飛鉄(HITETSU)

飛行機、鉄道などの撮影のあれこれを綴っています。

SG50 A380

2015-09-13 07:00:00 | 日記
カシオペを撮影後、そのままドクターYにいくはずだった。 しかし午後から雨模様の予報。車でないので、濡れながら撮影 する程の事もないと思っていたら、友人H氏より、本日のSQは SCの380が飛来しているという。時間もいい塩梅で、日暮里から スカイライナーの人になった。 初めてスカイライナーに乗ったが、ふれこみ通りの速さで、43分後には 成田空港の人になっていた。NEXような方々からの集客列車のような 特徴はないが、日暮里から最短36分はどうも魅力らしい。 聞くところでは、一人勝ちらしい。 値段も時間も軍配はスカイライナーようだ。 さて本題。天気が悪いにもかかわらずデッキは満員状態だった。 ちょうど成田は出発ラッシュの時間長蛇の列は健在だった。 それにしても、バニラとかジェットスターまでわざわざAラン から上げることはないのではと思った。どういう運用なのか 不思議だ。原則上がりAでおりBだとは思うけど。 本当に臨機応変という言葉を知らないのだろうか。 さてSQのスペマ、以前の747時代に比べたらまだ おとなしい感じのマーキングだ。 どっちかというと、SQよりスカイライナーに感動した 方がインパクトが強かった。 9V-SKI Singapore AirlinesAirbus A380-841 as SQ637. SG50 specialcolor RJAA 06/SEP/2016.

トセイなき後を行く

2015-09-12 07:00:00 | 日記
北斗星が運行を終了して初めての撮影。
9月になって青釜の休車説があったが、9月になって
青釜の登板となっている。休車説の真偽は定かでないが、
もはやカシしか運用はないわけで、銀2両でもことはたりる。
2両故障でも81代走でもいいだろう。
いずれにしても青は早々に離脱しても不思議はない。
そして貨物に移籍しても不思議はない。
どうも510は軸重が81などより重く一部線区への
入線が出来ないようだ。それゆえ、本来なら81を
淘汰して510を残すのが普通だが、510は売却と
なるようだ。
諸説あっても青釜の登板はもはやカシしかないわけで
つべこべいわず黙って撮影しておくのが賢明という
ものだろう。

8010レ EF510513(田) 東十条 鶯谷 2015年9月6日

金太郎901その後

2015-09-11 07:00:00 | 日記
海峡線で捕らえて以来どこに行っているのかと思いきや
運用を粛々とこなしていた。
至って普通の釜に混じって分け隔ては無い感じだ。
曇りだったが、用事ついでに撮影した。
そして2年ぶりぐらいに安中貨物での撮影となった。
下見がてら目星をつけていた場所は、例によって草ぼうぼうで
小雨も降っていた、とんでもない場所だった。
撮影位置ももう少し後ろだった。
通過間際の撮影で、こんなカットに甘んじた。
余分な草もかわせなかった。
こんなカットならここでなくてもよかった気がする。

2083レ 大宮~宮原 2015年8月29日

5094レ 土浦~荒川沖 2015年8月30日

復活金太郎901号

2015-09-10 07:00:00 | 日記
廃車だと噂が流れていたが、なんと海峡線でその姿を捕らえることができた。 撮影は2年ぶりぐらだった。前回は安中貨物に入った時だ。 どうもその後も粛々と運用をこなしているようで、廃車説はどうも ガセだった感じだ。 EH500-901(仙) 3087? 2015年8月22日 津軽今別~知内信号場

札幌駅で

2015-09-09 07:00:00 | 日記
北斗星の上り最終の撮影後、同日に東京へ帰れないことで、 その日は札幌を目指した。上りはまなすの撮影をちょっくら 見てみようかと思っていた。 駅前の駐車場を探すのはいやなので、苗穂駅前のパーキングに とめて電車で札幌駅に向かった。 北斗星フィーバーも終わったし、まさかの警備などは なかろうという目論見もあったが、事前調査で入線時に回送キハと 被ることがわかっていたし、増結しているので先頭はホーム 位置いっぱいを想定していた。結果はどちらも漏れなく そのとおりの結果だった。 夏休みということもあったが、それなりの人手でだった。 いろんな唯一のはまなす、唯一の急行、唯一の14系客車などなど 純潔寝台でないのでブルートレインの称号を付与できないが、 もう日本で最後の定期の青い客車列車であることは 間違いない。今回延命はされたが、新幹線開業で恐らく終了となる ことだろう。余命はいくばくもない。 202レ DD511095(函) 2015年8月22日 札幌

