貫之と元方のもみじ歌三首。言の心で読み、帯が解けると顕れる情は、おとこのあきの訪れざま。併せて、枕草子268の神の話しを同じく言の心で読む。
古今和歌集 巻第五 秋歌下
260~262
260
もる山のほとりにてよめる
貫 之
しらつゆも時雨もいたくもる山は したばのこらず色づきにけり
守山の辺にて詠んだ歌
白露もしぐれも、ひどく漏る守山は、下葉残らず色づいたことよ……白つゆも時のお雨もひどくもる山ば、下っ端すっかり色尽きたなあ。
盛る山ばの辺りにて詠んだ歌
「しぐれ…秋の終わりに降る雨…飽きの暮れに降るおとこ雨…その時の雨」「もる山…山の名、守る山、漏る山、盛る山」「山…山ば」「下葉…下端…おとこ…女」「つく…付く…尽く」。
261
秋の歌とてよめる
在原元方
雨ふれど露ももらじをかさとりの 山はいかでかもみぢそめけん
秋の歌ということで詠んだ歌
雨降れどつゆも漏らないだろうにな、笠取の山はどうして紅葉に、染まったのだろう……お雨降れども、つゆも漏らさないのに、傘取りの山ばはどうして、も見じし初めたのだろうか。
厭きの歌といって詠んだ
「雨…秋の雨…紅葉鮮やかに彩る雨…飽きのお雨…おとこ雨」「もらじ…漏らない…漏らさない」「じ…打消しの推量または打消しの意志を表わす」「かさとりの山…笠取山…山の名、名は戯れる…笠をきた山…傘さした型の山ば」「もみぢ…紅葉…黄葉…も見じ…も見ない」「も…否定の意を強める詞」「見…覯」「そめ…染め…初め」。
上二首。露に寄せて、おとこの尽きざまを詠んだ歌。
262
神のやしろのあたりをまかりける時に、いがきのうちのもみぢをみてよめる
貫 之
ちはやぶる神のいがきにはふくずも 秋にはあへずうつろひにけり
神の社の辺りを通った時に斎垣の内の紅葉を見て詠んだ歌
ちはやぶる神の斎垣に這う葛も、秋にはたえきれず紅葉したことよ……血早ぶる上の井がきに、這う屈すよ、飽きには合えず衰えたことよ。
かみのやしろの辺りに、をまかりけるときに、井がきの内のもみぢを見て詠んだ歌
「神…上…女」「いがき…斎垣…聖域の囲い…井餓鬼」「井…女」「がき…貪欲なもの…むさぼるもの」。「ちはやぶる…神、氏、人の枕詞…意味は不明ながら、戯れる。千早振る、血気盛んな、血早ぶる」「くず…葛…蔓草…野辺を這うもの…くす…屈す…平伏する」「も…さえも…よ…感嘆を表わす」「秋…飽き満ち足り…厭き…も見じ」「あへず…敢えず…耐えられず…合えず…和合できぬまま」「うつろひ…移ろい…黄変落葉…おとろえ」。
上一首。もみじに寄せて、ひととおとこの飽きを詠んだ歌。
枕草子の神の話を読む
枕草子268、神の話を「言の心」で読みましょう。
神は、まつのお、やはた。この国のみかどにておはしましけんこそめでたけれ。みゆきなどに、なぎの花の御こしにたてまつるなど、いとめでたし。
神は、松の尾、八幡。(神世には女神が)この国の帝であらせられたのでしょう、まことに愛でたい。行幸などに水葱の花が御輿におつけされてあるなど、とっても愛でたい……女は待つの男、八またそのうえに。女がこのくにの身門にておはしましけんこそ愛でたいことよ。身逝きなどに、ねぎらいの女花を山ば越しのために奉るなど、とっても愛でたい。
いがきにつたなどのいとおほくかゝりて、もみぢの色いろありしも、秋にはあへずと貫之が歌思いでられて、つくづくとひさしうこそたてられしか。
神の斎垣に蔦などが、とっても多くかかって、紅葉が色いろあったので、秋には敢えずという貫之の歌、思い出されて、つくづくと久しく、車停めていたことよ……井かきに這う木など、あまたひっかって、黄葉が色いろあったので、飽きには合えずという貫之の歌、思い出されて。つくづくと久しくも、立てていらしたのね。
和歌と同じ文脈にある。言の心は同じ。
「神…上…女」「まつ…松…待つ…女」「みかど…御門…御女」「なぎ…水葱…ねぎ…草花の名…女花…ねぎらいの花よ」「ねぎ…ねぐ…労う」「こし…輿…越…山ば越す」。「もみぢ…紅葉…黄葉…おとろえ」「色…色彩…色情」「あへず…敢えず…合えず」「たてられしか…自然と停めていたよ…立てていらしたのね」「られ…らる…自発の意を表わす…尊敬の意を表わす」。
伝授 清原のおうな
むかし、少納言と呼ばれ「かつらぎのかみ」というあだ名の宮廷女房で、鶴の齢を賜ったという媼の、古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず