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台北駅…の周りで遊ぼう!古跡巡りだ!

2010年03月06日 09時46分15秒 | 文化

(三井旧倉庫の建物。建築時期ははっきりしないが100年ほど前だとされる。正面上部に三井物産のロゴがある。台湾の建物に残る同社唯一のロゴだ。前面の「騎楼」のアーチが美しい)

台北駅に来ると、台湾高速鉄道や台湾鉄道、台北新交通システムでどこへ行こうかと思うかもしれない。でも、台北駅の周りを歩いてみるだけでなかなか面白いものだ。
今月2日にはある歴史建築物の鑑定調査が行われた。今の台北駅から歩いて5分のところにある「三井旧倉庫」だ。日本統治時代に三井物産が建てた(20世紀初頭と見られる)この赤レンガの建物は、もはや残っていない旧台北駅近くに位置。現在の台北駅より西側で、旧市街の城門である「北門」を中心にし、郵便局や「旧鉄道部」が囲むロータリー沿いにある。物流の利便性を考慮した立地だったのだろう。

(台北の町が城壁で囲まれていた時代の北門。ロータリーの中心にある)

(北門から見た台北郵局=台北郵便局。ロータリーの東南)

(北門から見た日本統治時代の「旧鉄道部」。戦後は台湾鉄道本部として使われた。修復まで保護するためカバーで覆われている。ロータリーの北西)

この日は台北市政府文化局が専門家と共に外観や内部を視察、歴史的建築物としての価値を判断するための調査を行った。今後、審議委員会の討論を経て決定が下される。
建物でまず目を引くのが前面の四本の柱と三つのアーチで作られた「騎楼」。「騎楼」とは日差しや雨を避けるため、建物の一階部分を二階より後ろに下がった形にし、軒下のような空間を歩道にしている場所。また、前面上部の特徴ある壁には三井物産のロゴが確認できる。第二次世界大戦後はほぼずっと放置されていたということで、内部はさすがに荒れ果てていたが、専門家たちには興味深いところがあったようだ。

この日、調査をリードした台北市文化資産価値プロジェクトチームの李乾朗・審査委員は、「三井物産の投資の証拠だ。木材は日本からの輸入品だろう。また、レンガは輸入品でないとしたら、台湾で作られた最も古いものに属するのでは。台北に城壁があった時代に建てられたと思われるが、すでに今の忠孝西路に平行に建てられており、日本はその時代にすでに都市計画を作っていたことがわかる。忠孝西路で現存する最も古い建物であることは間違いないだろう」と述べた。

(三井旧倉庫を裏から見たところ。やはり三井物産のロゴがデザインされている)

国立台湾師範大学地理学部の洪致文・助理教授は、1945年の米軍による空襲で破壊されなかった貴重な建物で、鉄道が地下化されてしまった今、旧台北駅から産業が広がったことを証明する「産業建築物」としての意義もあると保存の必要性を力説した。

(台北駅の北側に残る倉庫跡。数年前までは長距離バスの「台汽」北駅として使われた。歴史建築物指定が解除されてしまい、解体される運命にあるという。三井旧倉庫と共に台湾鉄道台北駅の歴史を証明する建物だが・・・)

三井旧倉庫の向かい南側には台北郵局(郵便局)、ロータリーの中心には北門。西には旧鉄道部の建物がある。また、三井旧倉庫からロータリーをはさんで対角線に伸びる延平南路には整備されて昨年から公開されている撫台街洋楼もある。とにかく、歴史に興味のある人なら歩いているだけで楽しくなること間違いなし。代表的なものだけでも近くには、中山堂、国立台湾博物館、総統府、日本勧業銀行旧ビル、台湾大学付属病院旧館、監察院などなど枚挙に暇がないのだ。その他にも下の写真のように、目立たないが味わい深い建築物や施設があちこちに。台北に来たら、ぜひ台北駅の周りを一日かけてゆっくりと歩いてもらいたいと思う。(U)

(撫台街洋楼。美しく修復され、内部は小型の博物館となっている)

(古跡指定はされていないようだが、日本統治時代に「菅野外科医院」だった建物の前面壁面を残して建て替えたビル)

(台北駅の北にある、もはや見られない旧台北駅を偲ぶ小さな公園。奥にホームと列車があるのがお判りいただけるだろうか)

(日本統治時代の日本勧業銀行はその後、土地銀行として使用された。今年になって国立台湾博物館の別館という位置づけで展示に供されるようになった。写真は公開されている金庫室入り口。中にも入れる!奥に見える厚い金属製のドアにはKunisuye Safe Co.,Ltd.というプレートが付いている)

(駅の近くの歩道に立っていた、台北駅の南側付近の地図。赤いお城のような印が古跡指定されているもの。なんとこの範囲だけで19箇所!左上にロータリーが見える。右上の大きな四角形が今の台北駅) 



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