これが、大変な苦労でまた左右小一時間。
何もしない身分だから良いものの、毎日この調子ではたまったものではない。

脚の動きは益々のろくなった。
昨日はどこへも行かなかったので、ひどくなったような気がする。
今日は近所の店まで行く事にした。
先日、出掛けた歩みに比べて、のろのろしている。更に途中で休みたくなる。
店内ではカートを使っているが、行き帰りの大変さをしみじみ感じた。

そうだ。歩こう!毎日、動かなくては…


* 弾性靴下の事を初めて聞いた時「エーッ!男性用の靴下?ブカブカじゃない
  の?」と思いました。
  笑い話のような話です。



自分の事は……出来るかな?

2016年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム
8月2日(金)

夜中に、閉め切った部屋で寝ていると、背中にかゆみが走る。
どうも、汗疹になるらしい。
私はほとんど寝返りをしないから、集中的に背中だけにかゆみが襲ってくる。

とうとう,我慢ができなくなって網戸にした。夜中の風は冷たくて、今までのかゆみが消えてしまった。
網戸にする。この手で行くか!いや、防犯上、危険だろうか?

今年の私の夏は6月後半から始まって、7月、8月と、まるで避暑地並みの生活だった。
特に私のベッドは壁際だったので、夜中に部屋の冷房が止められても、廊下側から冷たい空気が流れ込んで壁に跳ね返って冷気が襲ってくる。
大げさに言うと、ベッドの右側と左側の手すりを触ると、冷たさに大きな差があるのだ。
それは、まさに冷凍そのもの。

毛布を二枚、そしてとうとう脚と体を温めるものを、毎晩、用意してもらった。
それでも、明け方になると、背中がゾクゾクすることがあったが、なんとか切り抜けてきた。
お陰で、汗疹などになる暇はなかったが、まさに『北極と赤道直下』だと笑ったものだった。

そのような異常な環境から帰宅した後は、未だに自室のクーラーのスイッチを入れていない。
大きな理由はコンセントの位置が高いからだ。
まあ,間もなく、涼しくなるだろうぐらいに考え、なにより脚のためには危険を避けるのが一番と、いかにも無精者らしい理屈をつけたものである。


これからは、脚の訓練のために出来るだけ自分で何事もしようと思う。
洗濯をしたシーツを干すのは、以前からきつかったが、なんとか干すことが出来た。
しかし、ベランダの手すりにつかまったり、ステッキに捕まったりしているので、衣類のシワを完全に伸ばせるわけではない。
ただ、洗濯かごは姉が運んでくれるので、好意に甘えている。

今日は、久しぶりにステーキを焼いた。
野菜スープも作る。一通り、以前からの作り方で調理をする。
入院中、ステーキにどれ程憧れたか!看護師さんには笑われるほどだったが…
憧れのステーキを焼き終えて皿に盛り付けると、もうサラダまでには手が出せない。
何とまあ!情け無いこと!
どっかりと、椅子に座り込んでしまった。

自分の不注意が生活を完全に狂わせてしまっている。
兎に角、まだ,私は大丈夫なんておごり高ぶった事は言えないのだ。
 
今になって分かったのは、自分に置かれている厳しい現実と立場だ。
素直に受け入れなければいけないと、つくづく思う。