ロード・フォー・スズキFISHING

スズキフィッシング道を極めんと苦悩する日々

命を預る

2012-07-26 | 日々の想い
釣りにも行かず、最近一体何をしているのか?と疑問に思う方もおられるだろう

盆栽を始めた話は前にも書いた

その盆栽の数も、今では100鉢を越えている

これだけ暑い日が続くと、朝夕2回は水をやらなければ、即干上がってしまう

盆栽は自宅ではなく、会社の屋上に置いてある

屋上には生前親父が洋ラン栽培で使っていた温室があるので、現在は其処に盆栽が入っている訳だ

毎日の水遣りで何処にも行けない訳ではなく、留守中の為に自動潅水装置を付けたので家を空ける事は一応は可能である

しかし、潅水装置では鉢ごとに水遣りを加減する事が出来ず、盆栽の種類に拠っては過湿状態になってしまうものもあるから、土日の休日も可能な限り会社へ赴き世話をする事になる

盆栽に加えて、最近鈴虫を飼い出したので、その世話の為にも休日も会社へ赴かなければならない



子供の頃、コオロギは庭で捕まえたのを飼った経験はある

流石に鈴虫は庭には居なかったから、捕まえて飼う訳に行かず、竹で作った虫かごに入った鈴虫を親に買って貰い飼っていた記憶が在る

リーン、リーンと言う涼やかな鳴き声をもう一度聞きたい衝動が起こって、早速お得意の通信販売で入手した

どうせ飼育するなら、卵を孵して累代飼育に挑戦しようと、本格的な飼育セットも求め、鈴虫の幼虫を40匹送ってもらった

鈴虫は5月頃孵化し、脱皮を繰り返しながら成長し、8月過ぎ頃から鳴き出して、10月には交尾・産卵して、その一生を終える

孵化したばかりの幼虫は輸送中に死んでしまうから、輸送に耐えうる大きさになる7月中旬頃からなら業者から入手可能となる



着いた頃は未だ5mm程の大きさで、パッと見は小さなゴキブリの如しである

飼育ケースには盆栽でも使う赤玉土を数センチ敷き詰めてあり、その上には炭や朽木、割れた植木鉢を配し、彼らのシェルターを作ってある

餌は魚粉と、野菜類だが、雑食性の彼らはタンパク質を補う餌が無いと共食いしてしまうらしい

野菜類は専ら水分補給で喰うらしい

ケースに入れた土が絶えず湿っているように、時々霧吹きで水をかけよ、但し鈴虫には絶対にかけてはならぬ、と説明を受けた

それならと、昨年家庭菜園で野菜の鉢に水分補給をしていた器具を取り付け、サイフォンと浸透圧の原理で水分補給をおこなっているが、これを使えば常に程好い湿り気が保つ事が出来て大成功である

鈴虫に水が掛かると、それが基で羽根にカビが生える事もあるらしいので、水が掛からぬようにとの事だ

鈴虫といえば、昔はキュウリやナスをやった記憶があるが、それらの野菜はカビ易いので、日持ちがするニンジンやカボチャ・キャベツを与えよとあった

魚粉は写真上の緑色の餌入れで与えているけれど、これも2日も外って置くとカビが生えてくる

現在夏期休暇で5日間留守にする予定なので、この鈴虫の餌をどうするかが悩みの種である

誰か妙案があれば、ご教示願いたい

久々に

2012-07-25 | 消防団
余りに放置し過ぎたので、このブログで使っていたテンプレートから、自動的に初期化された画面に変わっており、久し振りに開いた自分自身がビックリしてしまった

60日以上の放置が続くと、こうなるらしいので、今後は最低でも月一更新を目指します(笑)




一応は「釣りブログ」と自称しているから、釣りに関する記事を書きたいのは山々であるけれど、相変わらず釣りには行けてない

ただ夏期休暇中に、高知でアカメチャレンジ、淡路でのワームDEキス、ルアーDEタコと、勿論スズキ狙いの釣行も、スケジュール表には上がっている

釣りの記事は、どうかそれまでお待ち願いたい




放置期間中の消防団に関する記事を少々綴る

6月には区連合会の研修旅行があった

研修先は富山県の立山カルデラ砂防博物館と、五箇山合掌家屋の防火施設である

カルデラ砂防は、昨年に市連合会の研修でも行った場所なので省略する



合掌家屋の防火施設は、各個の家屋に写真の様な放水銃が設置されており、秋に行われる一斉放水の様子がニュース画像で良く流されるから、ご存知の方も多いと思う

当日は現地の消防団員でもある村の職員さんに案内して貰い、実際に放水する様子も見る事が出来た



この放水銃は消火よりも水幕を作って延焼を防ぐ事が主目的で、世界遺産にも登録されている合掌家屋を火災から護る為に各個に一機ずつ設置してあるとのことである

平素は放水銃がむき出しで置いてある訳ではなく、合掌家屋を模したカバーで覆われており、いざと言う場合には上の写真のように団員がカバーを外して放水する



7月は市連合会の研修旅行にも参加した

研修先は和歌山県の稲むらの火の舘と、三重県那智勝浦町消防団であった

稲むら火の舘は安政年間に起きた大津波の際、濱口梧陵が稲束に火を放ち村民を避難させて難を逃れたことや、その後津波から村を護る為に高さ5m長さ600mの防波堤を築いたことを伝える記念館である

写真は防波堤に建てられた石碑である



昨年9月に近畿地方を襲った台風12号の豪雨で、那智川が氾濫し土石流で大きな被害を蒙った

その際の消防団の活動振りを伺い意見交換して、今尚土石流の爪あとが残る那智川の現地を視察してきた



災害活動で一番不自由したのが、情報の遣り取りが出来なかった事だったそうで、現場の団員との連絡が出来ない事は、3・11の際にも挙げられた反省点であるから、我々もこれから起こる東海・東南海地震までには、解決しておかねばならない問題である




7月21日には、愛知県の消防操法大会(今年は半田市で開催された)に出席してきた

残念ながら、名古屋市は県大会には未だ出場していないのだが、自分の現役中には参加する道筋だけは付けたいと、改めて思った次第である

その為には、クリアすべき難関も多いけれど、一つ一つ地道且つ大胆に行動したいと思っている