いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

異文化をこえる英語 鳥飼玖美子著

2007年10月17日 | その他
 私が今までの人生で経験したことがあてはまる部分が多くて「ああ、やはりそうか。」と ひどく納得したくなる本でした。

日本人は英語アレルギーだとよく言われます。そう言っている人々もまた多くは日本人ですが・・・。NOVAのような事件もありましたが、各地の英会話学校のニーズは依然として大きいのが現状です。学生ばかりでなく、中年以上の人々やまだ学齢に満たない幼児たち向けの英会話のクラスもたくさんあります。でも海外生活の経験のない日本人がいざ話すのはなかなか大変です。

 この本の「日本人はなぜ話せないのか」というサブタイトルに迫る著者の考えを私なりに解釈して読み進めていくうちに先日ブログで書いた正高信男氏の「ケータイを持ったサル」の中の若者たちの生き方と共通点があることに気付きました。

 つまり正高氏の「家の中主義」をもっと広く考えると鳥飼氏が指摘されている話せない日本人は日本語の「家の中主義」から外へ飛び出せないってことではないでしょうか。もちろん沈黙を美とする文化的背景が大きな要素となって踏み出せないという考え方も分かりますが・・・。特に大学生たちの英会話の授業態度についての話を読んで大いに家の中主義の延長戦上であるように感じました。

 鳥飼氏は経験上いろいろな角度から日本人が英語が話せない理由を分析されていますが、29年前に初めての外国であったカナダへ行って暮らし始めた時の私自身のことを思い出すと手に取るように分かるので何だか恥ずかしくなるくらいでした。

 わからなくても日本語が通じない状況の下におかれ、それに立ち向かえば第1歩は始まります。海外へ行かなくても日本語がまだよく出来ないネイティブの先生の英会話教室に行けば似た状況になることでしょう。この場合日本語はできなくても英語の先生としての資質は大切だと思いますが・・。
 悪戦苦闘してでも、とにかく何か話していくうちに、相手も必死になって聞いて、文章を並べ替えたり言い回しを教えてくれたりするので、次第に会話が成り立つようにはなります。でも、勇気を出してどんどんしゃべるようになるまでには人によって違いますがやはり時間がかかります。
 また、さらに、その国の地理や歴史、文学、政治や自然科学などいろいろな話になると豊富な語彙力を必要とします。現地に行くだけでは限界があるというのはその人の学ぶ姿勢によるでしょう。
 「話すためには読むこと」という鳥飼氏のアドバイスについては全くその通りだと思いました。もっとも私自身、まだまだ勉強不足で英文は未だに速くは読めませんが・・・。

 特殊な環境下に育ったバイリンガルの人々を除いて外国語をマスターするということは大変な努力を必要とします。これは日本語を学ぶ外国人でもそうですし、日本人が英語以外の語学を学ぶ時も同じです。

 後半の具体例は分かりやすく、これからさらに英語を学ぼうと考えている高校生以上の人々にとっては参考になるかと思います。私自身の経験からもお薦めです。

 最後に鳥飼氏がこの本を書くきっかけになったのが1994年8月の村山元首相とマレーシアのマハティール首相との首脳会談のエピソードだったと知ってちょっと複雑な気持ちでした。「あーあ、日本人ってこうなんだ。」「総理大臣までそうだったんだ。」という想いが残りました。

 学問に王道なしってところでしょうが、日本語の家の中主義の壁は一人でも多くの若者に越えてもらいたいものだと思います。


ケータイを持ったサル 「人間らしさ」の崩壊 正高信男著

2007年10月13日 | その他
 先日待ち合わせの時間つぶしに何気なく入った中野駅前の古書店で偶然この本を見つけました。3~4年前書店で見かけて買おうと思っているうちに忘れてしまっていた本でした。
 
 この本は現代の若い人たちやその親への痛烈な批判と警鐘と捉えてもいいと思います。題名からして然りです。
 反面、また最近はサルの生態についてずいぶんいろいろなことがわかってきているんだなとも思いました。

 正高氏の現代の女子高生に代表される10代の風俗とニホンザルの行動を関連づける発想には、確かに認めざるを得ないようなこともいろいろあるなと感じました。ルーズソックスやべた靴、地べた座りや電車の中の化粧などについて外国から来た友人にも見た目の悪さを指摘されたことがあって、こんな日本の現実を恥ずかしく思っていました。

