縄文人の反乱 日本を大事に

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【消してはならない! 今の日本人が知らない先人たちの偉業。大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓】

2014年04月18日 19時06分21秒 | 色んな情報

【消してはならない! 今の日本人が知らない先人たちの偉業。大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓】

地中海にあるマルタ島。そのカルカーラの丘の英海軍墓地の一隅に「大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓」が建っています。なぜこんな遠くの地に墓碑が建てられたのでしょうか。

共産主義者のセルビア青年がオーストリア皇太子夫妻を暗殺したサラエボ事件に端を発した第一次欧州戦争。オーストリアの同盟国はドイツなど、これに対しセルビア側にはロシア、フランス、イギリス、イタリア、アメリカ、日本などの連合国が対峙しました。この第一次欧州戦争でドイツはヨーロッパ戦線が膠着していたため、ドイツは地中海で潜水艦Uボートによる無差別攻撃を決行しました。そのため兵員などを輸送する連合国の船舶被害は激増しました。これに音をあげたイギリスは同盟国でもある日本に派遣を要請します。

日本は大戦当初、支那の青島やマリアナ諸島方面に展開するドイツ海軍に対する作戦もあり、艦艇を地中海にまで派遣する余裕はありませんでしたが、連合国の輸送船を護衛するために巡洋艦「明石」と駆逐艦8隻からなる「第二特務艦隊」を地中海に派遣することにしました。

日本の艦隊が現地到着した頃には連合国の艦船被害は甚大であったため、帝国海軍は長期行動にもかかわらず休養もなく直ちに護衛任務を要請されました。任務は船舶の護衛と被害を受けた艦船の救助活動でした。

戦闘中の救助作業というのは自らを危険にさらすことでした。しかも救助活動で多数の救助者が艦内に収容され食料や水はたちまち底をついたにもかかわらず、日本兵たちは自分たちの食糧や衣類や寝場所まで彼らに与え、自分たちは空腹と不眠のまま任務を遂行しました。

大正6年5月、帝国海軍の「榊」・「松」の駆逐艦2隻は、魚雷攻撃を受け沈没していく兵員輸送船「トランシルバニア号」の救援に駆けつけて、敵の潜水艦の目前で、しかも敵と戦闘しながら、何と乗員約1,800名を救助しました。これは奇跡ともいわれるくらい常識破りの行為であり、帰港したイタリア・サボナでは帝国海軍の日本兵たちを英雄として大歓迎しました。

また、大正7年、駆逐艦「桃」・「樫」は、魚雷を受け自力で航行出来なくなった英船「パングラス号」を不眠不休3日3晩、戦闘しながら、しかも潜水艦に襲撃される危険も恐れずに同船を曳航してマルタに無事届けました。この快挙にマルタの町は感極まって日の丸で迎えてくれたのです。

さらにイギリス船「カメロニアン号」にドイツ潜水艦が魚雷を発射します。帝国海軍は発見が一瞬遅れますが、日本の駆逐艦はそこに果敢に全力で突入して、自らが魚雷の犠牲となって輸送船を守ったのです。

これらのことにより帝国海軍は大きな信頼を得て、輸送船の船長の多くは帝国海軍の護衛を望み、日本艦隊の護衛がなければ出発しないという船長が出るほどでした。
この帝国海軍の奮戦振りにイギリスは「地中海の守護神」と称え、世界中からも称賛されました。この帝国海軍の活躍に対し、イギリス国王は日本の将兵に勲章を授与し、何と英国議会では議会始まって以来、日本語で「バンザイ三唱」までもが行われました。

これらの任務の中で尊い犠牲もありました。任務中の「榊」が潜水艦Uボートの雷撃を受け大破し、59名が帰らぬ人となりました。他の戦闘と併せて78名が命を落とされました。しかし、この帝国海軍・第二次特務艦隊の栄誉と勇敢さが称えられ、大正7年にカルカーラの英海軍墓地内に大理石の墓碑が建立されました。これが「大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓」なのです。

その後、第二次大戦で、このマルタ島はドイツ空軍の猛烈な攻撃にさらされ、この時の爆撃でこの墓碑の「大日」の文字が吹き飛ばされ破損してしまいました。
終戦後、マルタ島に訪れる日本人も少なく、この墓碑は30年間壊れたままでしたが、昭和46年2月、当時の自衛隊・海上幕僚長が訪欧でマルタに立ち寄った時、あまりに破損がひどいので、外務省と協議して再建することにしました。昭和48年11月18日に復元され、イタリア大使館主催で除幕式が盛大に行われました。

墓碑が再建されたことをお聞きになられた昭和天皇は大変お喜びになられたそうです。それは大正10年4月に皇太子であった昭和天皇が欧州ご訪問をなされましたが、まず真っ先に訪れたのがこのマルタの地でした。そしてこの墓碑にご参拝なされ、花輪を供えて英霊を慰められました。この時、マルタの地では日章旗と皇室の菊の御紋であふれかえったといいます。
 
 『日本海軍地中海遠征記-若き主計中尉の見た第一次世界大戦-』の解説をしたC・W・ニコルさんはこう書いています。
「80余年の時を経て今、海上自衛隊がインド洋に派遣されているが、派遣の是非を論じる前に世界が称賛したこんなに勇敢で誇り高い日本人が居たという事実をもっと学んで欲しい」
彼はこの本の印税を全額マルタの碑の維持費に寄付しました。

この英国生まれのC・Wニコルさんは平成7年に日本国籍を取得しました。その理由をこう語っています。
「日本が私の家であり、もっとも愛する国だからだ。どの国にもまして私は日本でいちばん多くの時間を過ごしている。家族も友人も世界中にいるけど、私のいちばん親しい人たちはほとんどが日本人だ。日本は私に衣食住を与え、移動を許し、私を守ってくれる。こう言うと、よく『日本のどこがそんなにいいんですか』と尋ねられる。そう聞くのはいつも決まって日本人だ。・・・。私はこれからも誇り高き日本人として、精いっぱい生きていきたい」と語っています。

マルタの土となった英霊はいまも祖国日本には帰っていません。英霊たちは、もはや今の日本人は自分たちのことをすっかり忘れ去られているのかもしれないと、そういう思いだろうか・・。遠い地の英霊たちは遥かなる祖国日本を、今の日本人をどんな気持ちで眺めているのだろう。


【国民投票法18歳の投票権に見る日本はいかに世界とは違うか。戦後日本のゆがみ】

2014年04月18日 18時58分25秒 | 色んな情報

【国民投票法18歳の投票権に見る日本はいかに世界とは違うか。戦後日本のゆがみ】

憲法改正に必要な国民投票法について18歳の投票権は「他国がそうだから日本もそうする」という単純なことで比較できない理由が日本にあります。戦後日本の間違った教育がそこにあるのです。動画の文字起こしを書いておきます。
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18歳の教育現場、国民投票法と成人年齢引き下げ・・・
ようやく58年ぶりとなる教育委員会制度の改正、立法府での議論がスタートしました。そもそも今までの非常勤が責任者という無責任体制を抜本的に改めることは、改革というよりも当たり前を取り戻すということであります。
同じように今国会で審議している国民投票法の投票年齢引き下げ及び今後行われる成人年齢引き下げの話であります。

国民投票法では投票権は18歳以上に引き下げられます。そして、結果的に成人年齢も18歳に下げていくべきという議論が行われています。ここで大事なことを考えないおかしな上滑りがあるといけない。それは“18歳が高校3年生だ”ということです。4年後には自動的に18歳が国民投票法に参加できるようになるのです。そこで衝撃の事実が明らかになりました。

東京都八王子の都立高校で、今年1月に行われた3年生の「政治・経済」の学年末テストにおいて、昨年12月に安倍総理が靖国神社に参拝したことを批判的に報じた新聞記事をテスト問題として出題していたという信じられない事態です。添付されたある新聞の紙面には「靖国参拝、首相が強硬」「政権一年周到準備」「米政府失望した」「失われた国益大きい」という見出しのものを、テスト問題として生徒たちに示しこう問うています。
(1)「自分の思うことを自由に書きなさい」(2)「中国・韓国はなぜ批判しているのか。中国・台湾・韓国と日本との関係は『戦略的互恵関係』にあるが、それを無視してまで、なぜ安倍首相は参拝したのか。アメリカはなぜ失望したのか。説明しなさい」。
これをテストに出し、書いた(答えの)内容を評価することは高校3年生の「政治・経済」の授業で公然と行われている実態の中で、単純に他国は18歳が多いから、という議論の中で行われていくことは、大変危険なことであろうと思います。

そして、この教師は授業中に「君が代を歌う社会科教師は少ない」とも発言した。さらに驚くべく学校長はこうコメントしています。「学校で購読していた新聞を使ったところ、たまたま批判的な報道だった。参拝の是非を問うものではないので問題ない」。これが学校の責任者ですよ。まさに一面的な評価を子供たちに一方的に押し付け、これテストだから、卒業テストですから、(答えを)書かないわけにいかないじゃないですか。

教育でイデオロギー教育が依然として残っているのです。だからこの法律が通ったら4年間しかない。この4年間に高校の公民の授業「憲法とは何か」、例えばある教科書を調べたら教科書中14ページを憲法の教育に費やしている。しかし、その“14ページ中”国民の三代義務を教えているのはわずか“7行”です。「権利」と「義務」というのはイコールフィッティングなんです。果たせる「義務」があるからこそ行使できる「権利」がある。これが国際標準なんです。

