昨年、第23回東京国際映画祭にて鑑賞した時の感動が忘れられずに、今もずーっと心に残る作品。
ようやく今週末、12月17日より一般公開となります。
まるで自分のことのように嬉しくて仕方がないのです。
そのサラに、ジュリアに、早く逢いたくて、試写会に行って来ました。
試写状の切手欄に何気に鍵が描いてあるね。
※今回ネタばれ気味です。 ここから先を読まれる方はそこをご理解の上、自己責任でお願いします。
昨年も感じたことなんですが、とにかくこの映画、過去と現在との切り替えが上手い。
原作本もそうなんですが(読めばどうしてそうなのかがわかります)、仰々しくヴェルディヴの悲劇や、サラの人生ばかりを強調する訳ではなく、ジュリアとの接点を自然につなげようとする試みが成功している。
過去と現在のコラボレーションほど難しいものもなく、どちらかに力点がかかってしまうものなんですが、本作、その作業を難なくやり遂げているようなスムーズな流れを感じる。
最も事の重大さから勘案すれば、それはサラの体験の方が現代のあれやこれやよりもずっとずっと過酷なはずというのは言わずもがなではあるが、そこと釣り合いを取るべくジュリアの自己への問いかけにじっくりと時間を割いている。
原作もそうなんですが、この膨大な情報を取捨選択して映画化することはきっと大変な作業だったに違いなく、ともすれば細部を説明し出すと軽く3時間超える内容なだけにどこを取ってどこをカットするか、そしてカットしたとしてもニュアンスが観客に伝わるようにするのはどうしたらいいか。 そこの部分がきちんと解決できている。
ジュリアとベルトランとの間にある複雑な関係、ジュリアがテザック家に対して持つ長年の葛藤、ジュリアの仕事に対しての向き合い方・・・。 どれもこれも、有職既婚女性なら身につまされる話なだけに、じっくりと映像になったらどんなにか溜飲を下げることができるのだろうとあれやこれや想像しつつも、そこを映画にしてしまったらそれはそれで抑揚に欠けることも十分考えられるだけに、シンプルにサラとジュリアをなぞってインパクトを出す構成力には素直に賛成する。
2回目鑑賞ということで自ずと視点も違ってくる訳なんですが、今回最も印象に残ったのはサラの心情でした。
サラは自分が経験した事の重みに耐えられなくなってしまったのでしょう。
生きることに本能的に従ったサラ。 しかし、自分が生きてしまったことへの深い後悔の念は強く彼女を苛んでいたのだろう。
映像ではメリュシーヌ・マイヤンスちゃんが絶妙に演じた美少女サラが、成長と共に「秘密主義で野性的に」なったのも、自分の判断によって犠牲になった事に対して常に贖罪の気持ちを持ち、また忘れたいと願っていたのではないだろうか。
しかし忘れようとしてもそれは無理な話で、だからこそ彼女は全てを捨て新天地に向かう。 けれども断ち切れない記憶の前にはなす術もなく。
ホロコーストを生き残った方たちが多くを語りたがらないのも当然のことのように思える。 彼らにとっては生きることそのものが幸せとは思えないのかもしれないから。
サラとジュリアの間にある接点。
そして単に取材として追いかけたジュリアにとって、自分とサラとの接点が明らかになるにつれて、当然としてそれは捨て置けぬ事象となっていく。 しかし寝た子を起こすことに反対な人物も常に存在するのが世の常であるから、「知ること」が果たして必要なのかという問いかけもあっただろう。
しかしながら「知っていくこと」は今の事情を確実に変化させていくことに繋がっている以上、踏み出した一歩からはもう戻れない。 サラもジュリアも恐らくはそうだった。 そして向かった先を謝絶したサラへの償いの意味も込めて、人生を変えていったジュリアの選択に、私たちは深く共感を覚えるのかもしれない。 ラストシーンの涙に彼女たちの人生の融合を感じ取りながら。
結構分厚いのですが、読み始めるともう夢中になってしまいます。
それだけ読ませるものがあったし、また映画にも惹きこまれました。思い出に残る作品です。
映画を観ながら小説を感じる作品、って。
小説が原作なのだから当たり前だけれど、
これを小説ではどう描いてあるのだろうと興味がわきます。
(たぶん、小説を読むことはないと思うんですが)
過去と現在を上手く繋げ、別々であるはずのお話が繋がり、不特定多数の人たちをも繋げてゆく気がします。
いい作品に出会えてよかったです。
どうして見ず知らずの人にとことん付き合いたくなるのか。 理由はわからないけどとにかく気になる。 そこにちゃんと縁もあったということで、目に見えない運命の糸というお話でしたね。
周辺の人たちが感じた「痛み」は、そのままサラの痛みでもある訳ですから。
TIFFは結局毎年横目で眺めてるだけですが、この作品が話題を呼んでたのは覚えてます。しかしいつもあの数行の紹介だけで「これは傑作に違いない!」と目星をつけられる人たちはすごいと思いますね
サラについて調べていくうちに、どんどんサラのことが他人とは思えなくなっていくジュリア。あのアパートという接点があったからなんでしょうけど、それだけではない、健気な少女に対しての純粋な関心もあったと思います
時代も住んでる場所も遠く離れた人のことをそんな風に身近に感じられるのが、映画や歴史を学ぶことの素晴らしいところだと思います。時に痛みを伴うことがあってもね(いつになくマジメに・・・)
すごく心に残る作品でしたね。 私もまた観てみたいです。 それくらいいいかも。
またよろしくお願いいたします。
2回も見られたんですね~。私ももう1回行けたら行こうと思っています。また、よろしくおねがいします~。
あとでコメントお邪魔しますね。
>話の展開に引っかかるところがないんです
これだけ重くてスパンがあるのに、ちっともそれを感じさせない部分が秀作でした。
長い時間軸だとともするとダレてしまうんですけど、それがない作品には滅多にお目にかかれません。
『灼熱・・』はたぶん来年観ますけど、何となくそんな感じなんですね。 参考にします。
PCに向かうけど、さて何から書こうかなと。 それだけいろいろ考えるところもある作品だと思うけど、migちゃんもいろいろ感じる所があったというのは私も嬉しいよ~。
この原作は結構工夫されてるんですよね。 訳も上手いです。 今度またお話しましょう!
