Tonton's Miscellany

基本的に日記です。仕事のこと、家族のこと、本やニュースの感想など、ごちゃごちゃつづります。

2005年を振り返って

2005年12月31日 | 【雑言】
あっという間に過ぎ去った1年だったなあ。
「それは平和だったってことだよ」ってダンナに言われた。
その通り。
ダンナも娘も、そして私も大きな病気も事故もなく、
毎日が平穏無事に過ぎたということだろう。

そんな中、今年は、かねてから企画していた
プロジェクトの第一歩をようやく踏み出すことができた。
これを育てるのが来年の大きなトピックになるだろう。
夢は大きく、お仕事は地道に。

そして、もう一つの懸案仕事。
これはタイムリミットがすぐそこに来ている。
来年こそ、と例年のように思う。

情報保障では、迷うことがたくさんあったけれども、
やっぱり自分の原点はこれだった、ということにも
気づくことができたし、
さまざまな人たちとじっくりと話す機会も得られた。
その中で、いろんな新しい試みもあり、発見もあり、
初心に帰って勉強することができたように思う。
この活動を始めたときの気持ちを忘れずに、
来年も、毎回何か一つ勉強して帰るつもりで
現場に臨んでいこうと思う。

先日も書いたが、来年の目標は「虚心」。
昨日、テレビで原爆60周年の祈りのコンサートの様子が
放映されていて、その中で日野原重明氏が
「恕(ゆる)す」ということを語っていた。
また、別のテレビでは、「夜回り先生」が
「周りの人に優しさを配る」ということを話していた。
恕すやさしさを忘れずに生きていきたい。

娘からの難問その2

2005年12月29日 | 【子どもと育つ】
前回「氷はなんで水に浮くの?」という質問に
やっとこさっとこ答えた記憶がようやく薄れかけた今日、
また来たっ。
親を困らせる子供の質問第二弾!

「水はなんで泡立たないの?」

日ごろ、お茶やイオン飲料のペットボトルを振り回して
泡を作っている娘が、今日は「evian」のペットボトルを
振っていて発した質問である。

「すいぶんがあるからかなー。
 でも、ポカリもすいぶんあるよねー」

「えーっとね、泡ができるにはね…」と言いかけ、
結局、子供に分かるように説明できない自分に気づいた。
また調べなきゃ…。


戯言

2005年12月29日 | 【雑言】
アウシュヴィッツを訪れる外国人のうち、
日本人の数は世界17位なんだそうである。
この数は、韓国からの来訪者数の約3分の1だそうだ。
しかも日本からの来訪者は多くが退職した高齢者世代。
おそらく博物館内を見学し、バスでビルケナウに移動して
引込み線を見学する程度だろうか・・・。

アウシュヴィッツにはぜひ若いうちに行ったほうがいい。
あそこは悠長に見物する観光地ではない。
人間がどこまで狂気になりえるか。
と同時に、その狂気に、どこまで人間は耐えられるか。
あの過酷な環境下で働き、なお生き延びたユダヤ人が
いたことの方に、私は衝撃を受けたのだが、
それを突きつけられて、なんとかその先の旅行を
続けられたのは、まだ私が若かったからだろう。
それでも、その後の行程はすべてアウシュヴィッツの
記憶にかすんでしまった。

初春の凍てつくビルケナウの、
空気が四方八方から押しつぶしてくるようなあの冷たさは、
まだこの体の記憶にある。

そして、空気の重さからやっとこさ逃れて着いた駅で飲んだ、
粉が一面に浮かんでいるコーヒーの温かさ。

博物館行きのバスのチケットの買い方が分からず
おろおろしていたら、さっとチケットをくれた
見知らぬポーランド人の笑顔。

それらが一緒くたになって、
あの冷たい空気の記憶とともによみがえる。

現代ドイツ史の研究家で、毎年のように日本とドイツを
往復しているにもかかわらず、いまだアウシュヴィッツを
訪れたことがないという教員がいた。
彼はそれにもかかわらず、ゼミで堂々とアウシュヴィッツを
語り、ドイツのネオナチを語った。
そしてアウシュヴィッツに行かなくても相対化は可能だ、
と豪語した。

確かにそうかもしれないが、
私は何がしかの嘘っぽさを感じずにはいられなかった。
私は経験主義者ではないが、知ろうとすればできることを
しないのは、研究者としては怠慢ではないか。

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国民保険の保険料が払えずに、医療機関への受診が遅れて
命を落とした人が少なくとも11人いるという報道をみた。