そもそも違和感を感じる議論は、戦後日本そのものなんですが、「他国はこうだから日本もこうする」という、非常に上滑りな議論がずっと繰り返されてきている。他国よりもまずは自国。自国がどうであるのかというのを考えるのであって、他国を比較するのであれば、他国の比較の現実と向き合わなければならないんです。

他国の成人年齢を全て調べました。アメリカは州ごとに違っていましたが、その理由・原因、なぜ成人年齢を引き下げたのか?
これは他国が18歳だから引き下げたのではなく明確な理由があって引き下げたのです。多くの国々は「責任」と「権利」の関係で引き下げているのです。

例えばアメリカのカリフォルニア州、1972年に21歳成人から18歳成人に引き下げられましたが、この理由は「徴兵」なんです。国防の義務をおって徴兵されるのが18歳なのに成人参加するのが21歳というのはおかしいだろう、という議論になった。
またドイツも1974年に21歳から18歳に下げられましたが、これも国家及び社会を通じて既に兵役等の広範な義務や責任が18歳に課せられているのだから、その責務と同様に18歳に引き下げられた。
社会福祉でよく取り上げられる日本が好きな北欧のスェーデンは1974年に20歳から18歳に引き下げられている。これも18歳になると兵役の義務が発生することと関係している。国を守っているのだから成人参加する年齢を下げるのは当たり前だという議論の中で行われている。

では日本はどうか。18歳高校3年生、こんなイデオロギーの授業環境の中に置かれていて、「権利」ばかりを教えられていて「責任」や「義務」というのを曖昧にしてきた教育の中で、これからどのように社会に向けての責任を全うするといえるのか。
日本は徴兵制ありません。じゃあ社会体験学習とか奉仕活動を義務付けて、少なくとも社会に成人として参加している、社会に一定の責任を負っていることを前提にしての「権利」である。

この「権利」「義務」の関係をしっかり議論せぬまま4年後を迎えたら、こういう教師が現実にいるんですから、まずは高校の公民教科書の抜本的見直しとおかしなイデオロギーの徹底した追放。その上で日本とは何か。
日本に参加する。例えば投票権というのは、私は祖父から受け継いだ感覚ですけれど、「自分の1票を行使するんじゃなくて、今まで長い長い時間生きてきた日本人の1票を背負って、これから生まれてくるであろう未来の人々の1票を背負って投票するという重いものなんだ。今、お前のご先祖様は亡くなってしまっているけれど、今の平和な時代をつくってくれたご先祖様に、平和を守るためにどうしなければいけないのか、あるいは未来をつくるためにどうする、何をしなければいけないのか。その重い重い1票なんだからしっかりと考えて投票せよ」と教育されてきました。
まさにそういった根幹、「権利」として参加するのは表裏一体、負うべきものがある、という当り前、取り戻さなければならないと強く、強く、思っています。
(義家弘介 ビデオレターより)


『本当の日本の歴史』

2014年04月18日 14時00分49秒 | 色んな情報

『本当の日本の歴史』

学校で本当の歴史を教育しなければならないと痛感させられる映画「日本なんか、愛してねえよ」

日本人左翼と韓国人が組み、歴史を歪曲し、「日本人は、悪い」とする映画は、いくつか存在します。
井筒監督のパッチギは有名ですが、父が韓国人、母が日本人、国籍は韓国の韓英恵さんが主演の「アジアの純真」も、そんな映画の一つです。

映画では、パッチギ同様、歴史を歪曲し、日本人を悪としています。
在日韓国人は差別される被害者、日本人は差別する民族。
日本人に在日韓国人が殺される。そんな映画です。

在日韓国人が日本人を殺害する事件は耳にしますが、日本人が差別し、在日韓国人を殺害する事件は聞きません。

そして、この映画で最も唖然としたものは。
「日本が戦争の時、中国人や韓国人を殺すため、マスタードガスを作っていた」という内容です。

当時、韓国人は、日本人でした。
日本人と一緒に、連合国と戦っていました。
その韓国人を殺すため、日本がガスを作るわけがありません。

ちなみに、この映画のDVDの表紙には、
「ニッポンなんか、愛してねえよ」と、書かれています。

反日左翼の歴史歪曲は、歴史を勉強していないがためのものである部分が大きいのでしょう。
本当の日本の歴史を、学校教育でしなければならないと、痛感させられる映画です。


▶ 小野田寛郎「戦前、人々は命を惜しむなと教えられ、死を覚悟して生きた。

2014年04月18日 11時20分14秒 | 色んな情報

▶ 小野田寛郎「戦前、人々は命を惜しむなと教えられ、死を覚悟して生きた。
戦後、日本人は何かを命がけで やることを否定してしまった。」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=j734YB1uNf0&feature=youtu.be

公開日: 2014/04/08

洋二
んー・・・ワシらのガキンチョの時代は…「度胸が無いことがバレようもんなら…生き残って行くことなど考えられ無い」環境だったので…
…(つまり、何か事件が有るたびに悪者に決めつけられて袋叩きにされるからだ…)
小野田さんのこの呟きは、充分に納得させられものが有るのだ…
…今でも小学生ながら子分どもをはべらせて「俺は今に総理大臣に成る!」と語っていた高田純二先輩が…
中学校にあがったら、二階の窓から足を掴まれて逆さ吊りをされて居たのを目撃することに成り…
…こう云う嫌な先輩たちをワシら後輩が、どうやって対応して行ったら良いのか?…
…やはり、度胸が無ければならないな?と納得させられてしまいました…
あの恐ろしい先輩方たちは?今頃何処で何をして居るのでしょうか?
…考えるだけで、恐ろしさで身も凍るのです…


.「生き抜く」最後の日本兵・小野田寛郎 .
https://www.youtube.com/watch?v=I55pGrmbX1c
公開日: 2013/06/26


dondoyojp2011
哀悼の意と心より冥福を祈ります。ゆっくり休んでください。
日本のために戦ってくださって本当にありがとうございました。


shin7192
自分がどれ程、愚かなのか思い知らされる。
戦争中じゃないとしても、自分は30年間もジャングルで生き延びるなんて
とてもじゃないが出来ない。
自分なら6回、7回‥あるいはそれ以上は死んでるだろう
生きる見本としたい人物ですが、ハードルが高すぎる
でも、少しでも近づけるよう努力しなければ
ご冥福をお祈り致します。


SuperOoyama
小野田寛朗、2014年1月16日逝去。享年91。ご冥福を祈ります。
NHKで放送されていたのに全く知りませんでした。動画有難うございました。感謝いたします。


jaime0
たった今、お気に入りに入れてあったこの動画をたまたま見ていて、小野田さんの略歴を見直そうと名前の部分をコピーしてグーグルに飛んだ。そしたらページトップに小野田さん死去のニュース記事が。はて、いつ亡くなっていたんだと日付を確認したところ、配信が数時間前で16日と二度確認をしてしまった。
小野田さん、尊敬しています。見失いそうなとき、また小野田さんのことを思い出します。


okamura
「神仏を尊び神仏に頼らず」
「神棚を作りお正月には手を合わせる」・・

ひとことひとことに重みがあります。


KANATA
小野田さんが正義であれ悪であれ
日本のために次世代のために戦ってくれたのは事実
それなのに小野田さんを批判する奴は馬鹿だな

ご冥福をお祈り致します。


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これもこの時代だからこそなんでしょうが、このようなツールを使って、小野田さんの声や意思を見て聞くことができたことを幸いに思います。目的をもって次へ進むために、今からできることをしたいと思います。この映像で小野田さんに出会えたことを心から感謝いたします。



 インタビュアーの力量が低すぎる。視聴者が知りたい人間像に全然踏み込めていない。小野田寛郎という他に例を見ない素材をこんなかたちでしか料理できない。残念を通り越し呆れ果てるばかり。もっと聞くことがあるだろうよ。


韓国は依然として、家畜の糞尿や、重金属を含む産業廃棄物の海洋投棄を続けて

2014年04月18日 11時20分14秒 | 色んな情報

韓国は依然として、家畜の糞尿や、重金属を含む産業廃棄物の海洋投棄を続けて
韓国が、廃棄物の海洋投棄を禁止するロンドン条約に加盟したのは1993年のことだ。以来21年、韓国は依然として、家畜の糞尿や、重金属を含む産業廃棄物の海洋投棄を続けている。条約には違反国への制裁措置が盛られていないとはいえ、これは人類共通財産である海洋に対する重大な犯罪だ。

 

重金属は海底に堆積し、いわゆる底物の魚種の内臓に蓄積される。すでに、韓国東南部・浦項(ポハン)沖で揚がったズワイガニやタコの内臓から許容基準をはるかに超える重金属が検出されている。これまで韓国政府は何度か「○○年からは全廃」と発表してきたが、2013年12月には「もう2年延長」を決めている。これすら、処理場の確保が遅れているから、再度延長される可能性が高い。

例によって、韓国紙から拾おう。

「1988年に55万立方メートルだった投棄量が、2007年はその13・5倍の745万立方メートルにまで急増した」

「浦項と蔚山(ウルサン=韓国南東部)近海の投棄場の一部は、日本の排他的経済水域(EEZ)を侵犯している事実も明らかになった」

「汚物を海に捨てるのは、輸送費以外の処理費用が掛からないからだ」(以上、朝鮮日報08年2月12日)