 携帯電話を持った10代の子供たちの多くは絶えずメル友とメールをやりとりし相手の存在を確認します。それはちょうどニホンザルが視界の悪い森の中で仲間からはぐれないように声を出し合う行動とよく似ているそうです。「メル友を持ったニホンザル」・・・なるほどねえ・・そうなのかなと思います。

 でもそういう子供たちを作ったのは日本の少子化社会の中で子育てをしてきた親たちの子供中心主義であると正高氏は述べています。

 ついこの間まではごくありふれた普通だと思われていた家族のあり方が、ある日突然、実は今の日本の若者たちの生活の歪みをたくさん作っていたことに気づかされたような思いです。

 サラリーマンの夫と専業主婦の妻と子供たちという核家族はほんの数十年前に一般化したものです。戦後団塊の世代の人々を育てた親たちもそれに続く世代の私を育てた私の親も戦後生まれた新しい家族像や価値観の中で、手探りで生きてきたように思います。

 また著者が「サザエさん」に注目している点も興味深いです。いつまでも歳をとらない「サザエさん」は私が生まれる前から人々に親しまれてきた漫画です。磯野家の人々の年齢構成からすると現在では非現実的なのは明らかなのに、それは日本の典型的な家族のネガであり、人々は「サザエさん」を見ると息抜きになると書かれています。確かに妻の実家で暮らすマスオさんもけっこうしあわせそうに暮しているように見えます。団らんのある和やかな家族はやはり人々の理想でしょう。

 でもこの複雑な世の中で人々が精神的にしっかり成長して子供を持って生活できるようになるまで、あまりに時間がかかるようになってしまいました。今、親より早い年齢で結婚する子供はわずかです。子供を持たない選択をする人も増えています。

 あとがきで、著者は「ただ、私個人は基本的にサルとなじんだ行動の研究者である。だから、もっともっとサルに近づいた人間が社会にあふれるのを見てみたいと願っている。せいぜい体に気をつけて、長生きを心がけよう。」と結んでいます。

 高校時代はまだケータイを使わなかった20代後半の子供を持つ私ですがこれから生まれてくるかもしれない孫の世代のことを考えると何だか少しだけ割り切れない思いが残ります。

徳川将軍家十五代のカルテ 篠田達明著

2007年10月09日 | その他
先週、地下鉄の中で少しずつ読んでいたのですが、ちょっと面白い本だなと思いました。 
世が世なら将軍様の病気の記録なんて極秘中の極秘だったことでしょう。言論の自由の今だからこそ、こんな本を読むことができるのかなと思いました。同じ著者の「歴代天皇のカルテ」新潮新書も読みましたが、こちらもなかなか興味深い本でした。でも天皇は125人もいらっしゃっるので古い時代の方はだいぶ怪しげです。明治以降の天皇についてはよく分かりましたが、あとは記述も大まかな感じなので、どちらかというと私はこちらの「徳川将軍家十五代のカルテ」の方がいいと思いました。

 ここでは、15人の将軍と水戸光圀など3人の将軍の兄弟や従兄弟の肉体的、精神的健康状態その他を記録から分析しています。将軍の健康の鍵を握る母や正室側室についても一部触れています。

 そして最後に篠田氏は「家康以後の将軍は二、三をのぞいて凡庸な人ばかり、何人かの病人や障害者や幼児もいたが、それでも将軍職をつとめることができたのはかれらが飾り物にすぎなかったからである」と述べています。

 確かに時代劇で美化された将軍様のイメージと実在した将軍様の容貌も性格やまた政治的能力もずいぶん異なっている場合が多かったように感じます。

 たいへん小柄でマザコンだったという五代将軍綱吉、最後の将軍慶喜は15人の中でもっとも長寿でした。大御所家康は2番目です。そしてまた寿命の長さとともに子供の人数も将軍様の健康状態のバロメーターであったようです。
 「歴代将軍の中で九代家重と十三代家定は障害者だったことは明白」とあります。と同時に「将軍の息子という特殊な条件下にあったとはいえ障害者を差別することなく受け入れたのは日本史上特筆すべき出来事であった」と書かれています。

