原題: THE JOURNALS OF MUSAN
監督: パク・ジョンボム
出演: パク・ジョンボム 、チン・ヨンウク 、カン・ウンジン
観賞劇場: シアターイメージフォーラム
公式サイトはこちら。
「製作・監督・脚本・主演の1人4役を務めたのは、名匠イ・チャンドン監督の助監督を経て、本作で長編デビューした若き才能、パク・ジョンボム」(公式サイトより)、予告も密度濃そうな内容ということで、全て1人でこなした作品というのも気になって行って来ました。
主人公スンチョルのモデルとなったのは実際に脱北して来たものの早世した監督の友人、そしてそのスンチョルを演じるのも監督自身であるだけに、役作りには友人の思い出や監督の想いも強く反映されているように感じる。
脱北者には様々な困難が降りかかる。
脱北してもなお続く韓国社会からの差別に加え(登録番号でわかってしまう)、脱北者内の人間関係のいざこざや搾取、そしてヒエラルキーに苦しめられる現実。
仕事は安定せず、いつまで経っても暮らしは楽にはならず、交流の機会もないため友人もできないスンチョル。 砂を噛む生活の中で唯一の癒しが教会であり、そこで歌うスギョンだった。 そして街で拾った白い犬・ペックを飼い始める。
どんなに脱北者として見下げられても自分の誇りを失いたくはない。 そんなスンチョルの生きる姿勢はあまりにも清貧過ぎて彼を追い詰めて行ってはいなかっただろうか。
絶対に変えなかった髪型、仕事に対しての責任感、そしてペックを守る気持ち。 自分は筋を通したい、真面目に生きたい、普通に生きたい。 彼の願いはたったそれだけではなかったのか。
そしてある依頼をきっかけにスンチョルの中の何かが変わった。 それはもうこれ以上自分自身を利用されたくはないというプライドだったのだろう。 何故自分だけが貧乏くじを引く? 何も好き好んでそんな立場に回ることはない。
こだわっていた過去を捨て、大切だったものを失ったスンチョルは、好い人をやめ世知辛い現実を取ったのだろうか。 ラストシーンの長い長い視線の先に見たもの、そしてそのあとのスンチョルの行動から、全てを反転させてスンチョルは生きて行こうとしていると読みとることができる。
いくら讃美歌を歌ったとしても、心まで清めて生き切れるのかと問われれば、それは別の問題としか考えられないに違いない。 そんな綺麗事を言っていては手に入るものだって逃げて行く。
この複雑な心境、特に人間の逃れられない煩悩や、業というものについて、説明もなしに短いシーンで的確に描ききっているのが実に見事。
脱北者を描いた作品としては『クロッシング』もあるが、『クロッシング』が脱北の惨さを描いたのに対し、本作は脱北後に脱北者が現実として直面する問題を抉り出している。 各国の映画祭でも話題になりクローズアップされることは、監督が友に対してしてあげられる供養のようなものかもしれない。 渾身の作品。
★★★★☆ 4.5/5点
監督はスンチョルになり切る事で、改めて彼の抱えていたものの重さを感じ、葛藤したのでしょう。
さすがイ・チャンドンが認めた作家です。
見事なデビュー作でした。
見事なデビュー作ではありますが、これがたぶん彼の原点なだけに、次回作の真価が問われるところかもとは思いました。
しかも上映は今日までとは、残念です。
メディアであまり取り上げられることもなかったように思いますが、rose_chocolatさんがおっしゃる通り「渾身の作品」でした。
これから全国で順次公開されるようですが、多くの方に観ていただきたい作品ですね。
イメフォって割とロングランなんで、すぐ行かなくてもいいやって思うこともあるんですが、これは見逃したら大変でした。時間がある時に行っておいてよかった。
私が観賞した回は平日でもそんなに不入りでもなかったと思うんですけどね。これ観ている人が少なくて、もっと大勢の方に観ていただきたい作品です。
監督の想いがひしひしと伝わるんですよね。
あまり北朝鮮ということを感じなかったんです。
日本は、戦後、
その考え方、生き方が180度変わったということがよく言われますが、
それは国に限らず、もともと人間ってそんなものかな…と。
どんな社会でも、順応できる人とできない人がいる。
そこに付けいる暗い罠…。
これは普遍的な投げかけをした映画という気がしました。
むしろ生き方自体を問うていたと思います。
どこまで人は真摯になれるのか、ボーダーはどこなのか、スンチョルはもうこれ以上はできないという線引きを見せてくれました。