ちっちと一緒に

線維肉腫と闘ったちっちとの大切な時間
ぼーちゃんとの出会いと別れ。珠ちゃんとの愛しい日々のこと。

ありがとうございます。

2011-08-18 | 日々のこと
ここ数日、gooブログがアクセス解析の
無料キャンペーンというものをやっていたようです。
通常であれば、別途申し込みが必要なサービスのようで、
もちろん申し込んでいません。
だからわたしは今まで、自分のこの日記を
どのような方が見てくれているのかほとんど知りませんでした。

今回この企画があったおかげで、その一端を知ることができ、
はっと、胸を突かれる思いでした。

閲覧キーワード
『腫瘍熱』『ワクチン性線維肉腫』『温熱療法』


今もどこかで
あの頃のわたしと同じように、
情報を求めてネット上を探し回っている人たちがいる。。。。

その方たちに、
どこまで正確な情報を伝えられるか、
正直わたしには自信がないのです。

この日記は、
情報源として発する気持ちよりも、
病気になったちっちの生きた記録を寸分違わず残そうと
躍起になって書いたものでした。

知識が不十分だったことも、多々あるかと思います。
出来るだけ冷静に、ありのままを記したつもりでも、
それは完全ではありませんでした。

時には泣きながら、記し続けました。
いつでもやめることができるのに、
どうしてそこまでして書き続けていたのか、わかりません。

でも、ちっちと過ごす毎日毎日が貴重で、
わたしにとってかけがえのないものだったことは
間違いありません。

そのぬくもり、手触り、鳴き声、一緒に過ごす時間。。。。
そして愛しさを、残さずにはいられませんでした。

でもだからこそ、今また、
悲しくつらい思いと同時に、かすかな希望を胸に抱いた誰かが、
情報として末端にいるわたしの日記にまで
足を延ばしてくれている。。。
その方たちの気持ちを思うと、とても他人事とは思えません。。。

同じ思いを抱えている人は、たくさんいます。
どうかくじけずに、今の時間を大切に頑張ってください。

そして、、、
どれだけ懸命にその時間を過ごしても、
愛しい子が空に召されたあと、
身動きの取れないような深い悲しみと喪失感が
襲ってくるかもしれません。
わたしがそうだったように。。。。

それでも、
その悲しみが愛しさにかわる時が
必ずきます。
わたしが悲しみの中にいたとき、
たくさんの人がそう教えてくれました。
そしてそれは事実でした。
どうか信じて、くじけずに頑張ってください。


そしてもう一つ。。。

ぼーちゃんの記事をさかのぼって見てくれている人が多かったことを
知りました。

プロフィールにも、ブログタイトルにも、
記されている珠ちゃんとぼーちゃんの日々。。。
それなのに、
今はもう、珠ちゃんの記事しかアップされることはありません。。。

それを不思議に思った方が、
カテゴリーから見てくれているのではないかと思います。

ちっちの死後、
深い喪失感からわたしを救い出してくれたのは、
ぼーちゃんの存在でした。

綺麗な、高貴ともいえる容貌をした
本当に無邪気で、人間が大好きな、
ちっちと同じ茶トラの男の子でした。

ぼーちゃんは、わたしにとって、神様からの贈り物でした。
偶然の奇跡が、悲しみからわたしを掬いあげてくれました。

見るに見かねたちっちが、
わたしをぼーちゃんに会わせてくれたのではないかと思っています。


でもその子は、今年の4月24日、
突然の呼吸困難であっという間に空に登ってしまいました。。。

気管支炎系の病気の闘病中ではありましたが、
まさか死がそんなすぐそばに迫っているとは、
医師も含め誰もが想像していなかった時の、
本当に突然の死でした。。。。

ぼーちゃんを荼毘に伏す直前、
ぼーちゃんと約束しました。
もう、ちっちの時のように周囲を心配させるように
落ち込んだりはしない。
わたしはわたしのすべきことをする。
そして、ぼーちゃんが生まれ変わって
わたしに会いにきてくれる時を待ってる。

ぼーちゃんを火葬したその日の夕方、
その足で学校に行きました。
絶対に休まないと心に誓っていました。
そこで、ぼーちゃんの亡くなった日が、
『イースター』キリスト教で言う、『復活祭』であったことを
知りました。