 それでも260年も保つことができたのは幕藩体制を支えた三河家臣団の存在があったとのこと。

 そしてもうひとつ将軍たちを支えたのは大奥の女性たち、著者は「将軍の世継ぎを絶やさぬよういじましいほどの努力をした女性たちの涙と汗の跡だったともいいかえることもできるだろう」と結んでいます。
 自ら努力して漢方などの医療を研究し子作りに励んだ家康と違って、二代将軍秀忠の正室で織田信長の姪のお江与と対立したといわれる家光の乳母の春日局の時代に大奥の世継ぎへの執念の基礎ができあがったのでしょうか。

 時代劇を見る角度をちょっと変えてみたくなるような本でした。

 

風の歌を聴け  村上春樹著

2007年10月07日 | 小説
 前回に続いて村上春樹氏の作品です。ノルウェイの森を読んだ話をしたら、友人の一人にこの村上氏のデビュー作を薦められました。

 28年前の作品ということを考えると当時としては構成がちょっと変わっていてダイナミックな感じがしました。この作品にはデレク・ハートフィールドという作家の名前が登場します。もう、少し忘れたとはいえ、1970年代ころまでに翻訳され、世界文学全集の中に入っていたり、文庫化されていたりしたアメリカの作家の名前くらいはかなり知っていると思っていました。でも作品の中で何度も出てくる作家デレク・ハートフィールドの名に全く覚えがないので首をかしげながら読み進めるうちに、最後まで読んでから調べてみたら、架空の人物とわかりひとり苦笑いでした。

 でも、村上氏によって作られたハートフィールドの人物像の中にいろいろなメッセージを感じます。

 
 「80年代の半ば位から大学のキャンパスなどで、読書好きな学生たちや恋人同士の共通の話題が村上春樹だっていうこと、よくありましたよ。」と、20年前から村上春樹に夢中だという年下の友人が教えてくれました。今は中国のキャンパスでもそうなんでしょうか。

 でもその時、実は私自身はその「大学のキャンパスで」という言葉と聞いた途端、急にいろいろなことを思い出してしまいました。まっ先に思い出したのが高橋和巳(今は古書店ですら著書をあまり目にしなくなりましたが)でした。もう30年近く前のことです。全共闘時代、高橋氏は学生たちの間でカリスマ的存在だったと聞きましたが、1971年に39歳の若さで癌で亡くなりました。高橋氏の本を私が読み始めたのはその後2年くらい経ってからでしたが、まだ学生たちの間で根強い人気がありました。
 高橋氏の小説の主人公は若くはなく破滅していく人間ばかり・・。いつの間にか引き込まれて読むわりには苦しい話でした。「何故皆そんな話が好きなんだろう?」そう思いながら先輩や同級生の話についていこうと背伸びをして読んではみたのですが・・。「非の器」「わが心は石にあらず」などその他数冊読み終わったとき、ある日突然読むのを止め、以後読んだことはありません。

 社会人になった年に、1977年の芥川賞の受賞作三田誠広氏の「僕って何」を読みました。何だか不思議なほどしっくり受け入れられたのをよく覚えています。そして今回、村上氏の本を読んだ時、遠い昔読んだこの本のことを思い出しました。
 当時、私に本を貸してくれた学生時代の友人が「青春にピリオドを打つのちょうどいい本だね。」と言っていたのが印象的でした。一瞬何のことかわからなかったのですが、一区切りつけたい時に読みやすいこの小説を一読して、すっきりしたってことかなと思いました。きっと高校生やその年に学生生活を始めた人々は逆のことを思ったかもしれませんが・・・。その数ヶ月後、私は日本を離れました。

 80年代に入って多くの同級生が結婚し、子供も生まれました。当時日本から届いた友人たちからの手紙の内容は仕事や世間のことより家族のことが多くなりました。

 話を元に戻しますが、 大学生を主人公にした三田氏と村上氏の小説は内容と構成はまったく違いますが作者の年齢も主人公の年齢も背景も似ているように感じます。どちらも厭世感をも描きながらも若さと未来を感じます。最近この村上氏の「風の歌を聴け」がその2年後の1979年に芥川賞にノミネートされていたことを知りました。当時の芥川賞の審査員の先生方は保守的な方だったのでしょうか。

 今や日本ばかりでなく世界各地で翻訳され、多くの若者たちを惹きつけている村上春樹氏が28年前、こんな小説を書いて文壇にデビューしたんだということを思いながら読んだので今回はちょっと先入観にとらわれてしまったかもしれません。