23万人の死者行方不明者を出した、スマトラ島沖大地震から一年。
スマトラ島北部では、地震津波の調査が進み、平坦地では、津波が内陸2~3kmまで押し寄せ、その波の高さは15m~35mであっとことが確かめられています。
( 国際津波調査団 調査期間2005年1月17日~2月1日 )
これと比較して日本の津波を考えると、不思議でならないのが、以前にも書いた平安時代の東北地方の太平洋岸を襲った西暦869年、貞観11年の大津波です。
地質学者の調査では、宮城県の仙台平野の海岸から内陸へ5km、標高約2.8mの場所に、この津波で運ばれたと考えられる海砂の堆積物が残っている事が明らかとなっています。
( 「 津波は繰り返す 」 東北大学 )
似たような地形のスマトラ島北部で、M9の地震で、内陸2~3kmまでしか津波が来なかったのに、仙台平野では、少なくとも海岸から5kmまで津波が押しよせた証拠があるようです。報告書には、貞観の津波当時の仙台平野の標高が記されていないのですが、これほど広範囲に内陸深く、津波が押し寄せた例を私は知りません。
津波の高さの古記録では、宮古八重山諸島を襲った1771年、明和八年の大津波で大被害を受けたの古記録『 形行書 』(石垣島)に、島の地区ごとの詳細な津波の高さが記載されています。スマトラ沖の津波と同様に、津波後の植物が、赤く枯れた位置を測ったものと考えられています。
この文書には、石垣島の宮良村で二八丈二尺 (85.4m)、白保村で十九丈八尺 (60m)、桃里村で十五丈四尺 (46.7m) 大浜村で十四丈五尺八寸 (44.2m)と記載されています。実際に河川に沿った内陸3~4kmの地点にまで、津波で運ばれたと考えられるサンゴ礁の岩が散在しています。
明和の宮古八重山の大津波については、地元の郷土史家牧野清さんの優れた著作がありますのでご参照ください。
日本列島にも、私たちの想像を絶する災害が襲っていた事だけは、確かなようです。
それにしても、多くの原子力発電所を抱えている、東北地方の太平洋側に、謎を残して眠っている巨大津波の痕跡は、私たちに何を語りかけているのでしょうか。
津波の痕跡のボーリング地点を拡大して、広範囲な調査をお願いしたいものです。
また、日本近海で発生した、過去の巨大カルデラ噴火に伴ったと考えられている巨大津波についてもまた、解明して頂きたいものです。
なお、スマトラ沖地震による津波が、陸地にぶつかって遡上した高さは、48.9mであった事が横浜国立大学の調査で判明しています。(調査期間2005年2月11日~14日期間が異様に短いのが惜しまれます。)
-ご参考-
* 国際津波調査団報告 ・>>>・ 北海道大学 西村裕一 他
*「 津波は繰り返す 」 ・>>>・ 東北大学
* 横浜国大の調査
報告文・>>>・ 写真・>>>・
* 宮古八重山の津波石 ・>>>・ 琉球大学
* 牧野清 『 八重山の明和大津波(改訂増補)』 城野印刷所 1981年
(各 都道府県図書館へ、広範囲に寄贈済み.良質の被害資料、図版、津波石等の写真豊富.)
*
・きちんとわかる巨大地震・産業技術総合研究所 著 スマトラ島、新潟沖…、巨大地震はいかにして起こるのか.
拙ブログ
・ 「 西暦869年 貞観の巨大津波 」 ・>>>・
・ 「 一瞬の何かが... 登呂遺跡、最後の日を考える.」 ・>>>・
スマトラ島北部では、地震津波の調査が進み、平坦地では、津波が内陸2~3kmまで押し寄せ、その波の高さは15m~35mであっとことが確かめられています。
( 国際津波調査団 調査期間2005年1月17日~2月1日 )
これと比較して日本の津波を考えると、不思議でならないのが、以前にも書いた平安時代の東北地方の太平洋岸を襲った西暦869年、貞観11年の大津波です。
地質学者の調査では、宮城県の仙台平野の海岸から内陸へ5km、標高約2.8mの場所に、この津波で運ばれたと考えられる海砂の堆積物が残っている事が明らかとなっています。
( 「 津波は繰り返す 」 東北大学 )
似たような地形のスマトラ島北部で、M9の地震で、内陸2~3kmまでしか津波が来なかったのに、仙台平野では、少なくとも海岸から5kmまで津波が押しよせた証拠があるようです。報告書には、貞観の津波当時の仙台平野の標高が記されていないのですが、これほど広範囲に内陸深く、津波が押し寄せた例を私は知りません。
津波の高さの古記録では、宮古八重山諸島を襲った1771年、明和八年の大津波で大被害を受けたの古記録『 形行書 』(石垣島)に、島の地区ごとの詳細な津波の高さが記載されています。スマトラ沖の津波と同様に、津波後の植物が、赤く枯れた位置を測ったものと考えられています。
この文書には、石垣島の宮良村で二八丈二尺 (85.4m)、白保村で十九丈八尺 (60m)、桃里村で十五丈四尺 (46.7m) 大浜村で十四丈五尺八寸 (44.2m)と記載されています。実際に河川に沿った内陸3~4kmの地点にまで、津波で運ばれたと考えられるサンゴ礁の岩が散在しています。
明和の宮古八重山の大津波については、地元の郷土史家牧野清さんの優れた著作がありますのでご参照ください。
日本列島にも、私たちの想像を絶する災害が襲っていた事だけは、確かなようです。
それにしても、多くの原子力発電所を抱えている、東北地方の太平洋側に、謎を残して眠っている巨大津波の痕跡は、私たちに何を語りかけているのでしょうか。
津波の痕跡のボーリング地点を拡大して、広範囲な調査をお願いしたいものです。
また、日本近海で発生した、過去の巨大カルデラ噴火に伴ったと考えられている巨大津波についてもまた、解明して頂きたいものです。
なお、スマトラ沖地震による津波が、陸地にぶつかって遡上した高さは、48.9mであった事が横浜国立大学の調査で判明しています。(調査期間2005年2月11日~14日期間が異様に短いのが惜しまれます。)
-ご参考-
* 国際津波調査団報告 ・>>>・ 北海道大学 西村裕一 他
*「 津波は繰り返す 」 ・>>>・ 東北大学
* 横浜国大の調査
報告文・>>>・ 写真・>>>・
* 宮古八重山の津波石 ・>>>・ 琉球大学
* 牧野清 『 八重山の明和大津波(改訂増補)』 城野印刷所 1981年
(各 都道府県図書館へ、広範囲に寄贈済み.良質の被害資料、図版、津波石等の写真豊富.)
