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何やら古めかしい扁額ですが、白岡市野牛にある、久伊豆神社に掲げられている物です。
正徳元年(1711)に来日した朝鮮使節団(なんと500人ほどの大使節団)の製述官李礥(イヒョン)が揮毫したものです。
時期は正徳元年11月、野牛村の領主であった新井白石が李礥に書いてもらったものです。
この時、新井白石は朝鮮使節(正式には朝鮮通信使)の接待係として、彼らと親交を結びます。
その縁で、書いてもらったと思えます。
神社は・・・
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小さいですね。江戸後期でも、戸数は100戸に満たない小さな村の鎮守ですからこんなもんでしょうね。
先週の土曜日、市制施行記念の講演会で白石研究の第一人者と知られている坂井昭さんの講演を聞きました。
口の悪い・・・FBともだちは、おばさんが沢山とかコメントを貰いましたが、250席ほぼ満席の盛況ぶりでした。
その時の様子がこれ
確かに女性が多く映っていますが、実際は男性のが多かったように思えます。
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当日は、新井白石とその父が仕えた久留里藩のある千葉県君津市からなんと大型バス2台で60名程が来場、他に福島県郡山市から「藤沢周平の作品を楽しむ会」の会員20名程もいらしてました。
藤沢周平?って思ったんですが、新井白石を主人公とした、小説を書いているんですね。
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この中で、当初の扶持から500石の知行に切り替えられ、知行地として、武蔵国比企郡奈良梨村、越畑村、埼玉郡野牛村を拝領した事が書かれていました。ただ・・・
それぞれに「ならなし」、「こしはた」、「のうし」とルビがふられていましたが、残念なことに
「ならなし」は正しいですが「こしはた」は「おつはた」、「のうし」は「やぎゅう」の誤りでした。
う~ん・・・江戸時代後期の地誌である、新編武蔵国風土記稿とか、明治の武蔵国郡村誌とかで確認してもらえばわかると思うんですけどね・・・
では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~