前回のブログでちょっと気になるバス停名(京都市バス)を取り上げ
あの日午後から・・・・・その3番系統で吉川先生の家にお邪魔してきました
その時に、先生から聞いた話がタイトルなんです
この勲章・・・・・≪瑞宝双光章≫の叙勲の発表が同窓会の席でありました
新聞に掲載されたのが5月29日で二日後の31日に≪吉川先生叙勲・・・・おめでとう・・・≫をブログしました
そして、同窓会≪さよい会≫のメンバー31人に下のハガキを出しました
6月中に何とか伝達も行き渡り、先生の元にもお祝いの便りが届いています
ところがところがこの勲章が先生の家に届くにが三ヶ月も掛かるとか(何でやね~)
お役所仕事と言うか、教育の世界の厭らしさを見せられたようで、・・・・・
喜びも半減してしまいますよね、こんな体制を何とか出来ないものでしょうか
その折に先生から、60年以上前の教師に成り立ての頃の貴重な話を聞いてきました
一ヶ月の給料が320円の頃、革の靴が500円した話、(しかも兵隊さんの長靴の編み上げ部分を切った靴)
『靴の片方を助けてくれ』と敦賀のお母さんにおねだりした話とか(片方だけでも給料と変わらない)
また、部屋を借りるのにも、・・・・・今から思ったら信じられない金額やった話・・・・・
『給料が3000円の時に、家賃が同じ3000円やって・・・・家庭教師を一日2回持って、
その分で生活が出来たんや~』・・・・・と先生も懐かしそうに云っておられた
またこんな話も飛び出した、・・・かいにん草(海人草)・マクリ(マクニンと言っていた)
皆さんご存知でしょうか・・・・・いやいやお忘れかもしれませんね~
虫下しのお薬の名前なんです・・・・・(昭和20年代の前半から後半に掛けての小学校で・・・・)
私も鳳徳小学校で鼻をつまみながら飲んだ覚えがあります、その後のドロップス(飴)が目的で
その頃の子供のお腹には虫が(寄生虫)沢山居たんですね~・・・食べもんの所為ですよ
今の子供たちは、本当に幸せですよ・・・・・でもそんな時代を過ごして来た人間は強いです
今の子供たちは、精神的にも弱すぎる・・・・100パーセント親の責任でしょう
私達の子供の頃は、夜店で一銭焼き(お好み焼き)を買ったら新聞紙にのせてくれた
最後は・・・・・新聞紙をしがんだもんです、それでも元気でした、
話は尽きませんが・・・・・懐かしさで心がほのぼのしている内に終わりにしましょう