何でだろう。
あるところには(ムダに)ふんだんにお金があるのに
命すらも維持できない人がなぜ出てきてしまうんだろう。

塾の講師が生徒を殺す。
なんでだろう。
なぜ、自分の思い通りにならない者を否定するんだろう。

考えてみれば、そういう行為は、一国の元首から
身近なところにまで、あらゆる場所に蔓延している。
本当に住みにくい世の中だ。

強者は、自らの行為を正当化する言葉を
なんとかして見出すことができる。
それがどんなに理不尽な正当化であっても、
その理不尽さは、多面性のある事象の中の
わずか一面を飾る正当さの前に
いとも簡単に隠蔽されてしまう。
それ以外の面は、肥大化された「たった一面」に
覆い隠されていき、やがては存在すら
忘れられてしまう。

私は「でも…」と考えることしかできない。

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最近、「やさしさ」が貴重なものになっている。
他者の考えは受け入れてみる前に否定するのに、
自分のことは全面的に認めてほしいという人が増えている。
他者を卑下することで、自分のアイデンティティを保つ。
一般論としては、そういう行為を否定できる程度の
理性と正義を持ち合わせているのに、
自分のことに当てはめると、自分の姿が見えなくなる。

他者に対する、生産性のない悪口や文句ばかりを
聞かねばならないのは、悲しいことだ。

弱者が弱者のままで、ちゃんと尊重される社会。
そういう社会に生きたいものだと思う。

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昨日、ある方からいただいたメールに
「私はこの方々が大好きだから」という言葉があって
少し心が柔らかくなった。
時折意見はぶつかるだろうが、
この人とは根底の部分でつながっていきたいと思った。

根底にあるものが虚心であるか慢心であるか。
それがすべての行動を変えていく。

来年こそは虚心に近づきたいと、心から願う。


今年最後の調律

2005年12月21日 | 【Musizieren!】
我が家のピアノの調律が狂ってくると、
娘のピアノ練習時間が減ってくる。

そもそも私が聴いているのが苦痛になる。
「やめてくれー」と叫びたくなる。
娘がさっさと練習をやめるのは、練習嫌いだからに
違いないが、鋭敏な子供の感覚で「ヘンな音」を
察知しているのかもしれない。…だとしたら怖い。

我慢が限界点に達してくると、調律を頼む。
もっと頻回にしたいのだが、お値段も安くはないので、
なかなか回数を増やせないのが悩みどころである。

今日、ようやく来てもらった。
夏にお願いして以来。忙しかったとはいえ、
よく耐えたもんだと思う。

だいぶ音は安定してきたが、
やはり打鍵数の多い音の狂いが激しいとのこと。
オーバーホールから2年、まだまだ安定には
程遠いような気がしていたが、
少しは落ち着いてきたのかもしれない。

調律完了後、昨今のデジタルピアノ事情を聞いてみる。
ピアノを習うといっても、最近の住宅事情、経済事情から
アコースティックのピアノを即座に用意できる家は多くない。
ならばせめて、デジタルピアノの中でも、まあ許せる範囲の
機種を知っておいても損はないし、アドバイスもできる。

我々は弾いた感覚しか頼りにならないし、
まして私はアンチ・デジタル派なので、そもそも
デジタル音源自体を聴く気にならないのだが、
そこはさすがに調律師。
修理で中身を見ているから、「使っている素材」で判断している。
結構意外な話を聞けて役に立った。
ピアノ購入で悩んでいる人に教えてあげよう。

さあ、これで、今日からまた娘の練習に付き合える。

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夜、娘は黙々と1時間ピアノに向かっていた。
もしも音がきれいになって気持ちいいからなのだとしたら、
音が人間の生理に及ぼす影響は計り知れないということだ。

(んー、でも、ピアノは平均律だから…あ、これ以上の
詮索を始めるとキリがなくなるからやめとこ。)

拍手を一緒にできるには?

2005年12月21日 | 【情報保障】
情報保障をしていて、どうしても解決が難しい問題がある。
それは「拍手」と「質問」と「挙手」。
以前、ある練習会でテーマになってから、
現場のたびに気にかけているが、
なかなか満足の行くタイミングで出せない。

タイピングの速さだけの問題ではなさそうだ。

例えば
「それでは皆様、もう一度、盛大な拍手をお願いします。」
と、話者が話したとする。
この一文をしゃべるのに、約3~4秒。
その後、拍手が始まったとして、拍手の持続時間は、
アンコールででもない限り、せいぜい3~5秒。

すっごい雑駁な計算をすれば、
「発話+拍手」の時間を足しても6~10秒。

一方、この言葉を打つとすると、ひらがな約30文字。
300文字/分打てる人がいたとして、
単純計算で発話開始から6秒かかって表出。
200文字/分ならば発話開始から10秒後に表出。
(この辺の算出法については、いつかもっと厳密にしないと
いけないと思っている)

つまり、数字の上ではどんなに速くタイピングしようと、
「それでは皆様、もう一度、盛大な拍手をお願いします」と
入力し終わってから表出しようとする限り、
拍手が終わろうとするころにようやく
「拍手をお願いします」という部分が表出されることになる。