お初です。

2015-09-08 07:00:00 | 日記
北斗星の最終列車を見送ってその日の便で北海道を出れば 本州で、EF510の最終も撮影できたが、マイルで来ていた 関係でもう同日東京に戻る便が確保できなかった。 頼みの綱のLCCも結構な価格設定の日で、大枚を払ってまで EF510の最終列車の撮影に欲が勝てなかった。 ならば、1泊して、DD51のはまなすを撮影してから帰ることに。 もう非電化区間は厳しいので電化区間で撮影することに。 夜明け間際に行ってみると殆どいなかったが、明るくなって きたらどんどん増えてなんだかんだで通過時に10名には なっていた。地元民がみんな北斗星流れだなと言っていた。 かくいう私もその一人でした。 いくらでも長いレンズが使えそうな場所だった。 ピーカンだと影が出るので曇りの日がベストのようだ。 本ちゃん前に貨物が3本も来て非常に効率がよかった。 DD51のはまなすは今更ながらお初でした。 11両の長い編成も今だけだろうから撮影できてよかったと思う。 そしてこの列車撮影3時間後には、ブルートレインの歴史が幕を下ろした。 201レ DD511148(函) 北広島~島本 2015年8月23日

ブルートレイン フォーエバー

2015-09-07 07:00:00 | 日記
夜行列車の歴史は相当長いが、ブルートレインの歴史は、20系あさかぜが 登場してからとなり約60年である。 私が少年の頃は、ブルートレインブーム真っ盛りで、夕方の東京駅からは 15分おきに九州へ向けてEF65500が牽引するブルートレインが 出発して行った。機関車よりも青い客車エンドばかり撮影していたものだ。 EF58牽引のブルートレインもあったが、ヘッドマークがなく、 殆ど目を向けることはなかった。今となってはもったいない話だ。 さて、改めてブルトレの魅力を考えてみると、なんといっても 牽引機関車のバラエティ度にある。電車やDCではそういうことはないので、 どこで撮影しても大差はないが、ブルトレは客車ゆえ、その土地土地での 牽引機が変わることで、出発地点とは違った雰囲気がそれぞれにあって より一層の魅力を引き立てる。 また、昼間はほとんど走行しないので、朝夕の限られた時間でしか 撮影できず、その限られた光線で四苦八苦しながら撮影するという 難関度も撮影者を意欲をかきたてられる被写体だったのではないかと思う。 私がはまったのは紛れも無く前者の理由だった。 そして思いを入れて撮影したブルートレインがゆうづるだった。 ブルートレインというよりED75牽引機がメインだったが、カシオペア のような銀の車体だったらそれほど撮影にいかなかったかもしれない、 客車が青い車体だったからだろう。 さて、話は最終上り北斗星へ。昨日下見していた場所は、残念ながら 警備により立ち退きとなってしまった。昨日は撮影できたのに。 北斗星ともなると相変わらずこういう状態があちこちである。 撮影できなかったという落ちは絶対に避けたいので、仕方なく 黄金に向かった。100人とも噂されていたが、思いのほか人も 少なく、なんとか場所を確保できた。以外に黄金などは無理だろう と思ってこない人が多かったのかもしれない。 自分としては本意の場所でなかったが、これで撮影は確保され 一安心だった。何よりここで北斗星を撮影するのはお初だった。 そして最後だった。そしてなにより天気ももってくれて、 輝かしい夕日のまま、最終北斗星の通過を迎えた。 ゆっくりと汽笛を鳴らしながら、北斗星は過ぎていった。 北斗星に限っていえば、初列車も最終列車も北海道で向かえる ことができて、ひとつのけじめとなった。そして 私が撮影する最後のブルートレインだった。 これでもう見ることはできないという実感もなく撮影 場所をあとにした。丸い太陽が丁度沈む時でもあった。 さようなら、ブルートレイン。 ありがとう、ブルートレイン。 8008レ最終北斗星  DD511100+1102 2015年8月22日 黄金