韓国インターネットメディア「オーマイニュース」(12年11月7日)は、こう伝えている。

「ズワイガニとタコの内臓からカドミウムが基準値のそれぞれ最高4・55倍と14・7倍検出されたという調査結果が発表された。8月から10月まで釜山環境運動連合付設環境と自治研究所が実施した調査では…タコは5匹のサンプル中5匹、ズワイガニは3匹のサンプル中3匹が基準値を超過した」

船舶を利用した海洋投棄の他にも、毒物を濾過(ろか)しないまま下水道や河川・海に垂れ流すことも、当たり前の範疇(はんちゅう)に入る。12年11月には、環境省が汚水を排出する全国4万7000社から60社を選んで実態調査をしたところ、44社からフェノール、ヒ素、ベンゼン、銅、シアン、クロムなどの「特定有害物質」が検出された。

これについて朝鮮日報(12年11月24日)は「地方公務員は管内の企業に子供の就職を依頼したり、自治体の行事で協賛金を受け取ったりするなど、複雑な関係を結びやすい。そのため、気に入らない企業を懲らしめるつもりでもなければ、あえて取り締まりに力を入れない。これは今回の調査結果からもうかがえる」と書いている。環境汚染と汚職がセットなのだ。

こんな実態がありながら、韓国は国際舞台で「海洋強国」とか「グリーン大国」と自称し、12年のロンドン条約総会では恥じらいもなく副議長国の座に就いた。

これを「悪韓」「呆韓」と言わずして何というのか。

■室谷克実(むろたに・かつみ) 1949年、東京都生まれ。慶応大学法学部卒。時事通信入社、政治部記者、ソウル特派員、「時事解説」編集長、外交知識普及会常務理事などを経て、評論活動に。主な著書に「韓国人の経済学」(ダイヤモンド社)、「日韓がタブーにする半島の歴史」(新潮新書)、「悪韓論」(同)などがある。

http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140417/frn1404171140002-n1.htm


「利己意識」と「利他意識」・・訪日中国人が日本の絵本から学んだ「日中幼児教育の違い」―中国ネット

2014年04月18日 10時52分51秒 | 色んな情報

「利己意識」と「利他意識」・・訪日中国人が日本の絵本から学んだ「日中幼児教育の違い」―中国ネット http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/377525/
中国メディアでは、自国民のマナーの悪さを批判する記事が少なくない。最近も「桜花祭り」を開催した北京市の玉淵潭公園で、桜の木に登ったり、公園の草地で大小便をしたりする市民の写真を掲載し、「文明的でない行為」などと批判する警鐘記事を掲載したメディアもある。

一方、日本で生活した経験を持つ中国人女性が最近、日本人のマナーの良さの原因が幼児教育にあるとする文章をインターネット上で発表した。中国人のマナーの悪さの原因は教育による「利己主義」と指摘する内容だ。

文章は、日本の銀行で並んでいる時、ふと手にした絵本の話で始まる。その絵本は「どうぞのいす」。「どうぞ」と書かれた椅子に置かれた食べ物を、次々とやってくる動物たちが食べ、次に来る動物のために違う食べ物を置いていくという内容だ。

女性はこの絵本から、「児童教育に『次の人のため』という概念を盛り込む日本民族は素晴らしい」と絶賛。この「次の人のため」という利他意識が国民全体に行き渡っていることが、日本全国のトイレが美しい原因だと分析している。

それに対し、自分が幼児の頃に中国で受けた教育については「赤いスカーフは赤旗の一角。革命に殉じた烈士の血で染まる」といった「おどろおどろしいもの」だったと述懐。この教育が利己的な意識を生み、調和社会の建設を難しくしていると分析している。また、「『次の人のため』という意識がなければトイレを汚し、次の人はまた汚し、最後には使えなくなる」と中国人のマナーの悪さを嘆く。

文章はさらに、中国でも「無私」や「利他」の概念はあるが、「就職難や不動産価格の高騰、深刻な環境汚染といった厳しい現実の前で後回しにされている」と指摘する。日本の実践的な“利他精神”教育と比較して、中国の教育現場で使われる“利他”の概念は「高尚すぎて実態を伴わない」と訴えている。

(編集 都築)


韓国旅客船沈没事故の真実に迫る! それは船長の知識不足と海域一帯に原因があった

2014年04月18日 10時35分12秒 | 色んな情報

韓国旅客船沈没事故の真実に迫る! それは船長の知識不足と海域一帯に原因があった

韓国西南海域で韓国旅客船“セウォル号”が沈没したと報じられた。“セウォル号”は出航が2時間遅れており、それを取り戻すために近道をして岩礁のある海域に突入。それが座礁の原因とみられている。“セウォル号”は日本製であり、中国メディアはこのことを「沈没の韓国旅客船は日本製」と、まるで日本が悪いかのような悪意のある報道を行っているが、あの地域を少し調べれば沈没した原因は明白である。

そんなわけでガジェット通信が“セウォル号”が沈没した原因を明らかにしたいと思う。

※全ての画像と動画がご覧になれない方はこちらからご覧ください。

●珍島付近は人も歩けるほど浅瀬
船が沈没したのは珍島(ジンド)より南付近。この珍島付近は人が歩けるほど浅いことでも有名なのである。韓国では「モーゼの奇跡」とも言われツアー客にこの珍島を体験させることもある。実際に海割れが置きその海割れした個所を人が歩いて行くのである。ちなみに海割れが起きるのは4月~5月である。モロにピンポイントである。

ただ沈没した場所が韓国のメディアによりバラバラで珍島の南と報じているメディアもあれば珍島南西の小島がある個所で座礁したと報じているメディア(聯合ニュース)もある。

●真っ先に逃げた船長 中で待機させられた乗客
今回沈没した“セウォル号”はその珍島付近の岩礁に突っ込み沈没したとみられている。沈没後は報道で皆も知っているように、船長が真っ先に逃げ、乗客には「救命道具をつけ動かないように」と命じたそうだ。その船内の様子が乗客により撮影され『YouTube』に公開されている。皆船長の言うことを信じじっと待機している様子がうかがえる(下記動画参照)。

●代理船長は知識不足だった?
本来の船長は休暇で、“セウォル号”の出航に当たったのは代理の船長と言われている。つまりこの辺の地理や海域に詳しくなく、更に2時間遅れを取り戻すために近道をしたために更なる不運を招いたことになる。

日本人の自分でも少し調べたらわかることなのに、そこを海域として使う船長が何も知らずに突っ込むとは……。また数ある救助ボートの内、まともに使えたのは1個だけと問題点はほかにもあり、メンテナンスを怠っていた点にも指摘されている。

