
読書 『聞き屋与平ー江戸夜噺草』(宇江佐真理 集英社 2006年5月)
最近の時代小説の書き手というと、『冬の標』の乙川優三郎、そしてもちろん山本一力などが活躍している。また葉室麟、それに女流では「みおつくし料理帖」シリーズを出している高田郁などなど結構賑やかである。そういう中で、宇江佐真理の名前は知らないでもなかったが、今まで手にしてことはなかった。それが、このタイトルに惹かれて、つい買ってしまった。この本は、連作短編集である。
”お話、聞きます”
舞台は両国広小路、日中は賑やかだが、日暮れには閑散とする。夜が更ける頃、米沢町の黒板塀の通用口がひっそりと開く。物語の出だしの描写が秀逸。読むものの心を惹きつける。
”通用口から男が一人現れる。男は着物の上に、黒い被布を重ね、深編笠をかぶっている。・・・・・男は手慣れた様子で、置き行灯をのせた机と、藍染の小さいざぶとんをのせた腰掛けを通りに出した。腰掛けは二つ。一つは男が使い、もうひとつは客のものだ。・・・・。女房は火鉢を置くと、鉄瓶と茶の道具、煙草盆を差し出す。深編笠が肯くように前後に揺れた。・・・・。
「いったい、あんたは何屋さん?」見兼ねて訊ねるものに、「はい、ここに書いてあります通り、人の話を聞く聞き屋でございます」と男はいんぎんに応える。男は毎月の五と十のつく日に、そうして通りに出ている。問わず語り。そうそんな感じである。それでも、ぽつりぽつりと男の前に座る者はいた。・・・
「聞き屋]。いつか奇妙な男の商売は両国広小路の陰の名物となっていた。男の名は与平。薬種屋「仁寿堂」の十代目の主だった。三年前に息子に家督を譲り、今は隠居の身であった。”
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
どうです。いいイントロでしょう? 阿川佐和子の『聞く力』ではありませんが、男の前に座る人々は、いつしか引きこまれ、胸の中をさらけだします。一膳めし屋で働き、幼い弟妹の面倒をみている娘、岡場所の夜鷹、あるときはドクダミの匂いを嗅ぎ、田島家の小僧の話を聞く。付け火をした訳ありの髪結いの男からは重い話を聞く。江戸詰めの武士も座る。などなど。
薬種屋の十代目の主とし仁寿堂を発展させたが、五十歳になって隠居した。しかし、毎日何もすることがない無為の日々が普通になった。そんなある日、深川永代寺の雑踏中で、お参りにきた初老の女が、「家にばかりいると、嫁に邪魔されるんです。いえね、嫁が気に入らないという訳じゃないんですよ。わたいは、話を聞いてくれるだけでいいんだから・・・」と話しているのを聞き、”世の中に自分の話を聞いてもらいたい人間が思はぬほどいるのだと気づいた。” 黙って話を聞く、それなら自分にできそうな気がした。”
様々な人間が座る。伽羅の香りがする紫のお高祖頭巾もいた。それらの様々な人間関係が赤裸々に語られる。そして与平にも墓場まで持っていく積りのことがあった。・・・
(女房のおせきが客になる)
ある年の暮れ、与平が疲れを覚えるようになっていた頃、女房のおせきが、「あたしが聞き屋の客になりますよ」と、悪戯っぽい顔でいった。おせきの語る話とは・・・・?
”与平が亡くなってからも、仁寿堂の裏手には、毎月五と十のつく日は机が出され、置き行灯が微かな光を放っていた。黒いお高祖頭巾を被った女が、その前にひっそり座っている。”
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
エンディングもいいですね。このような人情話のような物語を読んでいると、ついつい引きこまれてゆきます。たまには時代小説もいいものです。山本周五郎の本など、その中には人生を生きてゆく上での知恵のようなもの、心慰められるものなど一杯詰まっています。書店に積まれているようなハウツウ本など読むより、こちらのほうがよっぽどいいと思いますが、如何でしょうか。
余談になりますが、この作者が山本周五郎の著作やその人となりなどを深く研究し、その上で小説を書かれたら、さらに一層の飛躍を遂げることになるでしょう。
最近の時代小説の書き手というと、『冬の標』の乙川優三郎、そしてもちろん山本一力などが活躍している。また葉室麟、それに女流では「みおつくし料理帖」シリーズを出している高田郁などなど結構賑やかである。そういう中で、宇江佐真理の名前は知らないでもなかったが、今まで手にしてことはなかった。それが、このタイトルに惹かれて、つい買ってしまった。この本は、連作短編集である。
”お話、聞きます”
舞台は両国広小路、日中は賑やかだが、日暮れには閑散とする。夜が更ける頃、米沢町の黒板塀の通用口がひっそりと開く。物語の出だしの描写が秀逸。読むものの心を惹きつける。