最初もここで、最後もここで

2015-09-06 07:00:00 | 日記
電化区間を終えても雨は一向に止まなかった。 余韻に浸っている場合でなく、DD区間へすぐさま移動する。 気のせいだとは思うが、江差線区間の平行道路でのろのろ の車列が発生していた。おかしいなあと思っていたら なんと先頭にパトカーが走っていた。 そこまでするかなと怒りがこみ上げてきた。 最初からDD区間を2回撮影するつもりはなかったので 高速区間で挽回できたが、やられたりという感じだった。 移動するすること170km。 ここ長和にやってきた。27年前の初列車を撮影した。 そして27年が経ち最後を見送ることとなった。 27年前の撮影場所は小さな障害物が出来たので やや場所を変えて撮影した。 ここは警備もなく私を含めて2名で通過を見送った。 当時から変わったことはDD51が青くなったこと、 撮影機材がデジタルへ移行したことだった。 8007レ(函)DD511138+1100 有珠~長和 2015年8月22日

下り最終電化区間はここで

2015-09-05 07:00:00 | 日記
一夜明けるとしとしとと弱い雨が降っていた。 涙雨なのだろうか、最後の下りED79はここでと 決めていた。前回も来たが、失敗に終わったので 再チャレンジと、なにより人がいないだろうという 前提でここに決めていた。 今更海峡線区間ももはや魅力がないが、ゆうづるの頃から 追いかけたED75そしてその面影を残すD型交流機 牽引のED79は、私の中でのこだわりでもあった。 夜明け前についてみると先客1名であった。 すぐさま場所確保。なんとか撮影の準備を終えた。 雨は止まないまま夜明けを迎える。 夜明け間際に、上りのはまなすがやってきた。 まだ外は暗いが、予行演習開始。 はまなす通過後は上下の金太郎で予行演習を繰り返す。 そして遂にその時はやって来る。 5:45、トンネル出口が明るくなり、列車の接近音が 山間に響く。2つのライトが見えてED79が牽引する 下り最終北斗星が最後の北海道の地を踏んだ。 結果は、前回の8日の時と大差ない出来で終わってしまった。 最後のED79北斗星を納めることができてよかったと思っている。 8007レ ED7920(青函)津軽今別~知内信号場 2015年8月22日 AM5:45

北斗星の最後を迎えるはずだった場所

2015-09-04 06:37:23 | 日記
北斗星の最後の場所はどこでと思っていた。 今更ながらのマルヨ場所取りなどうんざりだったし 訳のわからない最低マナーの集団の一員に混じること などまっぴらごめんだった。 なら人が来ない場所をと探し当てた場所だった。 地元の方2名がきていて、よくこんなことで撮影 しようと思いますねといわれた。どうも彼らは 貨物専門で客車にはあまり興味ないようで そのときも貨物狙いできていたそうだ。 ここ数ヶ月で有名撮影地はゴミだめと化して しまったと嘆いていた。 よくもまああれだけいろんなものを捨てていくもんだと 話されていた。 これも葬式鉄の影響なんだろうと 地元でない私には耳の痛い話であった。 そうこうしているうちに上りカシの時間が接近。 まずは撮影してみた。思いのほか、ほぼ黄金の結果を得て 100人ともいわれる黄金なんぞにはさらさら行くつもり なく、この場所で最後を迎えることに決断し、 この場を離れ一路函館を目指した。 。晴れれば今時期真正面に夕日が当たり 実は黄金以上になる。 後ろの信号機がかなり邪魔だが、あと少し引くと丁度 隠れる構図だ。 9月の今はではもう撮影は無理であろう。 カシオペアもだんだん危うくなってくる。 ここも最初で最後になってしまった。 一回でも撮影できてよかった。赤熊で使わせて もらうことにしよう。 8008レ 2015年8月21日