わたしはクリスチャンでもなんでもありませんが、
授業の一環としてある、そのキリスト教の礼拝中、
目をつぶってパイプオルガンの音色に耳を傾けていると、

必ず、
必ずもう一度ぼーちゃんに会える。
そう思うことができました。

向こうから、一目散にわたしに向かって走ってきてくれる
ぼーちゃんのことを思い描きながら、
わたしは毎日を過ごしています。

ぼーちゃんのプロフィールに、
享年の文字を書くことはまだできません。
わたしとぼーちゃんの日々は
まだ終わってないと、

愚かかもしれないけれど、
そう信じています。

ぼーちゃんと過ごした、
本当に幸せだった日々、
それを見ていただけて、
わたしはとてもうれしいです。。。。

読んでいただいて、ありがとうございます。

どうかくじけずに、
今のこの時を全力で受け止めて、
日々をお過ごしください。

読んでいただいて、本当にありがとうございます。




休日

2011-08-14 | 日々のこと
久々にジョギングに行ってきました。

土日とお休みでも、
お財布事情が厳しくて
なかなか遊びにいくことはできないのが現状です。

でも、こうして土日どっぷりと珠ちゃんと過ごして、
コーヒーでも飲みながら本を読んだり、
家中をぴかぴかに掃除したり、

ほっと一息ついて、
とても良いお休みでした。

なにもできなくても、
ランニングシューズと、ウェアに着替えて
河川敷に向かえば、

本当にこころがすーっとなって、
なによりの気分転換になります。



今日、ちょっと感動したのが、
この道です。



写真の撮り方がへたっぴで、
ニュアンスが全然伝わりませんが、
このススキ、わたしよりも背が高いのです。

この道を走っていると、
まるで、草木からハイタッチをしてもらってる気分になりました。

おかえりー
おかえりー


そう言ってくれているようです。

ただいまー

思わずにこにこしてしまいました。

お囃子の音につられて向かってみると、
小さな盆踊り。



新しいのは


英会話の出店。
子供たちが瞳をきらきらさせて
「DOG!」と言っていました。

夜になる少し前、
二つ先の駅でだんなさんと待ち合わせ。
久しぶりにごはんを食べました。

だんなさんを待っている間に、
駅の雑貨屋さんで、
髪留めを買いました。
(あ、一個はだんなさんが買ってくれました)


このかごは、実習で作ったもの。
なかなか可愛くできたので、小物入れに使っています。

自分を飾るお買いもの。
ほんの何百円かの買い物だったけど、
久しぶりで、なんだかドキドキしました。

この生活をはじめて、
毎月の学費が10万円。
ほんとうに楽じゃありません。

でも、身の回りのものが
どんどんシンプルになっていって、
そういう生活は、嫌いではないのです。

肌に使う化粧品も、
もうずいぶん前から化粧水とアイクリームだけ。
でも、ほとんど肌荒れもしません。
これは、両親に感謝ですね。

駅前で、
路上占い詩人のお兄さんの露店を見つけました。

普段、こういう方たちのお店を
素通りしてしまうわたし。

でも、久々に町に出た浮かれ気分が
そうさせたのか、書いてもらいました。



横にいるだんなさんを見て、
「お二人の相性みたいな感じでも作れますよ」
とすすめてくれた詩人のお兄さんは、
珠ちゃんとわたしの名前が書かれたメモを見て、
「ね・猫っすか、、、、?」
と少し戸惑い気味でした(笑)

超美人な三毛猫です。

と言ったのに、
「女の子ですか?」
と聞き返していたので、
お兄さん、猫好きじゃないのかもしれません。

書かれた言葉の意味を、
いろいろ説明してくれたけど、
正直よくわからなかったです(笑)

猫、ということで、
招き猫をうんぬん、かんぬん、
と言っていたことで、
おいおい、お兄さん、詩人のお兄さん、
その発想はますます猫好きではないな、と
内心思いました。(笑)

でも、ゆうと珠の間に、ハートマークを入れてくれたのが
うれしくて、
とても満足しました^^







ジョギングの途中、
ふと振り返って仰ぎ見た空。


今日も読んでいただいて
ありがとうございます。


ふたり暮らし

2011-08-14 | 珠ちゃん
ひとりと一匹の暮らしは
べったり具合がすごいといいます。

事実です。

でもそれが、

言葉を理解する子との暮らしだとすると、
そして女の子同士だったりすると、

それはもうほとんど
『ふたり暮らし』といっていいものになります。

そう思って珠ちゃんと生活すると、
わたしが珠ちゃんを好きだと思っているのと同じくらい、
たぶん、珠ちゃんもわたしを好きでいてくれているのが
ひしひしと感じられます。