以前の練習会では、私が尊敬する超ベテランの人が
「8割の力で打ち、ペアのどちらかは何が起こっても
すぐに対処できるように」ということを言っておられたのが
印象的だった。

ペアになって打たせていただくとよく分かるのだが、
この人のように同時性を体現できる人は、そうそういない。
「拍手」「質問」「挙手」を、遅くても2秒遅れ程度で
出すことができる、並外れた技術の持ち主だ。

タイピングは、もちろん、めちゃくちゃ速いが、
それだけではない。

同時性が特に要求される場面がきたと思ったら、
まず打つ文字の量を極力減らし、「拍手」という言葉が
一番速く表出される道をとっさに選ぶ。
場合によっては、ペアの入力を止めてでも、
必要な情報の表出を優先させることができる。

この臨機応変さがすごいと思う。


送る文字が多くなるということは、それだけ、
肝心な情報が利用者に認識されるまでの
時間がかかるということなのだ。

そして、打ちながら自分では
「追いついている」と思っていても
それを入力部に溜め込んでいて、
スクリーンに表出していなければ
利用者にとっては「情報ゼロ」と同じことなのだ。
数行にわたってドカッと表示されたときの読みにくさは、
常々利用者から指摘されている。


毎回心がけているのだけれども、
なかなかとっさにできない。

先日も、会場の拍手のピークが過ぎたころに、
スクリーンに表出された「拍手」の文字を見て、
あわてて拍手をしている利用者の姿があった。

打っている方からすれば、よどみない表出であっても、
「拍手」という文字に利用者の目が行き着くには
時間がかかったということだ。

そういう姿を見るのが、一番堪える。


幼児安全法講習会(3)

2005年12月18日 | 【子どもと育つ】
一晩寝て、何とか体力と気力を回復し
最終日の講習に出かける。

ダンナと娘は、ダンナの実家へ
クリスマスプレゼントの催促に出かけた。

『今日はママは?』と聞かれたら
『1、2、3、4、5、フーッ』を
やりに行ったって、言っとくよ。


はい、どうぞ楽しんできてくださいな。


申し込みは25人ぐらいいたはずで、
それが初日には20人ぐらいだったのかなー。
今日来たのは14人。
検定を受けたのは13人。

午前中は学科の残りと、実技の復習。
午後もちょっと実技の復習をして、
その後、実技検定と学科検定。

とにかく「受講証」はゲット。
検定の結果は1ヵ月後ぐらいに
郵送されてくるらしい。

しかし…フォローアップなしでは
絶対に忘れるに違いない。
やはり救急法を受けるしかないかなあ。

最後のあいさつで、指導員の先生が
「この技術を使う場面に逢わないことが
いちばんいいのです」とおっしゃっていた。
確かにそうだ。
「宝の持ち腐れ」になることが
いちばんありがたいことなのだ。
(もっとも、今出くわしても
手も足も出ないに違いないが・・・)

とりあえず、以前受けた3時間講習よりは
はるかに身についたことは確からしい。


幼児安全法講習会(2)

2005年12月17日 | 【子どもと育つ】
先週に引き続き2日目。

ここ2日、ちょいとクレージーなスケジュールだったので、
疲労は限界に近く、午前中、時々意識が飛んでいた。
相変わらず話の内容は肝心なところを迂回している感じだった気がする。
ま、理屈じゃないからいいや。

午後からはみっちりと実技。

最初の1時間、包帯の巻き方をいろいろ。
包帯ったって、ホンモノの包帯を常時持ち歩いているわけはないから、
ストッキングとハンカチによる応用包帯。

(でも、ストッキングとかハンカチだって、常時あるとは限らない。
履いていたら、脱ぐのか???)

ただ、ストッキングってのは、便利なものだということが分かった。

その後、かわいい赤ちゃん人形で異物除去の練習をして、
いよいよ先週と同様、心肺蘇生法の特訓。
何サイクルやったか覚えていない。ただ、体はヘトヘトで、
「誰かきてくださーい、救急車を呼んでくださーい」というのが
そこに寝ている子供のためではなく、
私のためなのではないか、と思うほど。

これはなまじ冗談ではなく、実際にやったら二次災害は必至。
今日は1人1分交替で数回やったけれども、
もしも本当にこういう現場に居合わせてしまった場合、
救急車が来るまで(平均7分)にとどまらず、
救急隊員の人が機材を準備して交代してくれるまで、
人工呼吸+心臓マッサージは止めてはいけないらしい。
「20分ぐらいは普通よ」と指導員の先生はのたまった。
そりゃ、無理だわ。

明日は検定試験。
包帯の復習と学科の準備をしておかねば。
しかし…眠い。


BRAVO! 中島康晴!