現在9名の死者が確認され、安否不明者は290人となっている。救助されたのは179人だがまだまだ中に閉じ込められている。

韓国で起きた不運な事故。船長の知識の無さが露呈してきており、韓国ネットユーザーからも批判が相次いでいる。これ以上の死者が出ないように祈るばかりである。


板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」

2014年04月18日 10時28分39秒 | 色んな情報

板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」

理研の上司・笹井芳樹、丹羽仁史、元上司・若山照彦の3人は、「STAP論文」権威づけのフリルだった         2014年04月17日

◆「私は研究の最終段階で参加した。小保方さんは、私の研究室の直属の部下ではなく、生データや実験ノートを見る機会はなかった」と英科学誌「Nature」に発表したSTAP細胞論文の共著者の1人である理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB)の笹井芳樹副センター長が4月16日午後3時から、東京都内で記者会見し、誠に無責任極まりない驚くべき言い訳をした。
笹井芳樹副センター長の会見は、1月末に小保晴子博士とともに成果を発表して以来で、問題発覚後は初めて。STAP細胞の論文執筆で、上司として小保方晴子博士を実質的に指導する立場にあったことから、重大な責任を問われている。この記者会見には、加賀屋悟広報室長らが同席した。
◆STAP細胞の論文2本には計14人の著者がいる。主論文は、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの小保方晴子ユニットリーダーを筆頭に、8人が共著者として名を連ねている。
 このうち現在、理研に所属しているは小保方晴子博士、笹井芳樹副センター長、丹羽仁史プロジェクトリーダーの3人。いずれも「学閥」が異なっている。
 小保方晴子博士は2006年3月、早稲田大学理工学部応用化学科卒業。後に論文の共著者となる東京女子医科大学教授大和雅之の指導の下、医工融合研究教育拠点である先端生命医科学センターで再生医療の研究を開始。早稲田大学大学院理工学研究科応用化学専攻修士課程修了、早稲田大学大学院先進理工学研究科生命医科学専攻博士課程修了。大学院在学中、ハーバード大学医学大学院教授のチャールズ・バカンティの研究室に2008年から2年間留学。2011年より理化学研究所発生・再生科学総合研究センターゲノムリプログラミング研究チーム(若山照彦研究室)客員研究員、2013年理化学研究所発生・再生科学総合研究センター細胞リプログラミング研究ユニット研究ユニットリーダーとなる。理化学研究所発生・再生科学総合研究センター・細胞リプログラミング研究ユニット・ユニットリーダー。2014年1月28日、「外からの刺激で体細胞を初期化することにより、全ての生体組織と胎盤組織に分化できる多能性を持った細胞(STAP細胞)を作製する方法を世界で初めて確立した」と発表した。
 笹井芳樹副センター長は1986年、京都大学医学部卒業後、神戸市立中央病院で研修を受け、同年、京都大学大学院医学研究科に入学。1993年に博士号取得(京都大学・医学)した。1993年に米カリフォルニア大学ロスアンジェルス校医学部の客員研究員、1998年5月、京都大学再生医科学研究所の教授に就任し、2013年4月から現職を務めている。神経系の初期発生の遺伝子・細胞レベルの研究者として知られ、ES細胞研究の第一人者だ。
丹羽仁史プロジェクトリーダーは1989年、奈良県立医科大学卒業。1993年、熊本大学大学院医学系研究科修了。幹細胞生物学の研究者として知られる。
 このほか、理化学研究所にいて、小保方晴子博士を指導し、いまは、山梨大学に移って共著者の1人になっているのが、山梨大学の若山照彦教授(生命環境学部附属ライフサイエンス実験施設長)である。1990年、茨城大学農学部畜産学科育種繁殖学専攻を卒業。1992年、茨城大学大学院農学研究科畜産学専攻修士課程修了。1996年、東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻博士課程修了、「ハタネズミを用いた精子の透明帯通過機構に関する研究」で東京大学博士 (獣医学)。1996年に、ハワイ大学に留学し、ハワイ大学医学部の柳町隆造教授の下で世界初の体細胞クローンマウスの誕生に成功、1998年、ハワイ大学医学部助教授、1999年、ロックフェラー大学助教授を経て、2001年から理化学研究所神戸研究所発生・再生科学総合研究センターゲノム・リプログラミング研究チームチームリーダーに就任。2012年、山梨大学生命環境学部生命工学科教授に就任。
 さらに、小保方晴子博士がSTAP細胞の基礎になる着想を得た大学院博士課程在学時代に小保方晴子博士を指導し、研究に協力した東京女子医大の大和雅之教授、米ハーバード大のマーティン・バカンティ教授(医師)、小島宏司准教授の3人も、共著者になっている。
◆しかし、笹井芳樹副センター長の記者会見からはっきりしてきたのは、小保方晴子博士の上司である笹井芳樹副センター長自身をはじめ、丹羽仁史プロジェクトリーダー、元上司であった若山照彦山梨大学教授の3人が、小保方晴子博士が作製したという「STAP細胞」あるいは「STAP細胞現象」を1度も見ておらず、生データや実験ノートも確認していなかったということだ。
もっと言えば、この3人が専門として取り組んでいる「研究テーマ」はいずれも、小保方晴子博士の「STAP細胞の研究」とは直接関係のないテーマであることもわかってきた。笹井芳樹副センター長は、「ES細胞の研究」、丹羽仁史プロジェクトリーダーは、「幹細胞生物学の研究」、山梨大学の若山照彦教授は、「クローンマウスの研究」であり、あくまでも「STAP細胞」の周辺を研究しているにすぎない。ましてや、小保方晴子博士が「秘匿」している「STAP細胞作製のコツやレシピ」をまったく知らないに違いない。
 あえて言うなれば、小保方晴子博士の「STAP細胞の研究」の周りにぶら下げて、権威づけるために飾られた単なる「フリル」だったということだ。これらのフリルは、「STAP細胞の研究」本体とは無関係なので、取り下げてもよい。
だが、米ハーバード大学のチャールズ・バカンティ教授が4月15日に京都市内で開かれている国際会議で行った講演のなかで、論文について「すでに画像の取り違えの訂正がなされており、結論には影響を与えない。STAP細胞は必ず存在する」「単純ミスだ」と主張して弁護し、小保方晴子博士に対し、「(大学のある)ボストンに戻っておいで」と呼びかけたと言われている。
「STAP細胞の存在」すら信じず、疑い深い日本人が多い日本よりは、理解者のいる米ハーバード大学へもう一度渡って、研究に励むのが、小保方晴子博士にとって一番よい。
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※ 私が疑問に思うことは、上記にもある通り「共同執筆者」は何?って事です。
STAP細胞に関して何の実験も、或は小保方さんの研究に関してなんの検証も無く、只 欲にかられて名前貸しをしただけなのでしょうか?

同じ「板垣英憲氏」のブログより

 理化学研究所の内規では、調査委員会が設置された場合、「150日」の調査期間内でじっくり行うことになっているにも関わらず、今回の小保方晴子博士の件については、「わずか14日」という短期間で調査を終えて最終報告書を提出している。しかも、小保方晴子博士の聞き取りもおざなりで、肝心な「研究ノート」については、小保方晴子博士から手元にある「2冊」を提出させて、これを逆手に取って「3年間の研究ノートは、たった2冊しかなかった」と力説して、「怠慢だ。未熟だ」などと殊更、人格攻撃した。
 これに対して、小保方晴子博士は、「ハーバード大学に残してきたものを含めて、研究ノートはたくさんある。STAP細胞現象に関するものでも4、5冊はある」と弁明していた。
◆これらのことから、理化学研究所の調査委員会が、最終報告書の提出を急いだのは、世界最高水準の研究成果を目指す「特定国立研究開発法人(仮称)」に指定されたかったからであることが、小保方博士の言葉で、裏付けられた。
「巨額予算」に目が眩み、それに何としても喰らいつこうと「血眼」になって「餓鬼道」に陥っているのが、野依良治理事長らである。実に見苦しい姿だ。
下村博文文科相は4月1日、「STAP細胞の論文に関する最終報告では不十分で、4月中の閣議決定は難しい」と述べるとともに、「理研のガバナンスの問題点などを検証し、4月末までに報告するよう」求めたのは、野依良治理事長らの「拙速ぶり」を見抜いていたからだ。最終報告の説明に訪れた野依良治理事長らに対して、下村博文文科相は、「できるだけ(報告を)急いでほしい。間に合わなければ理研が(新法人に)該当するのは難しい」と話し、迅速な調査を求めている。


河野洋平氏、中国の内政干渉に謝罪 藤岡教授「河野談話も含めて最悪」

2014年04月18日 10時25分23秒 | 色んな情報

河野洋平氏、中国の内政干渉に謝罪 藤岡教授「河野談話も含めて最悪」
2014.04.16

 河野洋平元衆院議長が、また売国外交を展開している。中国の汪洋副首相との会談で、内政干渉である日本政府批判を散々言われながら、「申し訳ない」と謝罪してきたのだ。河野氏が1993年、ずさんな調査のまま慰安婦募集の強制性を認めた「河野談話」については今週19日、早期撤廃を求める国民大集会が開かれるが、いつまで日本を貶めるのか。

 河野氏は15日、会長を務める日本国際貿易促進協会の中国訪問団として、北京で汪氏と会談し、日中の経済協力などについて意見交換した。

 汪氏は冒頭、「先生は中国人民の古い友人であり、長期にわたって中日両国の友好協力推進に心血を注いでこられた」と河野氏を絶賛し、日本の安倍晋三政権について、こう語り始めた。

 「今の日本の為政者には戦略的、長期的な認識が欠けている。中国やアジアの人民に不愉快なことをしており、それが中日の経済にも悪影響を与えている」「中国政府は日本の為政者と経済界を1つに見ているわけではない。日本の国民も同様だ」

 こんな理不尽な言い分はない。

 中国は沖縄県・尖閣諸島に艦船を連日侵入させ、東シナ海に一方的に防空識別圏を設定するなど、「反日」強硬路線を取り続けている。これらは民主党政権時代から続いており、安倍政権が理由ではない。汪氏の発言は内政干渉であるうえ、日本の指導者と経済界、国民にクサビを打ち込む分断工作といえる。

 ところが、河野氏は反論もせず、村山談話を踏襲している日本政府の基本姿勢を説明し、「(中国で)疑念が出てきたことは申し訳ないが、今後も戦後の秩序が崩れないよう懸命の努力をするので、ぜひ信頼してほしい」と応じたのだ。

 「『河野談話』の早期撤廃を求める国民大集会」(19日午後6時半から、東京・池袋の豊島公会堂)にも登壇する、拓殖大学の藤岡信勝客員教授は「どうして、こんな政治家が出てくるのか。『売国奴』という言葉以外、見当たらない」といい、続ける。

 「相手に何を言われても、迎合して緊張から逃避する姿勢は、日本国内で一般の人がするならまだいいが、国際社会で国家指導者や政治家がすれば国家の独立や名誉は守れない。河野氏は『日本の政治についてはご論評に及びません』と内政干渉をはね付けるべきだった。『河野談話』も含めて最悪のパターンだ」


『徒然日記』より

2014年04月18日 10時19分11秒 | 色んな情報

『徒然日記』より

ひるおび 【小保方さんのSTAP細胞について。八代氏、室井氏、理研の姿勢に疑問を呈す。】

 小保方さんのSTAP細胞報道では、理研が小保方さん抜きの一方的な記者会見を開き、それに呼応するように各ワイドショーや報道番組では連日この話題でもちきりですが、科学と無縁の自分でも、ワイドショーの報道や理研の学者や調査委員会の会見には初歩的な疑問を感じておりました。
 そして今日、ひるおびにて先日の小保方さんの記者会見と理研の対応を比較する放送がありまして、八代弁護士と室井さんが日頃私も感じていた疑問をジャーナリストにぶつけて下さっていましたので、その書き起こしをしたいと思いました。
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 土井アナ「理研と小保方さんの対立する二つ目の違い。論文の画像と酷似という部分です。これについて調査委員会は『このデータはSTAP細胞の多能性を示す極めて重要なデータ。データの信頼性を根本から壊すもので、その危険性を認識しながらなされたと言わざるを得ない。』つまりこれは捏造であると言ったわけですが。」

 土井アナ「小保方さんは昨日の会見の中で『申し訳ございませんとしか言いようがないが、何度もパワーポイント内でデータをまとめバージョンアップしてデータを集めていて、そこに載っているデータを安心しきって載せてしまった。』ので捏造ではないとしています。」