大事な大事な珠ちゃん。
おねえちゃんの大好きな珠ちゃん。

そう声をかけると、
目がとろんとなって、体がふにゃ~と柔くなります。



「あたしとっても気持ちいい。。。(珠)」

そう全身で答えてくれます。

朝の5時。

「ゆうちゃん、あたし腹ぺこなの!(珠)」

そう言ってわたしの顔を前足でぺちぺち。(絶対に爪は出さない)
顔をぺろぺろ。
非常に執拗です(汗)

一度たまりかねて、珠ちゃんの瞳を見つめて、
強く言ったことがありました。
「珠ちゃん。もうちょっと待って!」

そのとたん、珠ちゃんの動きがぴたりと止まり、
わたしの顔に自分の顔を擦り付けて、ゴロンと横になってしまいました。

それから15分後。
ふたたびごはんの催促がはじまりました。

また言いました。
「珠ちゃん、あと30分寝かせて!」

すると、また、珠ちゃんの動きがとまり、ゴロン。

わたしは思わず、
「マジで~??」と言ってしまいました。
珠ちゃん、言葉わかってるの~。。。。??

その後、ためしに、
「珠ちゃん、(ベッドの)下で待ってて!」

って、言ってみたんです。
そしたら、

ベッドの下で横になってるぅぅーーー!!!

さて、とうとうわたしが起きてごはんの用意をしていると、
興奮した珠ちゃんは、歯をわたしの体にひっかける、という癖があります。
うれしくて待ちきれないんだと思います。
ちょうどわたしの膝小僧あたりに、犬歯がひっかかるので、
結構痛いのです。

そこで、
「ねえ、珠ちゃん、歯、痛いから、本当にやめて」
と言ってみました。

そしたら、、、

思わず歯はひっかけちゃうんだけど、
さっとひっこめるように。


最近、ひとり生活でごはんを横取りされる心配がなくなった珠ちゃん。
(もともとぼーちゃんは横取りする子ではなかったけど・・・)
ごはんの選り好みが出てきました。
気に入らないごはんだと、
徹底して食べないのです。

そこで、
「ねえ、珠ちゃん、お肉とお魚どっちがいい?」
と聞いてみることにしました。

「にゃ~!」と鳴いたほうを選んでだすと、
残さず一気食い。

ほんとうにたまげます。




この間、ちと落ち込むことがありまして、
珠ちゃんに気付かれないよう、
お風呂場でメソっとしてたんです。
そしたら、

「ゆうちゃん、どうしたの~?あたしに話してみて!」

と、お風呂場のドアを頭で必死でこじあけて
入ってきてくれました。

今までわたしがお風呂に入ってたりすると、

「ゆうちゃん、どこ~?なにしてるの~?」

と、ドアの外で鳴くことは多々ありましたが、
ドアをこじあけて入ってくることは
一度もありませんでした。




珠ちゃんとの生活は、
ひとりと一匹ではなくて、
ふたり暮らしなのだと、
感じています。

だから、さみしいなんて言ってられませんね。

この生活をはじめて数か月。
わたしの身近でいろんなことが変わっていきます。

わたし自身が変えてしまったこともあるし、
そうでないこともある。

でも、どんな変化も、
ぼーちゃんの時のように、
突然有無を言わさず、奪いさられる、というような
胸をえぐりとられるような厳しいことでなく、

たとえそれがわたしにとって
悲しくてさみしいことであっても、
それが時間の流れとともにいつのまにか起こったことならば、
静かに受け入れるしかないんだと思います。

変わっていくことは、自然なことだから。
ずっと変わらないことがあるとすれば、
むしろそっちのほうが、不安かもしれません。

わたしは、どんな時も、
自然であることが好きです。





ついさっき、昼過ぎ、
ツイッターで追ってくれている方はすでに
ご存知かもしれませんが、
わたしがちょっと目を離したすきに
珠ちゃんがベランダから外に出てしまいました。
でも、大丈夫でした。
隣の部屋のベランダにいて、
ごはんで誘うと、静かに帰ってきてくれました。

ほんとうに怖かった。。。
落ちてなくて良かった。。。
もう二度とこんなミスはしません。