とらねこさんの感想はいつもピシっとしてて素晴らしいもん。 今年ベスト級とは私も嬉しい~ (*^_^*)
私も今考えてて、去年に引き続きこれ今年も入れちゃおうかなと。
>これだけの長い時間軸の物語をつなげながら、少しも退屈させない
そうなんですよね。
映画ってただ素晴らしい事実だけじゃいけなくて、
適当な尺の中でちゃんと必要な情報があって、
それでいてその中から何かつかむものがないといけない。
この映画ってその条件を全て満たしていたように思いました。
私なんてやっつけ記事の時はそりゃそりゃすごいもんです (^_^;)
心奪われちゃったらもうそっちに心が行っちゃうよね? わかります~。 もうmaru♪ちゃんは今年の映画は1本あればそれでいい! って感じじゃない??? 素晴らしいですー。
アウシュビッツに行かれたならなおさら胸に迫るものってあるんでしょうね。
命を脅かされること以上の恐怖って人間にはないから。
その重いテーマをさらりと、しかしながら必要な部分をちゃんと描いてました。
そこが上手かったです。
確か去年ご一緒の回でしたよね。 Cartoucheさんも去年の感動が忘れられませんよね?
私の周りでも去年観た方は全員絶賛です。
そのくらい重たかったけど、価値ある1本でした。
>“知ること”が果たして幸せなのかどうかは本人の受け止め方次第
そうだよね。 いろいろなことを知らないで死んでいく人はたくさんいます。
知ったら人生変わったって人もたくさんいる。 ジュリアはそっちの側。 だけど知ってしまったらもう後には戻れないんですよね。
知るのか知らないのか。 ここでもう運命が分かれてるような気がします。
結果…良かったです!
ほんとうに話の展開に引っかかるところがないんですよ。翌日「灼熱の魂」を観て、現在と過去の両方を描く、似たようなパターンだったのですが、「灼熱…」のほうは作りが荒いというか…単に好みの問題かもしれませんが。
過去と現在、どちらも同様に丁寧に描いているバランスの良さも素晴らしいです。
やっと書きましたわ~
roseさんの想いすごい伝わるレビューだね~
2度も観たなんて。
時間なくてやっつけレビューみたいになったけど
惹き込まれる物語でしたね。
原作読まれた感想、次ぎ会ったとき聞きたいな。
今年ベスト級の作品になりました。早く見たいとずっと思っていたんですが、roseさんのおかげで少し早めに見ることが出来たのもすごくありがたかったです。
これだけの長い時間軸の物語をつなげながら、少しも退屈させない辺り、本当roseさんのおっしゃるように、構成力と取捨選択の賜物ですよね。
本当に素晴らしい作品でした。
でも、今ホントに心奪われてしまっているモノがあって、全然集中できなくて(笑)
アウシュビッツに行ってしまった者としては、ユダヤ人虐殺はとても辛いです。
この映画はその辺りのことをきちんと描きつつ、2人の女性の人生に焦点を当てたことで、
見ている側が重くなり過ぎないのが良かったです。
クリスティン・スコット・トーマス良かったですね!
その気持ちわかります。私も再見するつもりです。そうそう。限りある時間で表現するにはどこを切り取るかが重要。そして現代とサラとの切り替え方、つなげ方も見事でした。TBさせてくださいね。
あっ、ホントだ、鍵が書いてあるね。
粋なデザインですね。
人生には知らなきゃ良かった事もあると思うので
“知ること”が果たして幸せなのかどうかは本人の受け止め方次第なのかもしれないけど、
事実は変えられないし、
遅かれ早かれいずれは知らなければいけない時がめぐってくるのが
人生であり宿命のような気もしました。