どうしてこんなに人情人情また人情と、観る者の共感を得たいというシーンが次々に画面を支配するのか、おれにはさっぱり理解できない。
「共感したい症候群」の人にとっては、これがサイコーなのだろうか。
おれにはただ暑苦しいだけだった。
しかも、その無駄に暑苦しい人情シーンが、映画全体のテンポを恐ろしいほどすっとろいものにしている。
この『フラガール』なる映画は、自分自身をおもしろい映画にするよりももっと大切なことがある、と思っているようだ。
最近は特に、このような映画が後を絶たない。
映画ファンとして、というより、ひとりの人間として嘆かわしい事態である。
そんなわけで『フラガール』はロクでもない映画であり、印象としては『ALWAYS 三丁目の夕日』よりもむしろ『半落ち』に近く、これまたおれが嫌いな「共感映画」なのであった。
しかし言うまでもなく、クライマックスのステージ・シーンはただ純粋におもしろく、目を奪われ、陶酔する。
いや、思えばクライマックスだけではない。
『フラガール』には、シーン単体として見れば実におもしろいところがたくさんあるのだ。
それが、得体の知れない教訓性というかメッセージ性というか、そのようなウザイものによって次から次へと蹂躙されていってしまう。
おもしろいシーンとは、例えば親友との別れのシーンにある。
とうとう抱き合った松雪泰子と徳永えり。
ここでは、抱き合う2人の上半身のみが映され、そのために、実は徳永えりは既にトラックに乗り込んでいた、ということは、当のトラックが発進してから明らかになる。
そのトラックは、蒼井優がどんなに全力で追いかけようとも、橋を越え、もう2度と出会えない向こう側の世界にまで行ってしまう。
またこの橋では終盤、豊川悦司がマトックを振り回す。
そんなことをして大丈夫なのか。
さんざん教訓や倫理、道徳のようなものに寄りかかっているこの映画において、マトックという重量感溢れる魅力的な暴力器具を、ブンブンブンブン振り回す。
なんとも胸躍るではないか。
しかもである。
最後には、振り回されたそのマトックが、絶妙な速度と角度で川に投げ込まれてしまう。
行き場のない彼の(または彼らの)想いは、その水しぶきとして見事に表現されている。
が、やはりケチが付く。
前述もした拍手喝采のクライマックスにおいてまで、この映画は人情を持ち込む。
なぜ、父親の遺影などを映すのか。
ハワイアンダンスの楽天的で奔放な躍動は、人情なるものとかくも相性が悪いものか。
しまいには、ダンサーたちが感極まって涙する。
こうなるともう駄目だ、ついていけない。
映画のエモーションは登場人物たちのものではない。
観客のものではないか。
業務報告
●まあしかし、蒼井優の踊りを観るだけでお釣りがくる映画ではある。
●怪獣映画に出てきそうな山とか町並みの模型ちっくな感触はいい。
こういうのは、まことに映画的な嘘と言えよう。
「共感したい症候群」の人にとっては、これがサイコーなのだろうか。
おれにはただ暑苦しいだけだった。
しかも、その無駄に暑苦しい人情シーンが、映画全体のテンポを恐ろしいほどすっとろいものにしている。
この『フラガール』なる映画は、自分自身をおもしろい映画にするよりももっと大切なことがある、と思っているようだ。
最近は特に、このような映画が後を絶たない。
映画ファンとして、というより、ひとりの人間として嘆かわしい事態である。
そんなわけで『フラガール』はロクでもない映画であり、印象としては『ALWAYS 三丁目の夕日』よりもむしろ『半落ち』に近く、これまたおれが嫌いな「共感映画」なのであった。
しかし言うまでもなく、クライマックスのステージ・シーンはただ純粋におもしろく、目を奪われ、陶酔する。
いや、思えばクライマックスだけではない。
『フラガール』には、シーン単体として見れば実におもしろいところがたくさんあるのだ。
それが、得体の知れない教訓性というかメッセージ性というか、そのようなウザイものによって次から次へと蹂躙されていってしまう。
おもしろいシーンとは、例えば親友との別れのシーンにある。
とうとう抱き合った松雪泰子と徳永えり。
ここでは、抱き合う2人の上半身のみが映され、そのために、実は徳永えりは既にトラックに乗り込んでいた、ということは、当のトラックが発進してから明らかになる。
そのトラックは、蒼井優がどんなに全力で追いかけようとも、橋を越え、もう2度と出会えない向こう側の世界にまで行ってしまう。
またこの橋では終盤、豊川悦司がマトックを振り回す。
そんなことをして大丈夫なのか。
さんざん教訓や倫理、道徳のようなものに寄りかかっているこの映画において、マトックという重量感溢れる魅力的な暴力器具を、ブンブンブンブン振り回す。
なんとも胸躍るではないか。
しかもである。
