ここ数日、gooブログがアクセス解析の
無料キャンペーンというものをやっていたようです。
通常であれば、別途申し込みが必要なサービスのようで、
もちろん申し込んでいません。
だからわたしは今まで、自分のこの日記を
どのような方が見てくれているのかほとんど知りませんでした。
今回この企画があったおかげで、その一端を知ることができ、
はっと、胸を突かれる思いでした。
閲覧キーワード
『腫瘍熱』『ワクチン性線維肉腫』『温熱療法』
今もどこかで
あの頃のわたしと同じように、
情報を求めてネット上を探し回っている人たちがいる。。。。
その方たちに、
どこまで正確な情報を伝えられるか、
正直わたしには自信がないのです。
この日記は、
情報源として発する気持ちよりも、
病気になったちっちの生きた記録を寸分違わず残そうと
躍起になって書いたものでした。
知識が不十分だったことも、多々あるかと思います。
出来るだけ冷静に、ありのままを記したつもりでも、
それは完全ではありませんでした。
時には泣きながら、記し続けました。
いつでもやめることができるのに、
どうしてそこまでして書き続けていたのか、わかりません。
でも、ちっちと過ごす毎日毎日が貴重で、
わたしにとってかけがえのないものだったことは
間違いありません。
そのぬくもり、手触り、鳴き声、一緒に過ごす時間。。。。
そして愛しさを、残さずにはいられませんでした。
でもだからこそ、今また、
悲しくつらい思いと同時に、かすかな希望を胸に抱いた誰かが、
情報として末端にいるわたしの日記にまで
足を延ばしてくれている。。。
その方たちの気持ちを思うと、とても他人事とは思えません。。。
同じ思いを抱えている人は、たくさんいます。
どうかくじけずに、今の時間を大切に頑張ってください。
そして、、、
どれだけ懸命にその時間を過ごしても、
愛しい子が空に召されたあと、
身動きの取れないような深い悲しみと喪失感が
襲ってくるかもしれません。
わたしがそうだったように。。。。
それでも、
その悲しみが愛しさにかわる時が
必ずきます。
わたしが悲しみの中にいたとき、
たくさんの人がそう教えてくれました。
そしてそれは事実でした。
どうか信じて、くじけずに頑張ってください。
そしてもう一つ。。。
ぼーちゃんの記事をさかのぼって見てくれている人が多かったことを
知りました。
プロフィールにも、ブログタイトルにも、
記されている珠ちゃんとぼーちゃんの日々。。。
それなのに、
今はもう、珠ちゃんの記事しかアップされることはありません。。。
それを不思議に思った方が、
カテゴリーから見てくれているのではないかと思います。
ちっちの死後、
深い喪失感からわたしを救い出してくれたのは、
ぼーちゃんの存在でした。
綺麗な、高貴ともいえる容貌をした
本当に無邪気で、人間が大好きな、
ちっちと同じ茶トラの男の子でした。
ぼーちゃんは、わたしにとって、神様からの贈り物でした。
偶然の奇跡が、悲しみからわたしを掬いあげてくれました。
見るに見かねたちっちが、
わたしをぼーちゃんに会わせてくれたのではないかと思っています。
でもその子は、今年の4月24日、
突然の呼吸困難であっという間に空に登ってしまいました。。。
気管支炎系の病気の闘病中ではありましたが、
まさか死がそんなすぐそばに迫っているとは、
医師も含め誰もが想像していなかった時の、
本当に突然の死でした。。。。
ぼーちゃんを荼毘に伏す直前、
ぼーちゃんと約束しました。
もう、ちっちの時のように周囲を心配させるように
落ち込んだりはしない。
わたしはわたしのすべきことをする。
そして、ぼーちゃんが生まれ変わって
わたしに会いにきてくれる時を待ってる。
ぼーちゃんを火葬したその日の夕方、
その足で学校に行きました。
絶対に休まないと心に誓っていました。
そこで、ぼーちゃんの亡くなった日が、
『イースター』キリスト教で言う、『復活祭』であったことを
知りました。
わたしはクリスチャンでもなんでもありませんが、
授業の一環としてある、そのキリスト教の礼拝中、
目をつぶってパイプオルガンの音色に耳を傾けていると、
必ず、
必ずもう一度ぼーちゃんに会える。
そう思うことができました。
向こうから、一目散にわたしに向かって走ってきてくれる
ぼーちゃんのことを思い描きながら、
わたしは毎日を過ごしています。
ぼーちゃんのプロフィールに、
享年の文字を書くことはまだできません。
わたしとぼーちゃんの日々は
まだ終わってないと、
愚かかもしれないけれど、
そう信じています。
ぼーちゃんと過ごした、
本当に幸せだった日々、
それを見ていただけて、
わたしはとてもうれしいです。。。。
読んでいただいて、ありがとうございます。
どうかくじけずに、
今のこの時を全力で受け止めて、
日々をお過ごしください。
読んでいただいて、本当にありがとうございます。