 土井アナ「このパワーポイント内のデータをそこから引っ張ってきてしまっている画像という捏造。だから捏造ではないという論点。」

 恵氏「単純なミスですよと仰ってるわけですね。」
「その論理については上さんは『理解しがたい。家族の写真を間違えるに等しい。』竹内さん『チャンピオンデータ(最も重要なデータ)を間違える事自体研究者として「?」がいっぱい。』であると。そして元村さんは『常識を覆すような成果を世に問う論文において、このやり方は未熟・不勉強以前の問題』」

 元村氏「万事そうなんですけど、今回の話。結果があるからいいだろう。実験があるからいいだろうって。つまりプロセスを無視するようなものの言い方とかですね、それはもう科学的に駄目です。科学者としての基本、いろはのいを出来て無いって見なされますよね。ですから、本当にここ一番肝の所なんですよ。つまりSTAP細胞と名付けたものが万能性があると言う事を示す生命線みたいな写真。それを大学の時とか研究会の発表で使ったパワーポイントから持ってくるという事も然る事ながら、結局探していくうちに何処にあるかが分からなくなってしまったと。彼女は言っていますよね。そんな軽いものなんですか?論文というのは・・と言うふうに思います。」

 恵氏「昨日八代さんと話しててこういう結論になったんですけど、僕がね、子供が徒競走で一番になったと。自慢したい。決定的な子供の写真を間違えますかっていう話なんだよね。この子ですっていう時に、済みません、山田君が写ってましたってならないんじゃないかと。ここっていう一枚は、もし世紀の大発見だったら一番自慢したい所じゃないですか。」

 八代氏「竹内さんと元村さんに逆にお伺いしたいんですけど。チャンピオンデータなわけじゃないですか。なんで他の13人は取り違えに気付かないんですか?」

 室井氏「本当。そう思った。」

 八代氏「だって世紀の発見の画像が博士レベルで作れる画像にすり替わってるという事実を何故皆さん見抜けないんですか?」

 恵氏「まず小保方さん側でそのチャンピオンデータを間違えるって言う単純なミスで間違えるって事がある得るのかって。」

 八代氏「違うんです。他の13人が見抜けないような取り違えだったら、小保方さんが取り違えることも強ち不合理じゃないのかなと思ったんです。」

 元村氏「なるほど。‥ただ筆頭著者で責任著者の研究者が出してきた写真は‥」
 
 八代氏「ちょっと待って下さい。恵さんが納得してないんで。」

 恵氏「だって八代さん考えて下さい。世紀の大発見したんですよ。それを間違えるわけがないじゃないですか。」

 八代氏「世紀の大発見の画像は実は博士論文で作るような実験のデータと凄い似てるものかもしれないじゃないですか。」

 恵氏「だけどそれは科学者で絶対あっちゃいけないじゃない。似た様なものが一杯あるって。」

 八代氏「だったら他の13人もあっちゃいけないんじゃないですか?」

 室井氏「だからさ、グループでやってるわけだから気付くでしょ?」

 大八木氏「早稲田大学の博論の段階でユニットでやってはったんや違うかなと思うんですよ。だからあの写真は誰か違う方が取り上げてて、本人は見たことないんちゃうかというね。博論の時点でそのデータが違う可能性も。見た事無いデータかもしれませんね。写真もね。だから理系の論文の書き方はそう言う事聞いてますんで。」

 八代氏「それかなり残念な情報ですね。そうなると。」

 恵氏「だから幾つかあるんです。今の整理すると、まずチャンピオンデータ自身を自分が間違えるかという事ともう一点、共同著者の皆さんがこれを見抜けないのかという部分。」

 竹内氏「これはですね、チャンピオンデータをネーチャーに送るべきなんですね。パワポに貼り付けた物を送るべきじゃないわけですよ。それがまずおかしいわけですね。これは言うなれば非常に重要な商取引で実印じゃなく認め印を押してしまったみたいな。」

 恵氏「ほらほら八代さん、今ので分かるじゃない。」

 八代氏「いや、だって他の人、認めだって分かりますよ。認めじゃ困りますって。印鑑書見つけて下さいぐらい言いますよ。」

 恵氏「だから印鑑書は分かりましたよ。その前に自分がチャンピオンデータを貼るんだって。実印を押すんです。」

 八代氏「そこはちょっと弱いのは僕も認めているんですが。」

 恵氏「先ずはそこ。」

 八代氏「ええ、何故間違えたか。」

 竹内氏「だから博士論文の中身も完全に把握してない。普通気付くわけですよ。」

 八代氏「だって博士論文、前半の20ページはNIHのコピペなんでしょう?で、後半把握してなかったらどういう事になっちゃうんですか?」

 恵氏「ただまあその可能性が推測としてあると。」

 竹内氏「多分他の方々はですね、彼女の博士論文をじっくり読んだ事は無いわけですね。だからそこから出て来たって言うのはちょっと分からなかったんじゃないでしょうか。」

 八代氏「画像の分析でおおーとか思わないんですか?」

 竹内氏「これやっぱり画像だけじゃ分からないですね。」

 元村氏「人間の顔とかあれば分かるんですけど。」

 八代氏「じゃあ画像何の為に示してるんですか?画像見て分からないんだったら。」

 元村氏「仰る通りですね。」

 八代氏「分かってるふり?」
 
 元村氏、竹内氏、言葉に詰まってしまいます。

 恵氏「ここは一つ大きな所で、確かに小保方さんの不服申し立ての中での捏造改竄の捏造の部分だよね。しかも若山先生が一番ここが肝だと仰って、そもそも渡されたSTAP細胞に大きな疑問を抱いた一番のポイントだから、本人がまず気付かない事が何故かと言うことと、共同著者の皆さんがそこを指摘できないという部分も逆に言えば、理研サイドという。」

 八代氏「論文の些末な部分の画像ならいいんですけど、皆が言うじゃないですか。本当に研究の根幹に関わる画像だって。」

 恵氏「仮に僕だったら大騒ぎですよ。皆さん集まって下さいって言って、事細かにどのタイミングで何時何分にどういう事をやったらできました。もう一人じゃ足りないから何十人にも言うでしょう。手柄だから。そう言う事がディスカッション無かったんですか?」

 元村氏「個別にはあったんですけど、14人全員が集まるという事は無かったです。で、アメリカと日本に分かれてますし、最後の方は若山先生は山梨に移られてますし、電子メールとか学界で一緒になったときにちょっとっていうような。だから全員で合意してっていうような作られ方はしていないです。」

 竹内氏「実験ノートを持って来て、全員で協議すべきだったんですよ。これはここのこういう時に取ったこういう画像ですって照らし合わせればいいだけじゃないですか。それやってないわけですよね。」

 恵氏「逆に言うと13人が突っ込みきれなかった部分をネット上で色々騒ぎになったじゃない。指摘か始まった訳じゃないですか。よっぽどその人達の方が良く見てたって事ですよね。」

 八代氏「(笑)それも悲しい事実ですよね。そうなるとね。」

 恵氏「それがなければ今回こういう事になってないでしょ。」

 土井アナ「もう一つ。問われる理研の責任っていうものはないんでしょうか?つまり周りの皆さんという事も含めてかもしれませんよね。この理研については。理化学研究所に対して」
 と、言いつつ、不信感も示しています。
 
 土井アナ「ではその理研の調査報告書を見ていきたいと思います。野依良理事長は『中間報告書を発表した中で重大な過誤があった』と言いました。小保方さんはそれについて『論文撤回提案に同意』をしたと発表しましたよね。」
 「昨日の会見の中では『視野に入れて検討してはどうかという話は分かりましたというふうに言いましたが、撤回自体には同意していません。』こんな所から何が見えてくるか。『理研の調査き期間が余りにも短すぎる。理研の早く事態を収拾させたいという思惑が見える』という竹内さんの指摘。一方元村さんは『会見を受けて理研が小保方さんに対してどのように動くかがポイント。』」

 恵氏「ここは言われてるところですよね。小保方さん、不正を行ったのは一人だという指摘に対して竹内さん。」

 竹内氏「僕は中間報告から2週間ですか。全体でも一ヶ月半しかかけてないと。これはSTAP現象の検証と同時平行で進めていくぐらいでいいと思うんですね。ちょっと結論を急いだんじゃないかな。これ結構海外でも不正事件あるんですよ。その場合は本人への聞き取り調査、これを凄くちゃんとやるんですね。そうしないと動機とか理由が解明できないんですよ。現状で彼女が不正をやってたんだとしても、その動機が今全然分かりません。なのでそこは十分に時間をかけて聞き取り調査をしないといけないんですね。それが今回ちょっと短かったかなと。」

 土井アナ「足りなかった部分で出て来てしまったのがここの部分だと思います。」
 「つまりあるものが無いと思われている調査であったと言う事も一つのポイントとなって来るだろうと言うことですね。」

 恵氏「要するに理研はちゃんと調べたの?っていう疑問が沸きますよね。」

 土井アナ「それについて科学ジャーナリスト寺門さんは」
 『最初の調査の仕方が悪かった。実験ノートなど全ておさえてから調査すべきだった。中途半端で小保方さんが言うように不十分だったというのは否めない。』
 