*
・きちんとわかる巨大地震・産業技術総合研究所 著 スマトラ島、新潟沖…、巨大地震はいかにして起こるのか.
拙ブログ
・ 「 西暦869年 貞観の巨大津波 」 ・>>>・
・ 「 一瞬の何かが... 登呂遺跡、最後の日を考える.」 ・>>>・
仙台市郡山の平地に、多賀城より少し前だろうといわれる大規模な遺跡があります。会社が近かったので眺めてました。そこも津波でやられ、多賀城に全機能が移ったんだというようなことを聞いたことがありました。
watariさん、ようこそ。
仙台市の郡山、現在の地形図でも標高5~6mといったところでしょうか。広瀬川と名取川の合流点付近で、水害を受け易かったのでしょう。また、川のそばの低地では、鼠の害も多く、徴発した米の保存も難しいのではないでしょうか。
仙台郡山から、津波の痕跡が出土したという報告は聞きません。何でもかんでも津波のせいにするのは、かなり無理でしょう(^^)。。
ご地元の遺跡、興味深いですね。日本各地に災害の後、高台に移設された施設の遺跡があります.
原発大国である日本は、津波大国でもある...
たしかに、原発は海沿いに多く建てられているので、津波の被害を受ける可能性がある。怖いことです。
でも、だからといってそれが即「原発はダメ」につなげられないと思います。
だって我々は日本に住む限り、津波から逃れられないのと同様に、エネルギー資源の少なさからも逃れられないから。
エネルギー供給と自然現象。この兼ね合いもしっかり考えたいですね。
さて、津波は波高はそれほど高くないのですが、波長が異様なほどに長いので被害が大きいのです。一般的にいう大波というのは波高が高いだけなのです。(波高が2~3メートル、波長が2メートル程度)普通の波は波高が1~2メートル、波長が1~2メートル程ですが、津波の場合は、波高は2~3メートルなのですが、波長が50~100キロメートルに及ぶ波の化け物なのです。この水かさのせいで、打ち寄せる波は30メートルほどになってしまいます。
また、波の特徴として、浅い部分では遅く、深い部分では速く進みます。そして一番重要なのですが、波の進む方向は等深線に対して垂直に進みます。
(等深線とは海の同じ深さのところを表した線、等圧線や等高線と同じような解釈)
つまり、海岸から海の方向に向かって等深線が扇型になっている海岸、いわゆる遠浅の海というのは一見安全そうに見えますが、波の向きが一つに重なってしまうので危険なのです。反対に等深線が海岸のほうに向かって扇形になっている海岸は波の向きが分散されるのでパワーも分散され、比較的被害が少ないのです。
しかし、津波自体を制御はできません。
。
私も原発反対論者ではありません。しっかり対策をして、補強もしっかりしてほしいものです。アメリカの地震地帯では、原発はすべて、内陸の河川沿いにあり、海岸線には一基もありません。
津波について教えて頂き有難うございました。
私は、能登半島を旅行したときに、ヤセの断崖の上に波しぶきが上がってくることに驚きました。高さは30m以上はあると思いますが、ヤセの断崖付近だけ、波が異常に高かった事を記憶しています。その沖合いの海が浅いのでしょう。前世紀の北陸豪雪の年の事です。
津波の波長ですが、1771年の宮古八重山の巨大津波、打ち上げられているリーフの岩の大きさからして、波はかなり大きかったようです。特別に長い波長の波が押し寄せたのですね。
869年の東北地方の津波といい、自然界は謎に満ちています。
ご解説頂き、分かり易く、頭の中の整理が出来ました。本当に有難うございます。また、いらしてくださいね。
スマトラ沖の地震による津波の映像には少なからず衝撃を受けたものですが、あれから一年たったのですね。
しかしこの一年、JRの事故、マンション偽装疑惑、子供が巻き込まれる事件の頻発など、よい話が余りなかったように思えます。
私も慌しい一年でしたが、来年は穏やかな日々がすごせればいいなと思っています。
この一年、拙ブログへの書き込みありがとうございました。また来年もよろしくお願いいたします。
最近、身の回りでも製品の品質やサービスに、唖然とするような低品質のものに接します。日本もだいぶほころびが出てきたようです。来年は良い年でありますように(^^)。
水害=津波とすっかり思い込んでしまっていました。いつのまにか発想が偏っていたんですね。
原発のことについても、落ち着いて事実を探さないとなあと思います。
あと、一応スパム的にならないように気をつけてはいるのですが、トラックバックがうるさいようでしたら、すみませんでした。