知床半島の羅臼岳に登ったことがあります。
当時は百名山や中高年登山ブームの前だったため、夏のハイシーズンだったにもかかわらず、登山客はほとんどいませんでした。
麓の小屋に泊まったのは5~6人。1つしかない露天風呂に満天の星空の下、独りのんびり浸かりました。
翌朝は雲ひとつ無い快晴。5時間かけて立った山頂からは、国後島の爺爺岳が手に取るように見え、活火山らしく山頂からは噴煙が上がっていました。
このとき「いつかは爺爺岳に登ってみたい」と強く思ったものです。
(でも当時は東西冷戦中。国後島をふくめ北方四島は遠い遠い異国の地でしたが。羅臼岳登頂:1989年8月20日)
この週末に「知床・北方四島」~海氷が育む自然遺産(大泰司紀之、本間浩昭著、岩波新書)を読みました。
知床半島から北方四島にかけては、北半球で最も南まで流氷が押し寄せ、海と陸の間に豊かな生態系が育まれてきたそうです。
しかしこの貴重な自然は、2つの脅威にさらされています。
ひとつはロシアによる急速な乱開発、もうひとつは地球温暖化。
あの爺爺岳はソ連時代、自然保護区に指定され原始の自然が守られてきました。
しかしロシアに変わった後、西側山麓で金鉱脈が発見されます。
大規模開発が急速に進められており、現在、環境破壊が大変懸念されています。
この本を読んで久しぶりに爺爺岳の端正なフォルムを思い出すと同時に、「う~ん、国後島行きたいなぁ、爺爺岳にも登りたいなぁ」
早く行かないと、もしかして爺爺岳の豊かな自然がなくなってしまうかもしれません‥‥。
*冒頭の写真は粟野武夫氏撮影です。
当時は百名山や中高年登山ブームの前だったため、夏のハイシーズンだったにもかかわらず、登山客はほとんどいませんでした。
麓の小屋に泊まったのは5~6人。1つしかない露天風呂に満天の星空の下、独りのんびり浸かりました。
翌朝は雲ひとつ無い快晴。5時間かけて立った山頂からは、国後島の爺爺岳が手に取るように見え、活火山らしく山頂からは噴煙が上がっていました。
このとき「いつかは爺爺岳に登ってみたい」と強く思ったものです。
(でも当時は東西冷戦中。国後島をふくめ北方四島は遠い遠い異国の地でしたが。羅臼岳登頂:1989年8月20日)
この週末に「知床・北方四島」~海氷が育む自然遺産(大泰司紀之、本間浩昭著、岩波新書)を読みました。
知床半島から北方四島にかけては、北半球で最も南まで流氷が押し寄せ、海と陸の間に豊かな生態系が育まれてきたそうです。
しかしこの貴重な自然は、2つの脅威にさらされています。
ひとつはロシアによる急速な乱開発、もうひとつは地球温暖化。
あの爺爺岳はソ連時代、自然保護区に指定され原始の自然が守られてきました。
しかしロシアに変わった後、西側山麓で金鉱脈が発見されます。
大規模開発が急速に進められており、現在、環境破壊が大変懸念されています。
この本を読んで久しぶりに爺爺岳の端正なフォルムを思い出すと同時に、「う~ん、国後島行きたいなぁ、爺爺岳にも登りたいなぁ」
早く行かないと、もしかして爺爺岳の豊かな自然がなくなってしまうかもしれません‥‥。
*冒頭の写真は粟野武夫氏撮影です。
冗談はさておいて。・・・なんでしたっけ(・・?
では登山道(あるのかな)を荒らさないよう、雪のシーズンにスキーで行きますか。
冷戦が終結しても国後島は本当に遠いのですね。
以前、日本海の対馬海流の調査のため海流調査瓶を石川県小松市沖に投入したことがあります。
その1本は国後島の古釜府に漂着し住民に拾われました。しかしソ連の時代だったため、「国家軍事機密」ということで、モスクワの政府へ送られ、東京の旧ソ連大使館から外務省経由で私のほうへ問い合わせがありました。「軍事目的ではないでしょうね?」って。
ところが当時私はコロンビア在住だったから話はややこしくなり‥‥。(この続きはいつかまたネ!面白い展開になっていきます)
このように海はつながっているのに、国後島はまだ遠いなぁ。
根室に住んでいたので爺爺岳で検索したところ、こんなトンネルの出口が用意されていたとは!!!
チャイカってロシア語でカモメですね?
こんにちわ~
えっと・・・オーナーさんは石川?
うちの両親は父が金沢と母が羽咋郡です
オーナーさんのお名前どこなんだろ??
とりあえず失礼します。
くろすけさんのブログも拝見しました。旭川ご出身なんですね。私は北海道が大好きなので、北海道情報のページは有り難いです。
しかし根室は未踏の地、次に機会に行ってみたいなぁ。