いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

山中静夫氏の尊厳死  南木佳士著

2009年06月11日 | 小説
 
 今回の記事は以前に3月うさぎさんに教えて頂いた「山中静夫氏の尊厳死」です。


これは、末期の癌と宣告された山中静夫氏が入院してくるところから最期の時を迎えるまでを医師である今井を視点に描かれています。

 普通の言葉が並んでいるのに山中氏の最期の句は印象的です。

  楽に死ねそうな気がしてふる里の山見ゆ

話は、静かに終わります。

もう二十年以上前のことですが、私の中に眠りかけていた母を看取った当時の記憶が呼び起こされました。
実は3ヶ月ほど前に一度この小説を読んだのですが、以前記事にした「家族」同様、すぐに記事にするのを躊躇っていました。

しばらくの間日常の忙しさの中に埋没し、時が過ぎていきました。「今年もまた母の命日が近づいてきた」そう思った途端、この本のことを思い出して再び手にとってみました。

末期癌の場合、医師と、患者、そして家族・・。告知の問題から治療方法・・。三者三様の微妙な関係がなんとも複雑です。

「生き残る人の都合に合わせて人は死ぬわけではないですから。」
今井の言葉が印象的です。今井は山中氏の気持ちをいちばん大切にしています。
でもすべての医師が今井のような人であるというわけではないことも何度か身近な人の死を体験した私は感じます。

私の母が末期癌と診断された時、担当の医師は当時の私とほぼ同世代の若い人でした。淡々と病状を父と私に説明した医師は表情を変えることなく「あと長くても3ヶ月です。もう手遅れですから、手術はできません。体力がないので放射線などの延命治療も期待できません。告知されますか。」と言いました。

父も私も言葉を失いました。何だか私にはその先生がとても冷徹な人のように思われて、言いようもない淋しさを感じました。でも今思えば、当時はその先生も若かったので患者の家族と向き合うことも経験不足だったからなのかもしれません。


結局、私は告知してもいいように思いましたが、父が強く反対したので、父の意志を尊重しました。

「もし母が山中静夫さんのように自分の病気をしっかりと把握していたら、残りの人生をどうやって過ごしたのかなあ。」と思います。

癌という病気は、最近では五年、十年後の生存率もずいぶん高くなりました。ほとんどの場合本人にも病気の状態がきちんと説明され、治療についてもいくつかの選択肢が示されるようになりました。でも本当に末期の時にわかったときはどうなのでしょう。

母の時も病名を知ってから亡くなるまで余に短期間だったので、父が告知を躊躇っている間に刻一刻と時は過ぎ、せめて一度母を家に連れて帰りたいという父の願いを実現するのが精一杯でした。

外泊が終わって病院に戻り、数日が過ぎたころ、母は私に「もうわかっているから・・。ありがとう。お父さんをよろしく。」と言いました。
かつて医療の現場で働いていた母なら私たち家族の心遣いや担当の医師が告げた病名の嘘くらい簡単に見抜いていたのかもしれません。

それからちょうど一ヶ月半後に母は息を引き取りました。
その時、母のそばにひっそりと佇む父の姿がとても小さく見えました。


たとえ家族でも一人の人間の人生を他の人が決めることはできない。
また完璧に何かしてあげるということはできない。

本人の意志を尊重することが、一番の思いやりではないか。

病気は本人だけの問題ではなく家族が実に複雑に絡み合っていることも感じました。

当時、母の担当医だった若い先生のことを私は長いこと医師として力不足なのではないかとかすいぶん冷たい人だとかいろいろ思っていました。
患者同様たいていの場合、家族も理性を失っていますから、向き合う医師もたいへんなんだろうということを動揺している家族は考える余裕はありません。

当時はまだ未熟だったかもしれない母の担当医の先生も今頃はベテランの医師としてどこかで活躍されているのかなあと思います。

この小説の山中氏の死と向き合う医師今井の心の葛藤を追いかけながら私は今までと少し違う視点に気づいたような気がしました。