好事家の世迷言。

調べたがり屋の生存報告。シティーハンターとADV全般の話題が主。※只今、家族の介護問題が発生中です。あしからず。

事件179『赤白黄色と探偵団』(第60巻)考察。

2013-04-14 | 『名探偵コナン』原作考察
先に断っておく。
当ブログでは、いわゆる「バーボン編」が始まるこの事件以降、
ほぼ批判のみの内容になる。
今までどこにも書かずにいた本心だ。

放火犯を探るメインの流れは、弓長のラストの恫喝など、
辛うじて及第点に達していると言える。
(余談ながら、依頼人の「杉浦開人」とは、出演権を得た読者の名前との事)

最大の問題点は無論、新キャラ・沖矢昴の登場と、その描写不足だ。
作中の描写を見る限り、コナンは、
「初対面の赤の他人に、他人の家を無許可でまた貸し」したとしか読み取れない。
特に、「バーボン」なる新たな組織員が動いたと言われた時の行動ではない。

少なくとも、コナンと沖矢が親密であるという下地が絶対に必要だったはずだ。
沖矢が実は変装しているのなら、それはベルモットかキッドであり、
純粋な味方ではない。
有希子に、他人を容易に化けさせる能力があるという描写も今まで無い。

「沖矢=赤井」説に至っては、「ネーミングの由来が同じだから」
という根拠からして、本来ならナンセンスである。
そのようなメタ的な理屈を推理だとするなら、私は、
「毛利小五郎=新出智明」であり、「工藤優作=松田陣平」であり、
「森敦士=ジェイムズ・ブラック」であり、「円谷光彦=内田麻美」であると訴えよう

誰かが何か変装してどうにかしてるんでしょう多分きっと。

つまるところ、この先の『コナン』は、ミステリとして明らかに欠陥を抱えていくのである。

それでは。また次回。
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