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母と子は自然的な繋がりであるが、男性には法的擬制が必要。

2015-08-18 | 社会問題
毎日の物質的状況と精神的状況を幸福なものへと変えられる女性の観念や女性の直観に描かれたような、男性たちの精神的解放運動は、神聖な力として本領を発揮するのである。

その男性解放運動の終末に再び表面化することは、歴史の習いである。性は循環し、社会は再び始まりに戻る。

男性世界の内部崩壊が進めば進むほど、ますます決定的に女性的な普遍的原理があらためて前面に表れて、日常生活のもっとも素朴な高次のあの自然法さえも再び主張されるようになる。

男性が話す世紀末は、人間の始まりの発展段階についてさえその歴史的実在の可能性を疑われたものであったにもかかわらず、今やまさにそのような自然法が、人間発展の崇高な段階に至って、人間本性の動物的側面を意識的に高級化しつつ再び生きる許可を与えられるのである。

およそいっさいの人間的感性の理想として低俗な感情よりもてはやされることになる。

最終的には新時代の幕開けとして認識されるものが、このような相互関係は感性の発展が、その感情的行動が完全に自由であるにもかかわらず、いかに不完全に問題を引き起こしていたのかを証明していく。


男性世界の部族に認められる女性原理の様々な形態や表現は、共存社会を愛する集落にとって偉大な歴史的家庭の各段階に相当する歴史の二面性である。

女性に対する男性の勝利が人類の発展の中で占める正しい位置を与えることが出来るには、それと同時に人の世も、かつては生み出て、かつては滅びゆく、それ自体善きことを必要とし、、善きことによって充たされ、常に善きことを求めてこれに携わる母なる大地の恵みにある。

無機律な男性の愛も、同じく無機律な男性の敵意も、彼女たちを美しさの高次の定めから遠ざけてしまうのはあまりにも合理的とは言えない。

女性から生まれる自然的男女法に従えば、この自然法を常に変更し侵害する男女法ではない。大地が母なるものと類似するのは、母なるものが大地に似るように、大地が母なるものに似ているからである。

また、女性社会は婚姻によって成立するものではなく、それはむしろ逆であり、その自然的法則および普遍的法則によって成立する。女性社会と男性社会とは対立するものではなく、これは必然的に付属するものである。母なるものの根本理念は自然的概念に依拠しているからである。

家族は純粋に自然的な概念であり、それゆえまず母なるものについて男性自身が家族に対して何が出来るかを考え出す男性に女性は共感し愛す。

父なるものでは常に法的擬制が必要にあり、これに対して母なるものは自然的事実であるのだから、いかなる者との交わりによって懐胎したのであれ、母なるものは必ず確定者であるが、これに対して父なるものは婚姻によってのみ指示されるものであるにすぎないのである。

父と子の関係では自然的確実性は常に欠けているので、法的擬制がこれにとって代わらなければならないことを示唆している。母なるものの権利は自然の真理であるが、父なるものは市民法上にある権利だけである。

母と子は自然が示す道理であり、血族も自然の示す道理であるが、父なるものが自然にだけ任せていては自然とは襲い掛かるものであるから、法律上、真であり続ける為の確定的なものにする必要が法律上どうしても無くてはならない。

この男性世界は物質を貫く男性本能の呪縛から逃れるチャンスもタイミングも無く、それゆえ自然力の母性原理な側面が重要となる。

女性社会に元々備わっている民族の遺伝子が、低次元の混乱する動物的生活段階にあっては、下等動物と同じ様にただ自然のままの性欲だけが行われていると考えるのは、あながち間違っているとは言えないだろう。

女性社会は無文化の世紀末時代に属するものでなく、むしろ進んで自慢出来る一つの高級な文化的状態なのである。

女性たちは規律ある一つの土地を愛し、一人の男性を愛し、自然と同居し、死を受け入れ、大地に根付いて発展を遂げる者であり、逆に好奇心旺盛な男性たちは新たな開拓を模索し戦いに明け暮れるのを望みながら発展を遂げる人種である。

元を正せば、壮大な宇宙や大自然を愛する男性たちである。大地の恵みと自然法を理解するのは誰であれ善き指導者なのである。



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