世間知らず

毎日のやられっぷりを書いていこうかなと・・・

今日の酒

2006-01-25 | 今日の酒
バナナコースト、オリジナルです。

今日はやけ酒だ!

なんのかは聞かないで下さい。
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いただきます

2006-01-25 | 日記
今回のニュースというか記事というか話題はこちらです。

考:「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争

手紙は東京都内の男性から寄せられ、永六輔さん(72)が「びっくりする手紙です」と、次のように紹介した。

 《ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と》

 番組には数十通の反響があり、多くは申し入れに否定的だった。あるリスナーは「私は店で料理を持ってきてもらった時『いただきます』と言うし、支払いの時は『ごちそうさま』と言います。立ち食いそばなど作り手の顔が見える時は気持ちよく、よりおいしくなります」と寄せた。

 一方、母親のような考え方は必ずしも珍しくないことを示す経験談もあった。「食堂で『いただきます』『ごちそうさま』と言ったら、隣のおばさんに『何で』と言われた。『作っている人に感謝している』と答えたら『お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ』と言われた」との内容だ。

 また、申し入れを支持する手紙も数通あった。学校で「いただきます」を言う際、手を合わせることに「宗教的行為だ」、と疑問を投げかける人もいるという。

むしろ『いただきます』を言わないってことに驚くのだけど…おかしいのかしら??

お昼をよく一緒に食べる仲良しの秘書仲間(しかもコンサポ仲間)もいつも『いただきます』って言うし、きょうじゅも。

言わずに食べてしまいそうなとき(飢えてるとき???)も、目の前に座ってる人が手を合わせて『いただきます』って言ってるのを見ると、『あ、いかんいかん、感謝の気持ちを忘れていたぞ!』と反省したりします。

『いただきます』の本来の意味は『命をいただきます』という意味だそうです。鮭の命、海苔の命、米の命。それらの命を『いただいて』自分が生きていけることに対して『いただきます』。

大事なのは『いただきます』を言うか言わないか、とか、そういうことを知ってるか知らない、とかじゃなくて。
その食べ物が自分のところに届いたことに対する感謝の気持ち。
と思います。

『いただける』ことを可能にしたのは『お金』に思えるのは最近の傾向としては仕方ないのかも?
実際、お金がないと食べられないのも事実だし…。

お米の命をいただくこと、いただけること。
そこにどれだけの人の手間がかかっているか。
それをお金で買えることのありがたさ。
そのお金を自分が持っている幸運。

そんなことを何も考えずにご飯を食べられる人はある意味幸せなのかもしれません。
そんなことを何も考えずに素直に『いただきます』を言える人も幸せ。

もしかすると食べ物の価値が下がっているのかもしれません。
簡単に手に入ってしまうものだから。

お金を払っているから言う必要がない、なんて考える人はきっとおごってもらったときに、お金を払ってくれた人にだけ『いただきます』を言って手を合わせるのでしょう。

ネットでみつけた小学生の作文。
『心から「いただきます」』
あの牛たちは、自分の命をわたしたちのためにささげてくれたのだ。その時、かわいそうという気持ちのほかに、「ありがとう。」というお礼の気持ちがわいてきた。わたしは、これまで食べ物のありがたさを知らなかった。ほかの命をいただくという事で、食べるというわたしたちの楽しみや幸せがある事にも気付いていなかった。



今日もごはん、おいしくいただきました。
ごちそうさまでした。

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