 恵氏「小保方さんが仰ってるちゃんと調べてもらってないんです。という部分?ここ。そこは如何ですか?」

 元村氏「理研の内規では、調査を始めて150日ルールっていうのに則ってやると、私達は思ってました。ですから2月の中旬に始まったので、夏ぐらいかな?と思っていたら、一ヶ月ぐらいで決着が付いた。これは竹内さんが仰るようにやはり何か早く幕引きをしたかったとしか思えない。その背景には海外の実験ノートを取り寄せるとか、本人から話を聞くっていう事を省いてるわけですよね。だからやっぱり今回の不服申し立てを受けた理研が再調査をするって言うと、つまり調査が不十分だったという事になりますし・・」

 恵氏「この後、二択なわけですよね。調査するのかしないのか、しないとしたら処分になっちゃうし。するって言ったら結果報告はなんだったの?っていう事になる。」

 元村氏「足りませんでしたと言ってることと同じ事ですね。」

 土井アナ「そうした理研の調査の問題点を挙げた所に竹内さんは『新人研究員の採用基準が時代に合っていない』という指摘。それともう一つは元村さんの『理研の危機管理態勢の甘さがあったのでは』という事ですね。

 竹内氏「今回、理研絡みで非常に大騒ぎになってるわけですが、理研は彼女を採用したわけですね。その基準としてはちゃんとした大学の博士課程を出ているんだというその経歴を信じてるんですよ。所がですね、最近博士論文をキチッと書かない方もチラホラいるという状況が出て来ているので、これまでみたいな昔通りの採用基準じゃ駄目になってきてるんですよ。そこを理研は気付いていなかった。なので普通の採用基準。これまで通りの採用基準でやってしまった所にちょっと危機管理的なところが時代に追いついてないのかなと言う気がするんですね。」

 恵氏「なるほど。最高機関なわけでしょう?科学の。元村さんは理研の危機管理態勢の甘さみたいな。」

 元村氏「一つは竹内さんが仰ったように、まだ業績は十分じゃないんだけれど青田買いをするような形で独立の研究者として雇ってしまったという部分。もう一つは理事長なんかは、彼女が未熟で、未熟でって何度も仰って。それは分かるんですけど、科学者としては。ただ彼女を未熟だと言う程、理研も未熟だったと言ってるようなもので、その責任というか、その事はちゃんと認識しておいて欲しいなと思ってます。」
 
 恵氏「そうですよね。ユニットリーダーにしたわけですものね。そこはさっきから八代さんが言ってる部分にも繋がるわけでしょう。」

 八代氏「繋がると思います。しかも理研は今回、悪意の解釈と認定っていう本来は規定の解釈ですから、法律家がやるようなことを科学者の皆さんがされたわけですね。で、とんでもない大事な息子の写真を間違えるようなことをした人がいると。それは普通有り得ないんだから悪意で意図的にやったに違いないという推論をしてるんですよ。理研は。でももう一つ考えられるのは、とんでもないうっかりさんというのもあるんですよ。」

 恵氏「可能性ゼロじゃない。」

 八代氏「その可能性を全く考えずに、間違えるはずのないものを間違えてるからこれは悪意だ、故意だという、そこの推論は危険ですよね。」

 室井氏「それは科学者同士でやるべき問題だね。だって研究者って世界に一杯いると思うけど、死ぬまでに大発見できる人って何人しかいないわけでしょう? で、彼女は元々無かったものをひょっとしてって言った訳じゃない。そしたら今後の人生、それに捧げてけばいいわけで、何か皆に悪さしたわけじゃないんだよね。一般の人達に。」

 恵氏「ただ夢を持ったし、世紀の大発見だったから。」

 室井氏「うん。でも夢を持ったっていうのは飛ばして発表させようと。理研だって売ろうとしたでしょう?彼女を前に出して。そういう態勢にも問題があったし、皆はいい話題だと思ったから乗っちゃったじゃない。だけどそれが違ってたって言うだけなんだから、また一から彼女は頑張ればいいんだと思う。」

 恵氏「そうだね。ただ違ってたかどうだかまだ分からないから、さっき光細胞の所で竹内さんも仰ったように、まだ在ることによって説明が付くっていう現象も一個あるわけだから、だとしたらそこをしっかり説明してもらいたい。理研も含めてですけど。」
ーーーーーーーーーーーーーー

 私は子供の頃から理数系の教科が苦手でして、今日までずっと苦手なまま来ていますので、小保方さんの発明で世間が沸いている最中も、全く無関心で過ごしておりました。
 でも、毎日小保方さんを叩くようなワイドショーを見ていて、理系とは無縁の自分でも感じていた疑問は、八代さんや室井さんの話でやっと解決した気が致しました。
 特に室井さんの『彼女は元々無かったものをひょっとしてって言った訳じゃない。そしたら今後の人生、それに捧げてけばいいわけで、何か皆に悪さしたわけじゃないんだよね。(きちんとした調査もせずに理研が小保方さんを利用した)態勢にも問題があったし、皆はいい話題だと思ったから乗っちゃったじゃない。だけどそれが違ってたって言うだけなんだから、また一から彼女は頑張ればいいんだと思う』
 実際、科学とは無関係な私のような人間にとっては、ワイドショーが連日大騒ぎしている事が異常事態で、小保方さんの発見については、またやればいいじゃないぐらいの感覚しか持てないんですよね。
 結局、STAP細胞発見のニュースで騒ぎ過ぎたマスコミと理研が責任転嫁に小保方さんを貶めようとしているだけの話に思えます。


●旬とは

2014年04月18日 10時00分12秒 | 色んな情報

●旬とは
◆しゅん [1] [0] 【旬】
① 魚介類・野菜などの,味のよい食べ頃の時期。出盛りの時期。 「 -の野菜」
② 物事を行うのに最適の時期。
③ その時期に注目され,話題となっていること。 「 -の話題」
④ 朝廷の年中行事の一。天皇が臣下から政務を聞き,祝宴を催したこと。古くは毎月1日・11日・16日・21日に,平安中期以後は4月1日と10月1日を例とし,それぞれ孟夏の旬・孟冬の旬といい,扇・氷魚(ひお)を賜った。旬儀。旬政。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
じゅん [1] 【旬】
① 10日。特に一か月を三分したときの,それぞれの10日間。 「上-・中-・下-」 「入道相国失せ給ひて後,わづかに五-をだにも過ぎざるに/平家 6」
② 10年を一期とするときの称。 「五-の齢(よわい)の流車,坂に下る/海道記」
③ 「 しゅん(旬)② 」に同じ。 「今年は十八になるから今が嫁入りの-で/二人女房 紅葉」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
【じゅん】[漢字]
【 巡 】 [音] ジュン
① 見まわる。 「 巡検 ・巡査 ・巡視 ・巡邏(じゆんら) 」
② めぐる。めぐり歩く。まわる。 「 巡業 ・巡行 ・巡幸 ・巡航 ・巡礼 ・巡歴 ・一巡 」
【 旬 】 [音] ジュン
① 一か月の3分の1。10日。 「 旬刊 ・旬間 ・旬日 ・下旬 ・上旬 ・中旬 」
② 10年。 「 七旬 」
【 盾 】 [音] ジュン
矢などから身を守る防具。たて。 「 矛盾 」
【 准 】 [音] ジュン
① なぞらえる。準ずる。 「 准尉 ・准后(じゆごう)((じゆんこう)) 」
② 認め許す。 「 批准 」
【 殉 】 [音] ジュン
① 主君の死に従って死ぬ。 「 殉死 」
② 大切に思うもののために死ぬ。 「 殉教 ・殉国 ・殉職 」
【 純 】 [音] ジュン
まじりけがない。自然のままである。飾り気がない。 「 純一 ・純金 ・純潔 ・純情 ・純心 ・純度 ・純白 ・純朴 ・純良 ・清純 ・単純 」
【 淳▼ 】 [音] ジュン
① 人情がゆたかで真心がこもっている。あつい。 「 淳厚 ・淳風 」
② すなおでかざりけがない。「純」に通じる。 「 淳朴 ・淳良 」
【 循 】 [音] ジュン
① したがう。よる。 「 因循 」
② ぐるぐるまわる。めぐる。 「 循環 ・循行 」
【 閏▼ 】 [音] ジュン
① うるう。暦の日数または月数を平年より多くさし入れること。 「 閏月 ・閏年 」
② 正統でないもの。 「 閏統 ・正閏 」
【 順 】 [音] ジュン
① すなおである。逆らわない。 「 順応 ・温順 ・帰順 ・恭順 ・耳順 ・従順 」
② ものの後先の関係。 「 順位 ・順延 ・順次 ・順序 ・順番 ・順路 ・打順 」
③ 都合がよい。思うとおりである。 「 順境 ・順調 ・順風 」
【 準 】 [音] ジュン
① 〔水平をはかる器,みずもりの意から〕 めあて。てほん。のり。めやす。 「 準則 ・準法 ・規準 ・水準 ・標準 」
② あるものに次ぐ。 「 準急 ・準決勝 」
③ なぞらえる。のっとる。 「 準拠 ・準用 」
【 馴▼ 】 [音] ジュン
① なれる。ならす。 「 馴化 ・馴致 」
② 良い。正しい。 「 雅馴 」
【 潤 】 [音] ジュン
① うるおう。うるおす。 「 潤滑 ・潤筆 ・湿潤 ・浸潤 」
② もうけ。利益。めぐみ。 「 潤沢 ・利潤 」
③ つやがある。飾る。 「 潤色 」
【 遵 】 [音] ジュン
道理や法に従う。 「 遵守 ・遵奉 ・遵法 」
【 醇▼ 】 [音] ジュン
① うまざけ。 「 醇酒 ・醇醨(じゆんり) ・芳醇 」
② まじりけがない。 「 醇乎(じゆんこ) ・醇美 ・醇味 」
③ 手厚い。人情が厚い。 「 醇厚 ・醇朴 」
「旬」に似た言葉» 類語の一覧を見る季節  シーズン  時期  候  セゾン
 