無料キャンペーンというものをやっていたようです。
通常であれば、別途申し込みが必要なサービスのようで、
もちろん申し込んでいません。
だからわたしは今まで、自分のこの日記を
どのような方が見てくれているのかほとんど知りませんでした。
今回この企画があったおかげで、その一端を知ることができ、
はっと、胸を突かれる思いでした。
閲覧キーワード
『腫瘍熱』『ワクチン性線維肉腫』『温熱療法』
今もどこかで
あの頃のわたしと同じように、
情報を求めてネット上を探し回っている人たちがいる。。。。
その方たちに、
どこまで正確な情報を伝えられるか、
正直わたしには自信がないのです。
この日記は、
情報源として発する気持ちよりも、
病気になったちっちの生きた記録を寸分違わず残そうと
躍起になって書いたものでした。
知識が不十分だったことも、多々あるかと思います。
出来るだけ冷静に、ありのままを記したつもりでも、
それは完全ではありませんでした。
時には泣きながら、記し続けました。
いつでもやめることができるのに、
どうしてそこまでして書き続けていたのか、わかりません。
でも、ちっちと過ごす毎日毎日が貴重で、
わたしにとってかけがえのないものだったことは
間違いありません。
そのぬくもり、手触り、鳴き声、一緒に過ごす時間。。。。
そして愛しさを、残さずにはいられませんでした。
でもだからこそ、今また、
悲しくつらい思いと同時に、かすかな希望を胸に抱いた誰かが、
情報として末端にいるわたしの日記にまで
足を延ばしてくれている。。。
その方たちの気持ちを思うと、とても他人事とは思えません。。。
同じ思いを抱えている人は、たくさんいます。
どうかくじけずに、今の時間を大切に頑張ってください。
そして、、、
どれだけ懸命にその時間を過ごしても、
愛しい子が空に召されたあと、
身動きの取れないような深い悲しみと喪失感が
襲ってくるかもしれません。
わたしがそうだったように。。。。
それでも、
その悲しみが愛しさにかわる時が
必ずきます。
わたしが悲しみの中にいたとき、
たくさんの人がそう教えてくれました。
そしてそれは事実でした。
どうか信じて、くじけずに頑張ってください。
そしてもう一つ。。。
ぼーちゃんの記事をさかのぼって見てくれている人が多かったことを
知りました。
プロフィールにも、ブログタイトルにも、
記されている珠ちゃんとぼーちゃんの日々。。。
それなのに、
今はもう、珠ちゃんの記事しかアップされることはありません。。。
それを不思議に思った方が、
カテゴリーから見てくれているのではないかと思います。
ちっちの死後、
深い喪失感からわたしを救い出してくれたのは、
ぼーちゃんの存在でした。
綺麗な、高貴ともいえる容貌をした
本当に無邪気で、人間が大好きな、
ちっちと同じ茶トラの男の子でした。
ぼーちゃんは、わたしにとって、神様からの贈り物でした。
偶然の奇跡が、悲しみからわたしを掬いあげてくれました。
見るに見かねたちっちが、
わたしをぼーちゃんに会わせてくれたのではないかと思っています。
でもその子は、今年の4月24日、
突然の呼吸困難であっという間に空に登ってしまいました。。。
気管支炎系の病気の闘病中ではありましたが、
まさか死がそんなすぐそばに迫っているとは、
医師も含め誰もが想像していなかった時の、
本当に突然の死でした。。。。
ぼーちゃんを荼毘に伏す直前、
ぼーちゃんと約束しました。
もう、ちっちの時のように周囲を心配させるように
落ち込んだりはしない。
わたしはわたしのすべきことをする。
そして、ぼーちゃんが生まれ変わって
わたしに会いにきてくれる時を待ってる。
ぼーちゃんを火葬したその日の夕方、
その足で学校に行きました。
絶対に休まないと心に誓っていました。
そこで、ぼーちゃんの亡くなった日が、
『イースター』キリスト教で言う、『復活祭』であったことを
知りました。
わたしはクリスチャンでもなんでもありませんが、
授業の一環としてある、そのキリスト教の礼拝中、
目をつぶってパイプオルガンの音色に耳を傾けていると、
必ず、
必ずもう一度ぼーちゃんに会える。
そう思うことができました。
向こうから、一目散にわたしに向かって走ってきてくれる
ぼーちゃんのことを思い描きながら、
わたしは毎日を過ごしています。
ぼーちゃんのプロフィールに、
享年の文字を書くことはまだできません。
わたしとぼーちゃんの日々は
まだ終わってないと、
愚かかもしれないけれど、
そう信じています。
ぼーちゃんと過ごした、
本当に幸せだった日々、
それを見ていただけて、
わたしはとてもうれしいです。。。。
読んでいただいて、ありがとうございます。
どうかくじけずに、
今のこの時を全力で受け止めて、
日々をお過ごしください。
読んでいただいて、本当にありがとうございます。