飛鉄(HITETSU)

飛行機、鉄道などの撮影のあれこれを綴っています。

モノサク 廃線跡

2014-08-31 07:00:00 | 日記
全く知らなかったが、この区間も廃線があったことを
知った。廃線といっても別路線があったわけではなく、
この区間にある台地を貫く今の線の以前は山を迂回する
線路があった。昭和43年に今の新路線になったようだ。
何気にこういう未知のことが身近にあったとは。
写真でもわかるとおり、廃線跡がくっくり判断できる。
また現在の線路は旧線から大きく右にカーブして
いることがわかる。カーブの先は有名なお立ち台
になっている。

総武本線 物井~佐倉 2014年8月30日

最後の撮影

2014-08-29 07:00:00 | 日記
畑田~陶 綾川~滝宮 2014年8月4日 ことでん 琴平線 これで事実上四国訪問を終えた。 予定の半分は台風によっておじゃんになった。 本当に時間に余裕がないとこれないので 折角来たわいいがとんだ旅行になってしまった。 今年は、何故かどこにいっても天候に恵まれない。 唯一雨が振らなかったのは5月の九州だけ。 秋にはもうこういうことがないように祈りたい。 四国の美しい景色を撮影できずに終わって しまったのは、本当に心残りだ。 また時間をみつけて再訪したみたいと 思う。 なにわともあれまずは晴れていないと 何もかもが狂ってしまうとつくづく 痛感した3日間だった。

走りも

2014-08-28 07:00:00 | 日記
折角のなで走りも撮影しておこうかと 場所を探しをするが、なかなかいい感じ の場所がない、特に有名お立ち台も ないようなんで撮影できるところで。 円座~岡本 2014年8月4日

ことでん仏生山車庫

2014-08-27 07:00:00 | 日記
最後に折角なので地方私鉄のことでんをみてから 帰ることにした。 月に一回だけレトロ車両の運転があるが、土日しかなく 平日は0だ。 残念だが、今回は車庫を覗く程度とした。 高松空港から数キロ程度しか離れてない場所にあり 便利な場所だった。 ことでんは、旧京急や京王などのお古が主流となって いる。 京急のようなスピードを求められない今は十分だと思う。 仏生山車庫についてみると、何やら、鉄道ファンの 皆様へなる立看板。ような勝手に危険なエリアに入らないで ください、の注意書きだった。なので私は注意書きどおりで 見れる範囲をみることにした。 1両だけ屋外に置かれていたレトロ電車20系23型 残り3両は庫内のようで見当たらなかった。 東側の庫内の様子 2014年8月4日 ことでん 仏生山車庫

他の車両たちJR四国編

2014-08-26 07:00:00 | 日記
いまや常識になったが、瀬戸大橋が開業してから四国の電化 はどんどん進み、瀬戸内海側は松山まであっという間に電化が 進んだ。いまや気動車天国といわれ四国はもはや遠い過去の 話になった。そしてJRになってからは各社オリジナル形式 の車両が登場しいまや覚えきれないほどだ。 121系通勤型 121系通勤型 112系通勤型 四国特有形式のようで他に2編成あって、黄色と紫色があるようだ。 元はJR東のお古の111系からの改造車 EF652088(新)3075レ 伊予三島行き EF210149(吹)3071レ 高松タ 行き 30年後の貨物列車の姿である。 DF50が歩んだ道を、65がそして、桃太郎が行く・・・・・・ 2014年8月4日 予讃線 鴨川~讃岐府中

3日目にして

2014-08-25 07:00:00 | 日記
瀬戸内海側でも雨は止んでいなかったが、 小雨程度で、今までの豪雨と比べたら遥かに 撮影可能範囲だと思った。 そして高松と本州を結ぶ線と 土讃線は琴平まで、予讃線は松山まで が運転されていた。 これでようやく動いている車両撮影が出来る ことになった。 折角なので、サンライズ瀬戸からスタートした。 もう午後には帰路につかないといけないのに 皮肉なものだ。台風さえなければ、2日もいれば 結構なカットが撮影できていたはずで、 予土3兄弟列車なども撮影していたはずであった。 とりあえずコマ稼ぎもあって、撮影場所は 坂出より東側で撮影開始となった。 東京発のサンライズは無事定刻の運転だった。 JR西日本の223系マリンライナー 同じ車両で青いカラーのものがJR四国5000系。 JR四国8000系 松山方面の特急しおかぜ等に充当 上記編成の高松側の先頭車 2014年8月4日 予讃線 鴨川~讃岐府中

