松ひとり言

谷藤松で御座います。
末永くお付き合いの程よろしくお願い致します。

我が家から徒歩10分で松尾橋・・・渡ると松尾大社

2014年09月30日 12時17分52秒 | 日記

まずは、・・・松尾橋へ、そして阪急松尾大社駅、さらに進んで松尾大社

  

《徒歩3分程で桂川に”三川合流点から15キロ”と言う表示が知らない間に出来ていた、前方に松尾橋が見えて来ました・・暑い

 

《さらに・・5分ぐらいで松尾橋東詰めに到着です・・橋を西に向かって渡ります・・・松尾大社の大きな看板が前方に・鳥居も

 

《阪急嵐山線の踏切を渡りましょう・・・・松尾駅と思ってたら、松尾大社駅に代わっていました、嵐山からの電車を待ってパチリ・・・

 

《可愛らしいと言うか、小さな駅でしょう、振り向けば丁度【大覚寺】行きの市バスが信号待ちをしていました、左へ曲がって行きます》

 

《信号待ちの目の前に、大鳥居と大看板が現れました、・・・・・では鳥居を潜って松尾大社へ・・・・・ここで大社の歴史等を少々・・・》

松尾神社(まつおじんじゃ/まつのおじんじゃ)は「松尾」を社名とする神社・・・・・とあります

全国に松尾神社が有り、ここの松尾大社を総本社としている

松尾大社の荘園であった丹波国、摂津国、越中国、甲斐国、遠江国、伯耆国、豊前国、等に

建立されたり、酒造の守り神として、全国へ勧請された。

明治以降は「官幣大社・松尾神社」と呼ばれていたが、

終戦後は「官幣大社」の称号を用いなくなった事から

他の松尾神社との混同を避けるため「松尾大社」と改称した。

関東地方に2社、中部地方に8社、近畿地方に4社、

中部地方に5社、四国地方に2社、九州地方に2社有る

下の写真は境内を写したもの、クリックで大きくして御覧あれ

         

                   

 

《境内の中に、お酒の資料館がありました、2年前にも山吹を写しに来てるのに、気が付かへんかった樽の椅子でっせ

    

《大鳥居の真下に【松尾交番】があります、可愛らしい≪ミニパトカー≫が横にちょっと恥ずかしげに隠れていました

 

《踏み切りを東側へと渡り、振り返ると、桂駅へ行く電車と・・・・・嵐山へ行く電車が通過していました、ラッキーとパチリ

 

《来た道を東へ戻ります、駅の近辺には草花が・・・環境にいいですね この山、亀の甲羅に見えませんか・・亀山です》

 

《鮎の解禁に関する看板です・・・・・釣りきちは 年券でしょう・・・・》  《五山送り火の 【鳥居】が薄っすらと見えますね

《松尾橋の下の河川敷にコスモスが・・・・・これも気が付きませんでした、まだまだ”しょぼい”ですが、写真の良い所は一部撮り》

     

短時間で廻ってきて、直ぐにブログに入れました・・・・・・

夕方から詩吟の教室へ、貴船に行って来ます・・・・・

何とかそれまでに出来上がりました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


気が付けば・・・稲刈りが終わってました!

2014年09月28日 16時40分25秒 | 日記

昨日の朝、聖教新聞の配達の時(朝の5時半頃)たしか・・・まだ稲穂が?

黄金色に輝き、たわわに実って昨年の分を取り返せたと思っていたのに何時の間に

 

 《昨年9月16日の台風18号で全部水に浸かってしまった稲です、今年は見事に実り、水害もなく豊作でした

 

今朝は代配(日曜日だけ代理の配達員が)の人が配るので休みです・・・

だから日曜日は起きるのが遅いのです、稲が刈ってあるのに気が付いたの

もう、お昼前でした・・・何時の間に・・・稲刈りの音がしていたはずやのに

 

《昨年水に浸かった半地下から、9月14日に撮影・・・・・2週間後の今日9月28日、見事に刈られておりましたのでカメラを》

 

《昨日・・・・・何で気がつかへんかったんやろこんなに見事に刈ったんやったら・・音がしてましたで(他人事か)》

 

《直ぐに、屋上に上がって撮りました・・最初の水没と比較して下さい こちらは二階からです・・刈入れできて良かったね》

《ミレーの名作中の名作≪落穂拾い≫です京都の岡崎美術館で見た時の事が鮮明に残っています》

 