◆旬(しゅん)
http://p.tl/k5OY
ある特定の食材について、他の時期よりも新鮮で美味しく食べられる時期。
また旬の物はよく市場に出回るため値段も安価になりやすく、消費者にも嬉しい時期である。出盛り期ともいう。
旬は、次の3通りの違った意味で使われることがある。

1.季節を先取りするはしりと呼ばれるもの
2.収穫量がピークに当たる時期
3.素材がもっとも美味しい時期である。
 
1. は、希少性から高値になる。日本では「初物を食べると75日寿命が伸びる」などといわれ珍重される。例としては初鰹や早春の筍などが上げられる。これらはその食材の本来の盛りの時期の味には到底及ばないが、初物や産地からの初入荷品であることを理由として商品価値よりも際立って高い価格での売買が発生する場合がある(例:夕張メロン)。
 
2. は、収穫量のピーク期が必ずしもその食材の最高の味であるわけではない。例えば、産卵のために沿岸や内海に来遊する魚介類は産卵期に漁獲量が増えるが、生殖腺の発達のために体の栄養を奪われて肥満度が低下し、魚の肉質自体は落ちていることが多い。また、農作物ではとれたてよりも一定期間貯蔵してからの方がデンプンの糖化が進み美味しくなるサツマイモのようなものもある。
 
3. は、餌をたくさん摂り、あるいは日光を浴び栄養をしっかりと蓄えその食材が最も美味しくなった状態である。一般的な農作物などでは 2. と 3. が一致する例も多いが、しかし、産卵回遊する魚介類では2. と 3. の時期が全く一致しない場合も少なくない。例えば、マダイやサワラは春に内海へ産卵回遊して多獲されるので春が旬とされることが多いが、2. に述べた理由から産卵期である春は肉質が悪く、肥満度が増加して旨くなるのは夏以降である。春のマダイは桜鯛と呼ばれて「旬で脂が乗って旨い」などと評されることがあるが、これはその時期のマダイしか食べたことがない人(養殖物は別にして)の思い込みによる評価であろう。この例のように、魚介類では2. と 3. の時期がしばしば混同され、多獲される時期に旨くなると思われていることが多いようだが、実際にはその逆であることが多い。
 
1970年代以降、魚介類の乱獲や地球温暖化による異常気象などの影響で旬の時期のズレが起こっている。また冷凍技術の発達、ハウス栽培、高速道路の整備や航空機など輸送手段の高速化などにより南半球(北半球と季節が逆)からの輸入などを含めた遠隔地から運ばれる食材が増えたため、旬がわかりにくくなった。
 
クリスマスケーキの需要が多くなり、ショートケーキには必要なイチゴを早期に出荷するようになり、店頭にも早くから列ぶため、旬が冬に移動したと思う消費者も多い。
 
本来の意味から転じて話題になっている人や物、果てはギャグなどの文化的な対象にも同様に用いることがある。
 

 
◆き せつ [2] [1] 【季節】
① 一年を天候の特徴に応じて分けたときの,それぞれの区切り。日本など温帯では春・夏・秋・冬の四季がある。 「 -の変わり目」
② 時期。シーズン。 「桜の-」 「行楽の-」
 
◆臨時/季節(労働)労働統計用語解説
臨時とは、雇用契約において1カ月以上4カ月未満の雇用契約期間が定められている事(労働)をいい、季節とは、季節的な労働需要に対し、又は季節的な余暇を利用して一定の期間(4カ月未満、4カ月以上の別を問わない。)を定めて就労(労働)するものいう。
 
◆季節(きせつ)
http://p.tl/qrFI
毎年規則的に推移する天体の運行や昼夜の長短、気温の高低や天候など気象条件、動植物の生長などに応じて一年を分けた単位を指す。暦などでは天文学的な指標によって季節を区分し、天気予報や地理学などにおいては気象条件によって区分することが多い。両者は互いに関係しあう。


●今日は何の日 4月18日 医学書『ターヘル・アナトミア』の翻訳に(1771年 - 明和8年3月4日)

2014年04月18日 09時36分00秒 | 色んな情報

●今日は何の日 4月18日 医学書『ターヘル・アナトミア』の翻訳に(1771年 - 明和8年3月4日)
◆杉田玄白・前野良沢らが、処刑された死刑囚の解剖を見学。翌日から医学書『ターヘル・アナトミア』の翻訳にとりかかる(1771年 - 明和8年3月4日)
 
◆『ターヘル・アナトミア』http://p.tl/HjWc
ドイツ人医師クルムスの解剖学書のオランダ語訳書。『解体新書』の最も重要な底本である。
 
◆杉田 玄白(すぎた げんぱく)http://p.tl/2nAB
(享保18年9月13日(1733年10月20日) - 文化14年4月17日(1817年6月1日)
江戸時代の蘭学医。若狭国小浜藩医。
私塾天真楼を主催。父は杉田玄甫、母は八尾氏の娘。諱は翼(たすく)、字は子鳳、号は鷧、晩年に九幸翁。
 
杉田氏は近江源氏である佐々木氏の支族である真野氏の家系。
後北条氏に仕えた真野信安のときに間宮姓に改め、子の長安の代に復姓。医家としては、玄白で3代目にあたる。
同時代に活躍し、間宮海峡にその名を残す探検家である間宮林蔵は同族である。
 
◆生涯
江戸、牛込の小浜藩酒井家の下屋敷に生まれるが、生母は出産の際に死去している。下屋敷で育ち、元文5年(1740年)には一家で小浜へ移り、父の玄甫が江戸詰めを命じられる延享2年(1745年)まで過ごす。青年期には家業の医学修行を始め、医学は奥医の西玄哲に、漢学は本郷に開塾していた古学派の儒者宮瀬竜門に学ぶ。  
 
宝暦2年(1752年)に小浜藩医となり、上屋敷に勤める。宝暦7年(1757年)には江戸、日本橋に開業し、町医者となる。同年7月には、江戸で本草学者の田村元雄や平賀源内らが物産会を主催。出展者には中川淳庵の名も見られ、蘭学者グループの交友はこの頃にははじまっていたと思われる。宝暦4年(1754年)には京都で山脇東洋が、処刑された罪人の腑分け(人体解剖)を実施している。国内初の人体解剖は蘭書の正確性を証明し、日本の医学界に波紋を広げるとともに、玄白が五臓六腑説への疑問を抱くきっかけとなる。
 
明和2年(1765年)には藩の奥医師となる。同年、オランダ商館長やオランダ通詞らの一行が江戸へ参府した際、玄白は源内らと一行の滞在する長崎屋を訪問。通詞の西善三郎からオランダ語学習の困難さを諭され、玄白はオランダ語習得を断念している。明和6年(1769年)には父の玄甫が死去。家督と侍医の職を継ぎ、新大橋の中屋敷へ詰める。
 
 
『解体新書』(複製)。国立科学博物館の展示。明和8年(1771年)、自身の回想録である『蘭学事始』によれば、中川淳庵がオランダ商館院から借りたオランダ語医学書『ターヘル・アナトミア』をもって玄白のもとを訪れる。玄白はオランダ語の本文は読めなかったものの、図版の精密な解剖図に驚き、藩に相談してこれを購入する。偶然にも長崎から同じ医学書を持ち帰った前野良沢や、中川淳庵らとともに「千寿骨ヶ原」(現東京都荒川区南千住小塚原刑場跡)で死体の腑分けを実見し、解剖図の正確さに感嘆する。玄白、良沢、淳庵らは『ターヘル・アナトミア』を和訳し、安永3年(1774年)に『解体新書』として刊行するに至る。友人桂川甫三(桂川甫周の父)により将軍家に献上された。
 
安永5年(1776年)藩の中屋敷を出て、近隣の竹本藤兵衛(旗本、500石取)の浜町拝領屋敷500坪のうちに地借し外宅とする。そこで開業するとともに「天真楼」と呼ばれる医学塾を開いた。玄白は外科に優れ、「病客日々月々多く、毎年千人余りも療治」と称され、儒学者の柴野栗山は「杉田玄白事は、当時江戸一番の上手にて御座候。是へまかせ置き候へば、少も気遣は無之候」と書き記している。晩年には藩から加増を受けて400石に達している[1]。
 
 
『蘭学事始』明治2年刊。晩年には回想録として『蘭学事始』を執筆し、後に福沢諭吉により公刊される。文化2年(1805年)には、11代将軍徳川家斉に拝謁し、良薬を献上している。文化4年(1807年)に家督を子の伯元に譲り隠居。著書に『形影夜話』ほか多数。
 
孫の杉田成卿(梅里)は幕府天文方となった。
 
墓所は東京都港区愛宕の栄閑院。肖像は石川大浪筆のものが知られ、早稲田大学図書館に所蔵されている(重要文化財)。1907年(明治40年)11月15日、贈正四位。
 
◆天真楼(てんしんろう)http://p.tl/iWEG 杉田玄白の医学・蘭学塾。天真楼塾ともいう。
 
◆日本の私塾一覧  http://p.tl/nrOo
江戸時代半ばから幕末にかけて、当時の教育の一翼を担った代表的な私塾および近代と現代日本の私塾の一覧を提供する。
 