多度津駅

2014-08-24 07:00:00 | 日記
高知にいても何もすることがないので 明日のこともあるので、瀬戸内側へ戻ろうと 考えた。 一番近いのは高速で北上するルートだが なんと途中の大雨で通行止めで今日は開通しない という。ならば一般道で北上するしかないが、 なんとこちらも繁藤、角茂谷界隈で通行止めになって おり、最短ルートで瀬戸内海側にでることは出来なくなって しまった。つまり高知に閉じ込められてしまったという ことになった。 ウロウロしていると道の駅があったのでよってみると 高知から高松に行くには、伊野から北上し西条を経由して 行くルートしか今はないという、それは行きに南下した あの道だった。明日になれば台風が行き過ぎてすべてが 元に戻る保障もなく、夜になってからあの道を通るのは 怖いので、明るいうちに行ける道を行くことを決意、 行ききた伊野~西条ルートに向けて高知を離れた。 案の定、途中は豪雨で、道に沿った仁淀川は以前 警戒ぎりぎりの水位とうねりを呈していた。 なんとか5時間以上かけて多度津についたときには すでに夜になっていた。 西条からは雨の量は極端にすくなっていて、高知の雨が 嘘のような感じだった。それだけ山脈の前後では気候 が違うことをまざまざと今更ながら知らさせた。 多度津名物の跨線橋はいまも健在で、10数年前と かわらずだった。違うのは、編成の短くなった電車しか いないこと、広いヤードが縮小されたことぐらいだ。 同じ位置からかつての風景。架線がなくすっきりしている。1983年3月頃 右側の側線は大幅に削減されていてかつての線路数ではなくなっている。 2014年8月3日 多度津駅

高知駅

2014-08-23 07:00:00 | 日記
高知市内になんとかたどり着いた。 しかし雨の激しさは一向に沈下しない。 ここまで1日半鉄道は殆ど動いていない。 つまり動いている列車を見ていないという 異常な事態のままの時間が経過していた。 特段のターゲットもないのでよかったが、 これが北海道くんだりだと、時間をかけて お金を捨てにきましたっていう笑えない状況だ。 四国だからよかったわけではないが、 しかし四国というところは、瀬戸内海側と 太平洋側の大きな天候の違いを再認識させられた。 とりあえず高知駅に寄って見た。 高知駅はすでに高架化が終わっており、 昔はなかった北口も完成しており 様相は一変しており、昔の運転所があった 場所も全く面影がなかった。 後から知った事だが、高知運転所は 高知駅の高架化にともない、高松寄りの 土佐一宮界隈に2002年に移転していた。 合理化でなくなったと勘違いしていた。 30年の月日が経過するというのはこういう ことなんだと改めて実感させられた。 改札口は封鎖されており、電気も消えて 本日は終日運転はいたしませんの掲示が されていた。よってホームにも上がれなかった。 30年前の地上時代の面影はこちらも微塵もなかった。 高知駅北口 南口 土佐電をパチリ 2014年8月3日

多ノ郷駅 界隈 その3

2014-08-22 07:00:00 | 日記
斗賀野側で撮影したカットがあった。
多ノ郷駅を発車して左にカーブしてゆくあたりだ。
今は線路手前に、高速道路の盛土があり、もうこのカット
と同じ風景は見られない。

斗賀野に向かう空返列車。翌日がウヤなのか空返列車の両数が半分しかない。

MHがないが、恐らく高知から急行になる列車ではないかと思われる。
2両目はキロと思いきやキロくずれのキハである。指定券を持っていると
乗れて、シートはグリーン車のままの座席で人気だったキハ28-5200番台
と思われる。しかもキハ65にサンドイッチされている贅沢な
編成だ。    1981年3月頃 土讃本線 多ノ郷~吾桑

このあと大雨は益々ひどくなってきて、晴れていれば
予土線方面へ転戦するはずが、列車全面運休から断念せざるを得なく
高知へ戻ることにした。途中やはり国道も一部冠水しており
ようくやく高知まで戻ることが出来たが・・・・・

多ノ郷駅 界隈 その2

2014-08-21 07:00:00 | 日記
まずは1981年当時の写真からご覧頂こう。 斗賀野方面を見た風景。 遠くの山以外は広大な田んぼであることが伺える。 土讃線から右側に分かれている線が工場までの専用線だ。 そして現在の同じ場所は、左の保線小屋?ありたまであったホームは なくなっている。そしてなによりも駅南側もロータリーが出来ている。 オレンジ枠の部分が当時専用線用の小さなホームで、 主にタブレットの受け渡しにために使われていた。 みてのとおり面影は微塵もなくなっている。 2005頃までは、このホームのブロック跡があったようだが 今はもうなくなってしまっている。 下の写真は、工場からの空返列車だ。丁度ポイントあたりから撮影したことがわかる。 同じ場所から振り返ると専用線跡地は公園となっている。 当時の専用線は大きく左にカーブしていた。このガードレールの外側が 恐らく跡地だと思われます。 終点はパチンコ店の駐車場になっており、背後には国道と高速道路ができていた。 右奥が多ノ郷駅の公園。 高速道路から先はまったく面影すらなく宅地化されており、 唯一工場手前にあった川を跨ぐ橋げた跡ぐらいしか 確認できなかった。川をご覧いただければわかるが 大雨で水位はほぼ上限値であることがわかる。 右から来て左の工場へ入っていった。 残念ながら当時ここで撮影しておらず比較写真がありません。 消防車のあたりの湖岸のコンクリの色が違っており ここに橋げたあったと伺える。またここに踏切があった。