最後には、振り回されたそのマトックが、絶妙な速度と角度で川に投げ込まれてしまう。
行き場のない彼の(または彼らの)想いは、その水しぶきとして見事に表現されている。
が、やはりケチが付く。
前述もした拍手喝采のクライマックスにおいてまで、この映画は人情を持ち込む。
なぜ、父親の遺影などを映すのか。
ハワイアンダンスの楽天的で奔放な躍動は、人情なるものとかくも相性が悪いものか。
しまいには、ダンサーたちが感極まって涙する。
こうなるともう駄目だ、ついていけない。
映画のエモーションは登場人物たちのものではない。
観客のものではないか。
業務報告
●まあしかし、蒼井優の踊りを観るだけでお釣りがくる映画ではある。
●怪獣映画に出てきそうな山とか町並みの模型ちっくな感触はいい。
こういうのは、まことに映画的な嘘と言えよう。
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おそらく世間的にはフラガールは評判がいいと思うんです。ryoddaさんみたいな意見が少数だと思います。
でも自分にも同じような経験があって、映画ブログを見回った限りでは佐賀のがばいばあちゃんを悪く言ってたのは自分だけでした。笑。
ちなみに半落ちは同じくまーったく共感できませんでした。あれはどこで感動すればいいのかさーっぱりわかりませんでした。
『パッチギ!』なんかもそうでした。
でもこういうの、受けがいいんですよねえ、どうも。
全然立派な態度だと思わないんですけどね。
ブログにTBありがとうございました
期待以上の感動の名作映画に仕上がってましたね。
今年の邦画ランキングの上位入り確実ですね。
こちらからもTBさせてもらいました。
個人的にはあまりノレない映画だったんですが、世評は高いようですね。
まあ、クライマックスのステージは文句なしでしたし、つまらないわけではなかったのですが・・・どうもこういうのは苦手です。
優等生って感じが肌に合わないといいますか。
もっとエンタテイメントに振り切れていればよかったんですけどね。
その辺のバランスというか、イマイチな気がしました。
だからドツボなのは間違いないわけです。
筒行雪乃介さんが
この映画に満点を出しました!
ちょっとビックリしたけれど
でも確かにryoddaさんの
読み(読んでないけど)は
当たっていたのです!!
すばらしい!
まあ、もちろんそういう「ウェルメイド指向」は間違いではないんですが、それだけで満点というのは、ちょっと「学校のテストの採点」みたいでいやーんな感じです。
もっと荒々しいものこそ評価されるべきだと思うんですけどね。
こういう映画って細かいところにアラがあると
ますます冷めていきますよね。
映画館にお客が集まるのはいいことですし
丁寧に作ってあったとは思うし
私は悪い映画とは思わなかったので、よいのだけれど
マイナスな意見を出しにくいのは困りますよね。
そうですね、基本的に文句のいいにくい映画ですね、これって。
でもだから満点ってことはないだろう、ってノリです、やっぱ。
減点方式で映画を評価するよりも、加点方式で評価するタチというのもありますが、なんだかあまりにも絶賛されすぎている気がします。
某おすぎさんの影響ですかね?
同じ人情劇でも、自分なら『忘れえぬ想い』とかの方がはるかにいい映画だと思うんですよね。
>映画ファンとして、というより、ひとりの人間として嘆かわしい事態である。
こういう映画が出てくることは、ひとりの人間として喜ばしい事態なんですけどね(笑)
映画には、いろんなジャンルがありますが、この映画は、笑いあり、涙あり、の大衆娯楽映画だと思うんです。大通俗映画ですね。でも、そんな通俗映画がこんなに価値観が多様化した社会で、多くの人の感情を揺さぶることなんて、大変なことだと思います。
「純愛物語」で涙を動員するのは、わりと簡単なことですけどね。
そして個人的にも、『フラガール』は佳作だと思います。
しかし絶対に傑作ではない、とも実感しています。
最新号のダ・ヴィンチ誌で、宮台氏がこの映画を「人畜無害な映画」と呼んでいました。
まったく同意です。
しかし、必ずしもそれが悪いとも思いません。
個人的には、人畜無害と人畜有害の間隙をついたような、そんな娯楽指向映画こそが「現代の娯楽映画」だと感じています。
今はそんな時代だと感じているからです。
「みんなの共感を得て、みんなに支持される映画がすばらしい」というのは、古い価値観だと思います。
しかし自分は、あくまでも前向きに、現代の価値観を模索したい。
昔の価値観にあこがれるのではなく、新たな、現代を象徴するようなものさしで映画を計りたい、そう思っています。
そうすることで、数年後、数十\年後には世評も一変するような、真の傑作を探り出すことの可能\性を信じているからです。
コメント、ありがとうございました。