2005年12月14日 | 【Musizieren!】
すごいテノールを発見!
その名は中島康晴。

遅きに逸した感があります。
日本の歌手にアンテナを閉じていた私の失態。

今までの日本人テノールとはまったく異なる。
普通に聞いたら、イタリア人としか思えないに違いない。

NHKの名曲アルバムを何気なくつけていたら、
「ラ・ボエーム」のアリア、『冷たき手を』のイントロ。
あら、懐かしい、誰が歌うのかしら。
なーんだ、日本人。
・・・ん? 何、この声。
ええっ? この節回し、何?
うわっ、このHIGH Cの響きは何?
発音のタイミングも、これまでの日本人とは違う。
これからの日本を担うテノールになることを確信しました。

さっそく、インターネットで検索したら、
まだ若い、初々しい顔。
でも、輝かしい経歴を持っている。
うーん、ミラノ在住か・・・。
そう簡単に生を聴けそうにはないなあ。

日本のオペラ界をウォッチングする楽しみができました。

幼児安全法講習会(1)

2005年12月12日 | 【子どもと育つ】
日本赤十字社の「幼児安全法支援員養成講習会」に参加。
ずっと前から受けたかったのだが、日、土、日、という3日間を
終日取れるという機会に恵まれず、思い立ってから2年たってしまった。
その間、我が子は、奇跡的にも大きな事故にあわずに大きくなり、
「幼児」の対象となるのはあと1年。

ただ、私も小さなお子様のお相手をする機会が増え、
知っておかなくてはならない技術でもあるので、
ようやく申し込んで、無事に当たって(定員オーバーだと抽選)
昨日その第一日目に参加してきた。

以前受けた消防署の救命講習とは違って、
まずは「赤十字とは何か」という講義から。
創立者とか世界の組織とか事業とか。
どうやら最終日の検定試験に出るらしいから暗記しなくては。

その後、子どもの発達特性について。
うーん、もっと聞きたいことは別にあるのだが、
講師がおじいちゃまのせいか、ちょっと話が古かったりする。

お昼前に「手洗い実習」
こんなに丁寧に手を洗ったことはない、というぐらい
しっかりと手を洗って、お食事。

午後も講義の続きで、子どもに起こりやすい事故について。
この手の話は、何度も聞いたけれども、
一番現実味がない話だった…。

眠気がピークに達したころに、実技突入。
ここからは眠気も吹っ飛び、4時までたっぷり絞られた。

まずは「意識がある場合」。
周囲の確認、意識の確認、呼吸の確認、脈の確認、顔色、体温、
そして手足を動かせるか、まで。

次に、意識を失っている場合の「回復体位」の練習。

そしていよいよ心肺蘇生法。
以前、消防署で大人の人形でやったときには、アップアップだった。
今日は子供の人形だから、ちょっとは楽なはずなんだけど。

最初に気道確保。
ちゃんと気道確保できていれば、ランプがつく。

そして、人工呼吸2回。
これも、入っていればランプがつく。
子どもの場合には、1~1.5秒で300ml程度だそうだ。

それでも、循環サインがなければ、心臓マッサージ。
片方の手で5回。
ちゃんとできていればランプがつく。

その後、次の一連の動作を交替しながら
繰り返し練習。
(合っているかどうか自信なし。来週再確認)

・・・・・・・・・・・・・
「周囲の状況の確認」
 「前よし、後ろよし、右よし、左よし、上よし、下よし」
 「二次事故の危険性なし」

「全身の観察」 
 「大出血等なし」

「意識の確認」
 (ひじをついて、肩を叩く)「〇〇ちゃん!」と呼びかけ3回。

「意識なし」
「誰か来てくださーい」「救急車を呼んでくださーい」

「気道確保」

「呼吸の確認」(8秒ぐらい)

「呼吸なし、人工呼吸2回」 

「循環サインの確認」
 (1、2、上体起こして、手、足、足、手、顔)

「循環サインなし、圧迫開始」
 (1,2,3,4,5+人工呼吸1回)×10回

「誰か来てくださーい」
「救急車を呼んでくださーい」

「循環サインの確認」
 
「循環サインなし、圧迫開始」
 (1,2,3,4,5+人工呼吸1回)×10回

・・・・・・・・・・・・・・・

体で覚えるところまで、なかなかいきません。
えっとー、って考えちゃう。
心臓マッサージの場所を確認するのも忘れちゃうし。

家に帰って、早速娘と夫を実験台に練習開始。
来週までにしっかり覚えないと。

この検定に通ったら、次は大人用の救急法講習を受けたいと思います。
以前受けたのなんか、すっかり忘れているから。
毎年フォローアップしていくと忘れないのかもしれません。