幸か不幸か、いわゆる霊感と言われる類いの力を持ち合わせていないので、そういった方面の怖い目には基本的に遭わない。小さい頃は臆病で色々なことを怖がっていたけど、得体の知れない恐怖なんてものはそうそうあるもんじゃないんだなということが年とともにだいぶ分かって来たので、例えばツアー先のホテルで金縛りに遭うとかいった経験はまるでなく、どちらかといえば打ち上げで泥酔して部屋で眠りこけて気付いたら翌朝集合時間10分前、なんつう現実的な怖い目に遭う方が多かったくらいである。
霊がこの世に対して抱き続ける恨みには、“時効”みたいなものがあるのだろうか。例えば、“階段のところに毬をついている着物姿の女の子がいる”とか、“ボロボロの軍服を纏った兵隊が恨めしそうな目で立っている”とかは良く聞く話で、まあいずれもここ100年以内かそのくらいにこの世にいた人達の霊、ということになるんだろう。もっと昔の、“粗相をして斬り殺された江戸時代の女中の霊”とか、“激しい政争の挙句に敗北を喫し失意の内に死んでいった豪族の祟り”、とかってのもまだ耳にするが、例えば、
“気合いを入れて結った髪型を好きな女の子にバカにされて激昂、彼女の顔を田んぼの泥に押し付けて殺して自分も泥をガブ飲みして自殺した弥生人の霊”
とか、
“焼いている途中の土器がなぞの大爆発を起こしして事故死した縄文人の霊”
とか、
“幾ら原人だからっつってもそりゃ毛深すぎだろってくらいにもじゃもじゃだった為に獲物と間違えられて石器で撲殺された北京原人の霊”
とかってのはあまり聞かない。どうしてだろう。つまり霊を感じる側の知識の範囲内でしか、“彼ら”は現れない=想像の産物でしかないということなのか。それともやはり霊は実在するんだけれどもそう何年も続くもんじゃなくて、
「ま、いっかそろそろ。ぶっちゃけあん時そこまでムカついたわけじゃねーし(笑)」
みたいな感じで、霊もいずれ諦めるということなのか。よく分からないけど、まあ多分いないんじゃないすかね、霊は。というのがとりあえず2009年4月現在の僕の見解であります。敬具。
霊がこの世に対して抱き続ける恨みには、“時効”みたいなものがあるのだろうか。例えば、“階段のところに毬をついている着物姿の女の子がいる”とか、“ボロボロの軍服を纏った兵隊が恨めしそうな目で立っている”とかは良く聞く話で、まあいずれもここ100年以内かそのくらいにこの世にいた人達の霊、ということになるんだろう。もっと昔の、“粗相をして斬り殺された江戸時代の女中の霊”とか、“激しい政争の挙句に敗北を喫し失意の内に死んでいった豪族の祟り”、とかってのもまだ耳にするが、例えば、
“気合いを入れて結った髪型を好きな女の子にバカにされて激昂、彼女の顔を田んぼの泥に押し付けて殺して自分も泥をガブ飲みして自殺した弥生人の霊”
とか、
“焼いている途中の土器がなぞの大爆発を起こしして事故死した縄文人の霊”
とか、
“幾ら原人だからっつってもそりゃ毛深すぎだろってくらいにもじゃもじゃだった為に獲物と間違えられて石器で撲殺された北京原人の霊”
とかってのはあまり聞かない。どうしてだろう。つまり霊を感じる側の知識の範囲内でしか、“彼ら”は現れない=想像の産物でしかないということなのか。それともやはり霊は実在するんだけれどもそう何年も続くもんじゃなくて、
「ま、いっかそろそろ。ぶっちゃけあん時そこまでムカついたわけじゃねーし(笑)」
みたいな感じで、霊もいずれ諦めるということなのか。よく分からないけど、まあ多分いないんじゃないすかね、霊は。というのがとりあえず2009年4月現在の僕の見解であります。敬具。