《鳩が≪落穂拾い≫をしていました・・・・・ミレーの方は生活観が漂っていますが、・・・こちらはのんびりと》

 


~妻は病床に臥し児は飢えに泣く~梅田雲浜の墓へ

2014年09月26日 19時12分46秒 | 日記

タイトルの~妻は病床に・・・・・~は小浜の人、梅田雲浜(うめだうんぴん)の作

幕末の、あの安政の大獄で第一番に捕らえられた人です

詩吟を志しているか、幕末に興味のある人はご存知のはず

妻は病床に臥し児は飢えに泣く       妻は病の床に横たわり我が子はひもじさに泣いている

身を挺して直ちに戎夷に当らんと欲す   別れは忍びぬが、国の為この身を投げ出し外夷を打つ払う

今朝死別と生別と                今朝の別れは死別になるか、生別になるか

唯皇天后土の知る有り             ただ天地の神々だけが、知りたもうところである

誠に悲しくって、遣り切れない詩ではありませんか

作者、梅田雲浜は若狭小浜の人、この詩の背景は・・・・・

安政元年(1854)9月、ロシア艦隊が大阪湾に侵入すると聞き

十津川の郷士たちと此れを襲撃する為、病床の妻子と別れます

後の事を、鳩居堂、熊谷氏に託し一人家を出る・・・・・

このときの心境を詠んだのが、この七言絶句であります

しかし大阪に着くと、ロシア艦隊はすでに去っており、

京都に戻ってはくるが、家庭の生活は悲惨を極め、翌年3月・・・

病床の妻は亡くなり、その翌年長男も5歳で亡くなっている

その後、雲浜は一層国事に奔走し、梁川星巌、頼三樹三郎らと、

青蓮院の宮を通じて、尊皇攘夷の過激な運動に身を挺していく

そして安政5年の秋、京都にて病に臥しているところを逮捕され

江戸に護送、翌年9月14日牢内にて病死、享年45才であった

前回のブログに舞鶴の赤レンガ倉庫群を載せましたが・・・実は

その前に小浜へ魚を買いに行っていたのです、・・・

1年に2回ほど「バカ家族三人組」で小浜へ行っているのですが

今回初めて、【梅田雲浜の墓】の表示に出会ったのです、それが

 

 

 

 

《雲浜の墓には偶然に出会ったのですが、京都市内にも雲浜に関する場所があります、二ヶ所ありまして、東京にも墓があるそうです》

  

《数少ない梅田雲浜の肖像画です・・・・京都烏丸御池上がるに寓居跡の碑が建っている・・・こちらは東山の霊山にある石碑です》

皆さん・・・・・奥さんや子供さんには、愛情を・・・そして大切にね

でも昨今は、大切にされてないのは・・・・・旦那さまかもしれませんね

世の奥様方・・・・・旦那さまに愛情を・・・・家族仲良くね・・・・我が家のように

 

 

 

 


舞鶴の赤レンガ倉庫群に行ってきました

2014年09月25日 08時29分35秒 | 日記

 

《舞鶴赤レンガ倉庫群の場所・・・、京都府舞鶴市の旧舞鶴海軍軍需部本部地区と言うのですって・・・名称は厳めしいけど》

 

《中には重要文化財指定の建物もあります、何か別世界に来たようで、旧海軍の倉庫とはね~よくぞ残してくれはって、おおきに

     

《この倉庫群の中に、入れますね、お土産とか、版画の展示会とか、中々楽しい赤レンガ倉庫たちでしたよ》

    

《地図のように、広いですし、ゆっくりと楽しめます、船にも乗れますし、自衛隊の船にも乗れるそうです、今度はゆっくりと

 

《上二枚が赤レンガ博物館です、海軍の魚雷倉庫で明治36年竣工、現在の赤レンガ博物館でもちろん重要文化財です》

《重要文化財は、その他、2号館、3号館、4号館、5号館、文部科学省所管倉庫が三棟、合計8棟もありました、全部見られてない

     《この先にも赤レンガ倉庫群があったのですが、気が付きませんでして帰ってしまいました、残念 》

    《これは私の写真と違います・・・・・帰りにこの道路を走っていて、まだ沢山倉庫群がある事に気がつきました》

         みなさ~ん是非・・・・・この週末は赤レンガ倉庫群へ・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


171年ぶりに≪後の十三夜≫が出現・・・しかも今年は【皆既月食】!