 
◆前野 良沢 http://p.tl/TrUH(まえの りょうたく、享保8年(1723年) - 享和3年10月17日(1803年11月30日))
豊前国中津藩(現在の大分県中津市)の藩医で蘭学者。『解体新書』の主幹翻訳者の一人。良沢は通称で、名は熹(よみす)、字は子悦、号は楽山、のちに蘭化。
 
◆経歴
福岡藩江戸詰藩士・谷口新介の子として、おそらく江戸で生まれる。幼少で両親を亡くしたため、母方の大叔父で淀藩の医者宮田全沢に養われる。全沢は『医学知津』という医書を描くほど博学だったが、奇人で「世の中には捨ててしまうと絶えてしまうものがある。流行りものはどうでもいいから、廃れてしまいそうなものを習い覚えて、後の世に残すよう心がけよ」と教えたという。ついで全沢の妻の実家で中津藩の医師前野家の養子となり、吉益東洞の古医方を学ぶ。そのかたわら、世に廃れそうな一節切を稽古しその秘曲を極め、猿若狂言の稽古に通う時もあった。
 
 
『解体新書』(複製)。国立科学博物館の展示。1769年(明和6年)同じ藩の知人からオランダ書物の切れ端を見せられ、国が異なり言葉が違っても同じ人間だから理解出来ないことはないだろう、と蘭学を志す。晩年の青木昆陽に師事した後、1770年(明和7年)藩主の参勤交代について中津に下向した際、長崎へと留学した。留学中に手に入れた西洋の解剖書『ターヘル・アナトミア』を杉田玄白、中川淳庵、桂川甫周ら盟友と3年5ヶ月で翻訳し『解体新書』を編纂した。しかし、解体新書発行当時、その業績は知られておらず(発行時に名を出したのは杉田玄白他数名)その存在が知られるのは解体新書の翻訳作業の困難を記した杉田玄白の『蘭東事始(蘭学事始)』を待たねばならなかった。
 
良沢が解体新書に自らの名を出さなかったのは、その翻訳の不備(とはいえ、当時の日本の語学水準からすれば、その翻訳は奇跡に近い完成度を誇っていた)を自らがよく解っており、これを恥として許すことができなかったためと言われている。また一説としては、蘭学に対する幕府の対応が微妙でもあったため、万が一の際に、最も蘭語に通ずる良沢に咎が及ぶのを避けるためと、前説の訳の不備に対する良沢の気持ちを杉田が酌み取ったためともされている。その後、蘭学に対する真摯な姿勢より、藩主奥平昌鹿より「蘭学の化け物」と賞賛され、これを誉とし「蘭化」と号する。昌鹿が『ボイセン(人名)プラクテーキ』を与えたとあるが、van Henricus Buysen(Buyzenとも) "Practyk der medicine"のことである。[2]吉雄耕牛の口述をまとめた『因液発備』がBuysenの著作の翻訳とされるが原本については良く判っておらず、良沢との関係・貢献は不明である。
 
寛政の三奇人のひとり高山彦九郎とは親しかった。娘の嫁ぎ先である幕府医師・小島家に於いて没した。弟子に司馬江漢、大槻玄沢などがいる。
 

 
◆緒方 洪庵(おがた こうあん)http://p.tl/uo5T
(文化7年7月14日(1810年8月13日) - 文久3年6月10日(1863年7月25日)
江戸時代後期の武士(足守藩士)、医師、蘭学者である。大坂に適塾を開き、人材を育てた。天然痘治療に貢献し日本の近代医学の祖といわれる。
 
諱は惟章(これあき)または章(あきら)、字は公裁、号を洪庵の他に適々斎・華陰と称する。豊後佐伯氏の佐伯惟寛(惟定の弟)の末裔とされる。
 

 
◆江戸時代の人物の一覧。http://p.tl/M2JU
 

 


●今日は何の日 4月18日 山本五十六戦死(海軍甲事件)(1943年)

2014年04月18日 09時10分22秒 | 色んな情報

●今日は何の日 4月18日 山本五十六戦死(海軍甲事件)(1943年)
◆山本五十六戦死(海軍甲事件)(1943年)
http://p.tl/4E9f
日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元帥海軍大将。栄典は正三位大勲位功一級。1943年に前線視察の際、ブーゲンビル島上空で海軍甲事件により戦死。旧姓は高野。
 
◆海軍甲事件 
http://p.tl/V3iR(かいぐんこうじけん、(英語: Operation Vengeance、ヴェンジェンス作戦))
太平洋戦争中の1943年(昭和18年)4月18日に、連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将機がアメリカ軍機により撃墜された事件のことを指す。日本軍の暗号電報がアメリカ海軍情報局に解読され、待ち伏せを受けたことから発生した。
 
◆連合艦隊司令長官  
http://p.tl/CxQn
(れんごうかんたいしれいちょうかん、旧字表記:聯合艦隊司令長官、英語名:Commander-in-Chief of the Combined Fleet)
日本海軍の外戦部隊である連合艦隊の指揮官。略称はGF長官。
 
◆大日本帝国海軍 
http://p.tl/NBvv(だいにほんていこくかいぐん、旧字体:大日本帝國海軍)
明治4年(1872年) - 昭和20年(1945年)まで日本に存在していた軍隊組織である。
通常は、単に日本海軍や帝国海軍と呼ばれた。戦後からは旧日本海軍もしくは旧帝国海軍とも呼ばれる。
 
◆連合艦隊 
http://p.tl/PHMV(れんごうかんたい、旧字表記聯合艦隊)
旧日本海軍が二個以上の常設の艦隊で編成した、非常設の艦隊である。日本海軍が使用した略称はGF(Grand Fleet または General Fleet から)、本来の英語による連合艦隊はCombined Fleetとなるため、帝国海軍の思考に則った和製英語を略称にしている。
 
◆逸話 
http://p.tl/_57R
●山本は博打が好きで腕もよく、特にポーカーやブリッジに強かった。
山本曰く「博打は一ドルなら一ドル出して自分の言葉に責任をもつこと」「博打をしないような男はろくな者じゃない」「2年ほどヨーロッパで遊べば、戦艦1-2隻の金はつくれる」「私欲を挟まない。
科学的数学的でなければならない。冷静に観察し、計測すれば必ず勝つ機会が判る」という。
山本は「予備役になったらモナコに住み、ルーレットで世界の閑人の金を巻き上げてやる」と語ったという。
しかしモナコではカジノ協会からあまりに勝ちすぎるため出入り禁止令を受けたという。山本の博打好きは、今村均によれば、山本とは中佐・少佐時代に友人の家でトランプ遊びをした時に知己となる。毎週末に山本、今村、安達二十三らの家でポーカーが開かれていたという。
戦前1933年(昭和8年)発行「非常時国民全集・海軍篇」(中央公論社)でも第一航空戦隊司令官山本五十六少将の博打好きが紹介された。
●山本は酒を飲まなかったが甘いものが好物で、夜食に汁粉が出ると喜んだ。
副官は「虎屋の羊羹を切らさぬように」と近江に注意をしている。
山本の同期生嶋田繁太郎大将も「長門」を訪れた際に大量の「虎屋の羊羹」を土産に持参した。
あめ最中も好物としており、新潟市白山駅の「渡辺あめや」には礼状が飾ってある。
日本では柿、南方ではパパイヤを好物とし、「大和」の冷蔵庫にはパパイヤが山のように保存されていた。
水饅頭が大好物であった。ただしこれはくず粉を用いて作った透明の生地で餡を包んだ夏季の生菓子の水饅頭ではなく、酒饅頭を冷水で浸したものに砂糖を掛けたものであった。
このエピソードは映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(2011年)で紹介されている。
●アメリカ留学時代、留学生小熊信一郎と互いに意地を張った結果26時間連続で将棋を指した。
100番予定だったが双方疲労の末、75番で切り上げた。
連合艦隊司令長官になっても将棋をやめることはなく、浴衣に着替えると渡辺安次参謀、藤井茂参謀と日課のように将棋を指し、藤井には苦戦した。
普段無口な山本だが、将棋を指す時には冗談を交えつつ参謀をからかっている。
真珠湾攻撃の前日にも渡辺と指し、ミッドウェー海戦でも空母「赤城」、「加賀」、「蒼龍」の被弾炎上という急報を「大和」作戦室で渡辺と将棋を指している時に受け取った。
●女性に対して細やかな気配りを見せ、得意の逆立ちで宴席の場を盛り上げる等、花柳界ではかなりの人気者だった。その一方で山本は下戸であり、一説によると彼の徳利には番茶が入っていた。
連合艦隊旗艦「長門」艦長大西新蔵は、宴会で専用の徳利から酌をされる山本を目撃している。
海軍将校間の宴会では無口だった山本だが、拳骨の腹に徳利を吸いつけて酌をする隠し芸を披露した。
●非常にお洒落な人物であり、大切にしていた特製のサージの軍服は、逆光で青色に光ったという。
毎日5足以上の靴を磨かせて並べて履き替えていたが、靴の中が熱くなるのを嫌っていたからであった。
従兵長達が山本のために精一杯豪華な食事を用意し続けたため窮屈な軍艦内部の生活が原因で運動不足になり、高血圧か脚気になった可能性がある。
山本は1942年末-1943年にかけて手足のしびれ・むくみを訴えたため古賀峯一大将が心配している。