”通用口から男が一人現れる。男は着物の上に、黒い被布を重ね、深編笠をかぶっている。・・・・・男は手慣れた様子で、置き行灯をのせた机と、藍染の小さいざぶとんをのせた腰掛けを通りに出した。腰掛けは二つ。一つは男が使い、もうひとつは客のものだ。・・・・。女房は火鉢を置くと、鉄瓶と茶の道具、煙草盆を差し出す。深編笠が肯くように前後に揺れた。・・・・。
「いったい、あんたは何屋さん?」見兼ねて訊ねるものに、「はい、ここに書いてあります通り、人の話を聞く聞き屋でございます」と男はいんぎんに応える。男は毎月の五と十のつく日に、そうして通りに出ている。問わず語り。そうそんな感じである。それでも、ぽつりぽつりと男の前に座る者はいた。・・・
「聞き屋]。いつか奇妙な男の商売は両国広小路の陰の名物となっていた。男の名は与平。薬種屋「仁寿堂」の十代目の主だった。三年前に息子に家督を譲り、今は隠居の身であった。”
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
どうです。いいイントロでしょう? 阿川佐和子の『聞く力』ではありませんが、男の前に座る人々は、いつしか引きこまれ、胸の中をさらけだします。一膳めし屋で働き、幼い弟妹の面倒をみている娘、岡場所の夜鷹、あるときはドクダミの匂いを嗅ぎ、田島家の小僧の話を聞く。付け火をした訳ありの髪結いの男からは重い話を聞く。江戸詰めの武士も座る。などなど。
薬種屋の十代目の主とし仁寿堂を発展させたが、五十歳になって隠居した。しかし、毎日何もすることがない無為の日々が普通になった。そんなある日、深川永代寺の雑踏中で、お参りにきた初老の女が、「家にばかりいると、嫁に邪魔されるんです。いえね、嫁が気に入らないという訳じゃないんですよ。わたいは、話を聞いてくれるだけでいいんだから・・・」と話しているのを聞き、”世の中に自分の話を聞いてもらいたい人間が思はぬほどいるのだと気づいた。” 黙って話を聞く、それなら自分にできそうな気がした。”
様々な人間が座る。伽羅の香りがする紫のお高祖頭巾もいた。それらの様々な人間関係が赤裸々に語られる。そして与平にも墓場まで持っていく積りのことがあった。・・・
(女房のおせきが客になる)
ある年の暮れ、与平が疲れを覚えるようになっていた頃、女房のおせきが、「あたしが聞き屋の客になりますよ」と、悪戯っぽい顔でいった。おせきの語る話とは・・・・?
”与平が亡くなってからも、仁寿堂の裏手には、毎月五と十のつく日は机が出され、置き行灯が微かな光を放っていた。黒いお高祖頭巾を被った女が、その前にひっそり座っている。”
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
エンディングもいいですね。このような人情話のような物語を読んでいると、ついつい引きこまれてゆきます。たまには時代小説もいいものです。山本周五郎の本など、その中には人生を生きてゆく上での知恵のようなもの、心慰められるものなど一杯詰まっています。書店に積まれているようなハウツウ本など読むより、こちらのほうがよっぽどいいと思いますが、如何でしょうか。
余談になりますが、この作者が山本周五郎の著作やその人となりなどを深く研究し、その上で小説を書かれたら、さらに一層の飛躍を遂げることになるでしょう。
設定されたその時代の 人々の考え方とか身の処し方を下敷きに書かれたのでは無く、設えが現代そのものの様に思えるのです。 お上がこういう渡世を認めるか等と考えてしまうと本の値打ちが判らなくなります 不幸な事です。
なかなか面白い話ですね。時代が変わっても人の世の悩みは尽きぬ。江戸時代もいやもっと大昔から今の世まで巷の悩み事は常にあった。そう思うとこの小説がより理解しやすいように思われる。機会があれば読んで見たいとも思う。
お読みいただき、恐縮です。ご指摘のように、現代の問題を描いたのかもしれません。なにせ、人間数千年たっても本質的なところで、変化してません。いつの世も、”今どきの若いやつは・・”なんて言っていますものね。 話は、それますが、時代小説の魅力ってなんでしょうね。 ああ、ご紹介いただいた『三十ふりそで』読みました。周五郎の短編は、味わいがあります。ありがとうございました。
お立ち寄りいただき、ありがとうございました。たまには時代小説もいいものですよ。本編の主人公のように、こんな役を一度やってみたいもんです。人は、本当に話を聞いて欲しいんですよね。ラジオ深夜便など、たまに聞くと多くの人が、メッセージを送ってきています。話したいんですよ。いつか家のポストにチラシが入っていて、”電話でお話をうかがいます・・”と書いてありました。無償のボランティアだと思ったのですが、よく見ると有償、30分で二千円か三千円か。数字は忘れましたが、腹がたちました。