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細川家内乱② ×B細川澄元、三好之長

2016-10-30 | 戦国三好一族

1507年(永正4)8/2、Bが家督に就く。
三好之長の専横に、反発する勢力がCのもとに集まる。
対抗する軍事力を持つ周防長門筑前豊前守護・大内義興宅に居候してる、前将軍・足利義材を仲間に加え。
1508年(永正5)3/17、京都を出奔したCは伊賀守護・仁木高長宅に身を寄せ、丹波守護代・内藤貞正&摂津の伊丹元扶と結んで挙兵。
敵だらけになり絶体絶命のBは、4/9、邸に火をかけ甲賀・山中為俊宅へ逃げた。
将軍・足利義澄は、近江岡山城・九里氏のもとへ流寓。
長子・亀王丸を赤松氏に託す。
4月末、堺に上陸した義材が将軍に返り咲き、Cが家督に就く。

なんとか阿波瑞勝城へ逃げ帰ったBは、1511年(永正8)7月、リベンジへGO。
和泉方面へ派した前摂津欠郡守護・細川政賢&和泉守護・細川元常は、深井城の合戦でCの軍勢を破り→中嶋城へ攻めのぼり→8/16、京を落とす。
兵庫灘方面へ派した淡路守護・細川尚春は、芦屋河原の合戦で大敗するも、赤松義村が到着し鷹尾城・瓦林政頼を攻略。
8/24、船岡山の合戦となるも、大内義興に大敗を喫した。

Bは阿波に戻りチャンスを待つ。
1517年(永正14)9月、三好之長は水軍ほしさに淡路守護・細川尚春を攻める。
翌年(永正15)、大内義興が帰国しCの軍事力が低下。
http://d.hatena.ne.jp/rina-chan/20180614 神呪寺
1519年(永正16)10月、BはまたリベンジにGO。
池田久宗が先陣を申し出、下田中城に籠城し緒戦を飾った。
11月、本隊が上陸し、越水城・瓦林政頼を攻める。
Cが池田城に到着するまで持ちこたえたけど、翌年(永正17)1月、手薄になった京で徳政一揆が起こり、家督争いどころじゃなくなる。
押され続けて総崩れとなり、Cは園城寺へ逃げた。
伊丹城で病床にあるBが家督に就く。

復活を期すCは、近江の六角氏、朽木氏、越前の朝倉氏、美濃の土岐氏、丹波の内藤氏と呼応して出陣。
5/5、等持院付近で戦闘開始。
Bは陣頭に立てず、三好之長が奮戦したけど寝返る者が続出し大敗。
翌日、通玄寺に隠れてるのを見つかっちゃった三好一族は、細川尚春の遺子の懇願で刑死。
Bも勝瑞城へなんとか逃げ帰ったものの、病死した。