2014年09月23日 09時44分28秒 | 日記

調べてみました、今年の九月八日は済みましたが、中秋の名月でした

翌月の「十三夜」を併せて眺めるのが古くからの慣わしとか・・・・

実は今年、暦の関係で171年ぶりに「後(のち)の十三夜」なるものが

11月5日に出現すると言う、だから今年は3回も名月が楽しめるのです

まだ有るんです、十三夜の二日後の10月8日は【皆既月食】が見られます

京都の事ですんまへんけど、今年の祇園祭は150年ぶりに《大船鉾》

49年ぶりに「後(あと)の祭り」が復活、今年は何か良いことがあるのかなぁ~

月と言えば、名月も含めて、漢詩の世界や、和歌の世界にも名詩や名句が

李白は月が大好きでした、その作品の中に月を詠った名詩が数多くあります

以前に述べましたが、李白生誕1300年祭に四川省江油市に招待された時

舞台で吟じさせて頂いたのが【静夜の思い】、山に懸かる月を仰ぎ見て・・・

そして・・・・うな垂れて、故郷を思う、・・・李白はこの五言絶句で月に哀愁を込めて

 

    静夜の思い    李白作

牀前月光を看る           寝台の前に差し込んでくる月明かり

疑うらくは是れ地上の霜かと   その光の白さに地上の霜かと疑った

頭を挙げて山月を望み       思わず頭を挙げて山に掛る月を見上げ       

頭を低れて故郷を思う        その頭をひたたれて故郷の事を偲ぶ

李白と月、・・・・・ただ一人、酒を持ち込んで山に月の昇るを待ちます

すると静かに月が顔を出します、待ってましたとばかりに盃を上げます

これで自分一人ではなく、月と二人になった、・・・何気なく振り返ると・・・

そこには自分の月影が・・・・・二人と思っていたら影とで 三人となった

【月下独酌】と言う長詩である、寂しがり屋の李白ならではの表現だ

花間一壺の酒  独酌相親しむなし 

と最初の二句で淋しさを強調しておいて次の二句で仲間が二人増える

盃を挙げて明月をむかえ  影に対して三人と成る

月に小言をいっている人もいる、・・・菅原道真が自作【九月十五夜】の中で

月光は鏡に似たるも罪を明らかにするなく

何の咎も無く、大宰府に飛ばされた道真さんが、昔から月は鏡のように

何でも写し出すと言われてきた、・・・・だったら何故、

私の無罪を明らかにしてくれないのかと月に八つ当たりや~

19歳で遣唐使に乗り中国へ渡り、二度と帰国できなかった阿倍仲麻呂

超有名な≪天の原ふりさけみれば春日なる

                 三笠の山にいでし月かも≫

昔、奈良の都で見たあの月が、今頃三笠の山に出ているであろう・・・と

三十数年ぶりに帰国の途に着く前日に詠んだ和歌、

結局此の和歌だけが日本に届き、仲麻呂は中国で70年の生涯を閉じた

まだまだ月に関する作品は山ほどありますが、最後に誰でも一度は見ている

 

 

中国は蘇州にある、寒山寺・・・ここに張継(ちょうけい)の名詩【楓橋夜泊】の碑がある

この拓本が名物になっていて、寒山寺に行くと必ず土産に買ってくると言う

では・・・・吟道松流の【楓橋夜泊】の譜面をご覧ください

 

興味ある人は、口ずさんでは如何ですか・・・

この節調を作るにあたり、懐かしくて、深い深い思い出があります

普通一週間も掛らずに、作譜するのですが、この【楓橋夜泊】は別でした

幾ら考えても曲が浮かんでこないのです、一年程した、鞍馬の稽古の帰りの事

まずは、叡山電車(当時は京福電鉄)の中で、一句目の『月落ち烏啼いて』の節が

ふと、浮かんだのです、・・・すると、憑き物が落ちたように次々と・・・・・

出町柳駅から梅津へ帰るバスの中で忘れないように口ずさんでいました

帰宅するや取るものも取らんと譜面に書いたのがこれです

もう40年近い歳月が流れて行きました、

13年前の李白生誕一三〇〇年祭と共に忘れられない1ページです