帯とけの古今和歌集

鶴のよわいを賜ったというおうなの古今伝授。鎌倉時代に秘伝となって埋もれた和歌の艶なる情がよみがえる。

帯とけの古今和歌集 巻第五 秋歌下 263~264

2009-03-27 00:32:52 | 和歌


 忠岑とよみ人しらずのもみじ歌二首。「言の心」で帯を解き、「心におかしきところ」をみる。併せて、藤原定家が秀歌とする「新古今和歌集」のもみじの歌の「余情妖艶」なさまを見てみましょう。


   古今和歌集 巻第五 秋歌下
      263~264


263
 是貞のみこの家の歌合によめる      
               忠 岑
 雨ふればかさとり山のもみぢばは 行きかふ人の袖さへぞてる

 雨降れば笠取山のもみじ葉は、色艶増して、行き交う人の袖さえ照らす……お雨の降れば、かさとり山ばのもみじ端は、ゆき交う人の端さえ火照る。

 「雨…時雨…そのときの雨…おとこ雨」「かさとり山…笠取山…山の名、戯れる。笠を手に持つ山、笠被った形の山ば、かさ鳥山ば、女の山ば」「鳥…女」「もみぢ葉…色づく端…も見じ端」「葉…端…身の端」「人…女…男」「袖…端…身の端」「てる…照る…火照る」。



264
 寛平御時きさいの宮の歌合のうた     
            よみ人しらず
 ちらねどもかねてぞをしきもみぢばは 今は限りの色とみつれば

 散らずとも散る前からよ、惜しまれる、もみじ葉は今が限りの色と思うので……散らずとも散る前からよ、愛おしい、もみじの端は、今はこれが限りの色と見たので。

 「ちる…もみじ葉が散る…おとこ木が衰え逝く」「をしき…惜しき…愛しき」「もみぢ…紅葉…黄葉…お疲れ色の端…も見じ」「黄色…お疲れ色」「今は限り…今はこれまで…今はこれが限界」「色…色彩…色かたち…色情」「見る…感知する…覯する」。女の歌。

 上二首。もみぢ葉に寄せて、ひととおとこのうつろいざまを詠んだ歌。



  平安時代最後の人の歌論 

  藤原定家(1162~1241)は「近代秀歌」で、「むかし貫之は、歌の心巧みに、たけおよび難く言葉強く、姿おもしろき様を好みて、余情妖艶の体を詠まず」と記す。その流れを継ぐ人々の歌はその後次第に貫之の歌に及びもつかぬものとなった。寛平の御時以前の歌にかえるべしと説く。すなわち貫之が厳しく批評した遍照、業平、小町と素性の後に絶えた余情妖艶な体の歌を、まことの歌と思いたまえと、定家はいうのでしょう。

 定家が「近代秀歌」で、秀歌例を掲げるうちに、「新古今集」のもみぢの歌がある。その余情の妖艶なる様をみましょう。余情とは公任のいう「心におかしきところ」で、歌に添えられた余りの情でしょう。それが、妖しくも艶かしい情であっていい、ということでしょう。

 ほのぼのと有明の月の月かげに 紅葉ふきおろす山おろしの風

 ほのぼのと朝空に残る月光のもと、紅葉吹き下ろす、山おろしの風……ほのぼのと朝方未だ残るつき人おとこ、てる君に、も見じ吹きおろす、山ばおろしの飽きの風。

 この時代、「言の心」は心得ていたでしょう。ここでは繰り返し示さない。 歌の「清げな姿」は、ややくずれているかに見えるけれども気にしない。余情妖艶なるさまこそ歌の命だから。

 さて、こんな和歌が秘伝となって埋もれた後、江戸時代の国学にはじまる国文学的解釈は、「余情妖艶」などという言葉をどのように曲解または無視したのか、特異な解釈方法を打ち立てた。いわく「ここまではこの言葉の序詞」、「この言葉とこの言葉は縁語」だ「掛詞」だと。和歌を分析して表われたことを、平安時代には存在しない言葉で名付けて、ほとんどを叙景の歌として享受しょうとする。そして、理屈の歌、くだらん歌、退屈な歌と非難される歌にしてしまった。
 
貫之、公任、俊成、定家の解釈は、それらとは全く別物であることに気づき給え。

         伝授 清原のおうな


 鶴のよわいを賜ったという媼の古今伝授を書き記している。

         聞書 かき人しらず